6 ペーターの決意
「……いいんすか、ペラペラ喋って」
「え?」
ショーンは、きょとんとした顔で振り向いた。大きな丸い猿の瞳がこちらを覗く。
「何が?」
「だって……ご自分の弱点ですよ」
「いや、警察にちゃんと伝える方が優先だろ」
サラリと、ビスコッティの差し入れでもするかのように、問いに答えた。
「特に隠すような事じゃない。この本に全部書いてあることだし、呪文の使い手ならみんな知ってる」
ショーンは真面目な顔で、パッパッと分厚い魔術書の表紙を素早く叩いた。
「ですが、誰もが知ってる事じゃないっす。呪文を勉強した人しか知らない。それならヒミツにしといた方が——」
「違う! 対処法を知ってても、対応できなきゃダメなんだ!」
ショーンが空に向かって突然吠えた。クラウディオと紅葉の耳にも届いた。
「——僕は……ボクは無事に戦える自信がない。対応できるか分からない。学校じゃ戦闘訓練なんて碌になかったんだ! きちんと訓練を積んだ人間が、対処法を知っていた方がいい‼︎」
厚い本の背表紙を握る手が、ブルブルと震えている。長くて細い猿の尻尾が、不安げに彼の体に巻きついていた。
「ショーンさん……」
オリーブ畑に深く立ち込めていた朝霧が、いつの間にか薄くなっている。
何層にも重なる雲の切れ目から、太陽の光が注ぎ始める。
辺りが少しずつ、明るく透明になってきた。
『総員、出動開始!』
オールディスの声がトランシーバーから聞こえた。出立の時間だ。
「ショーンさん!」
止まっていたエンジン音が、あちこちから再び鳴り始める。ペーターはショーンの肩を掴んだ。
「ショーンさん、まず自分でジブンの舌を噛まないことが大事っす! 戦いになったら歯をシッカリ噛み締めてください! そして決して目を閉じないこと。目を閉じたら、いざって時に逃げられなくなるっす!」
ペーターはそう言い聞かせながら、胸ポケットから葉っぱを1枚取りだし、ショーンに渡した。そして急いでギャリバーに跨がり直し……これから運転の再開だというのに、あろうことか彼は自分のヘルメットを外した。
ブルンッと、太く、たくましい野ウサギの耳が出てくる。
「大丈夫っす……何が何でも、貴方の命を守るっすよ」
まっすぐ天に向かって立たせ、ヒクヒクと耳介を左右に動かした。
これで全方位、どんな些細な音でも拾える。
「————リュカさんとの約束っすから!」
ドゥルン‼︎ と一際大きなエンジン音が鳴り響いた。
大地を再び駆け抜く音だった。
「切れた…………」
長く細く、菌糸のように伸ばしたマナが、 ぷつ と突如切れてしまった。
この感触は、おそらく《テルミヌス》の呪文だろうか。
せっかく真鍮眼鏡に見えない細さ──髪の毛の100分の1まで細くしたのに。
苦労が実らず、青年は深くため息をついた。
クレイト市のアルバの顔を一人ずつ思い出していく。
あの黒い猫狼の仕業だろうか。
警察に知られたとしたら、こちらもすぐ動かねばならない。
「…………行かなきゃ」
もうしばらく、青くて淡いキノコの光を鑑賞していたかった。
精霊たちに感謝の礼を述べ、有角族の青年は、黒いルクウィドの森を静かに立ち去った。




