4 禁術
「チッ——禁術呪文か」
クラウディオは己のマナを止め、人差し指の黄色い光を振り払った。このまま近くに引き寄せても危険なだけだ。
急に《マグネス》の呪文が解かれ、自由になった男は、「おや?」と疑問を浮かべながら立ちあがり、砂だらけになった衣服をぱっぱっと払った。
「貴君に問う! 望みはなんだ!」
クラウディオは吠えた。
無論、仮面の男は答えない。距離はここから150メートルといったところか。
コンベイの地に強い風が吹いている。
帝国魔術師と謎の仮面の男は、互いに息を潜めて対峙した。
「アルバ様、頼む……これを解いてくれ……っ!」
クラウディオの運転手をしていた警官が、もがきながら彼に懇願してきた。依然として地面には強い磁場が発生している。
クラウディオは片頬を上げ、シニカルな笑みを浮かべた。磁力を解く方法はあるものの、強力な禁術を使える相手に、迂闊にマナを消費するわけにはいかない。
あえて警官の要求を無視するクラウディオ苦渋の判断を、遠目から感じていたペーター刑事は、この極めて絶望的な状況と己の無力さに地団駄を踏みたくなった。
あの時、ショーンの呪文を制止できていれば……葉っぱを持たせていなければ……後悔の念が押し寄せる。さっきよりマシな事といえば、失神したショーンの体が、ペーターからだいぶ近くにいる事だった。
「——貴君の望みは何なのだ!」
クラウディオは、再び問うた。
仮面の男は、ひたすら無言で立っている。
彼は己の意思を伝える気はサラサラないようだ。
そしてクラウディオの方も、特段、答えを知りたい訳ではなかった。
(……彼は禁術を習得している。この人数を一瞬で殺すことなど、クッキーシューを頬張るよりも簡単だ。だが広範囲の磁場という、あえて費用対効果の非常に悪い手法を使った。“なるべく殺したくない” という想いがあるはずだ……!)
桃白豚族の帝国魔術師は、そこまで考え、ゴクリと生唾を呑み込んだ。
《禁術》──ルドモンドには、政府に禁じられた呪文が存在する。
その数、数百とも数千ともいわれ、呪文の文言すら公に知られておらず、魔術学校では簡単な歴史と概要のみを習う。【星の魔術大綱】にも存在が記されるのみで、当然収録はされていない。
禁じられた呪文の多くは、人々を恐怖に陥れるもの、死に至らしめるもの、極めて不安定で何が起きるか予測不能なもの……などなど。その多くが政府に禁じられて以降、誰にも使われず忘れ去られ、存在が失われている——はずなのだが、厄介なことに、恐怖、強力、かつ安定した禁術呪文のみをまとめた魔術大綱書が、この世には存在している。
その禁術書は、【星の魔術大綱】よろしく、呪文の文言、内容、マナの計算方法や必要量、はては挿絵まで丁寧に記載されている。かなり古い時代から存在が確認されており、売買、複製はおろか、所持だけでも逮捕の対象となる。ごく稀に闇のマーケットで流通する禁術大綱書だが、頭の痛いことに、どこぞの秘密結社によって今でも編纂と改訂が続けられているという。
クラウディオは数年前、帝国調査隊の仕事で、オックス州の秘術具蒐集家から押収した際に実物を確認した。逮捕の瞬間、蒐集家の爺さんはビッシリと血が染みついた本を大事に抱きかかえ、『これは【 “光” の魔術大綱】なのだあ!』と気色悪いことを叫び続けていた。
禁書の中身を確認したところ、内容は死と血と腐敗と狂気で満ちており、怪物と臓物と骨だらけの挿絵の中に、確かあのゴルゴーン三姉妹の黒い三角形の絵も存在した。
目の前の仮面の男、そして彼の仲間と思われるユビキタスが、禁術大綱書で学んだ者の集まりならば……非常にまずい。恐ろしい事態だ。
「クックック……だからどうした?」
クラウディオは不敵に笑った。
止められる自信は正直なかった。仲間のショーンは失神し、警官は人質に取られたようなもの。
「素晴らしい……人生とは苦難が付き物……!」
磁場は相変わらず強力で、頭痛と吐き気は止まらない。立っているだけでも精一杯だ。
「かかってきたまえ、ショーーータイムだ!」
クルリと丸まったピンクの尻尾が、針金のようにピンと立つ。
もう一人のアルバであり、【帝国調査隊】の同胞、クレイト市警のベンジャミン・ダウエルが来るまで、彼ひとりで時間稼ぎするしかなかった。




