1 旧友
【Arbor】アルバ
[意味]
・(蔦が巻きついた)東屋。亭。
・ルドモンドにおける帝国魔術師の資格名。
[補足]
ラテン語「arbor(木)」に由来する。日本語における東屋は比較的ガゼボに近い形状だが、「アルバ」は、木や鉄の柵につる性植物を巻いて木陰を作ることを目的とした構造物である。家庭用はアーチ型やサンルーフ型などの小型な arbor が主流だが、広い邸宅や大庭園になると温室の屋根のように巨大な arbor も存在する。
古代、ルドモンドの学者や魔術師は、宮廷庭園の東屋に集い、学問や研究を行った。
ツタの葉が鬱蒼と巻きついた東屋の柱と、一体に見えるほど、知に打ち込む彼らを見て、民衆はいつからか、彼らを東屋そのもの、【Arbor】と呼ぶようになった。
数千年の時を経て、アルバの名は、帝国魔術師の資格職として巷間に広まっているが、今もなお「帝国に仕える者」であることに変わりはない。
「素晴らしい働きだ、ショーン君! 証拠を見つけるとはね。さすがはスーアルバであるターナー夫妻の息子だ!」
「警部、ユビキタス先生はなんと仰っていますか?」
ショーンはクラウディオを無視し、浮かない顔をするブーリン警部に伺った。
ユビキタスの筆跡の魔術書、校舎の窓の残留マナ……これらは事件の証拠と云えるのだろうか。
「彼は現在、警察署にて拘束している……それより院長のハリーハウゼン氏を」
「————なんの騒ぎだね」
西区の自宅にいたヴィクトルが、ショーンたちの集まる校庭へ、警官に付き添われゆったりと現れた。彼が杖をつく姿は初めて見た。いつもより顔が青白い。
ショーンは胸の奥がジンと痛んだ。
「ハリーハウゼンさん、この魔術書がユビキタス・ストゥルソンのものか聞きたい。筆跡は彼のようだが」
「そうだ」
「では、なぜこの本があなたの病院の書斎にあるのかね」
「……彼は、私の古い友人だ」
ヴィクトルは、何者にも目に触れぬよう空を見上げる。
「ユビキタスは……サウザスで、最も聡明な学生だった。貧民街の出身だったが、学校中の誰よりも賢かった。彼は体内に多くのマナがあり……アルバを目指していた」
そんなこと全然知らなかった。この場にいる多くの——ほとんどがユビキタスの教えを受けている——サウザス住民たちが、皆初めて聞いた顔をしていた。
「彼は魔術学校へ行きたがったが、両親が許さなかった。……彼らにとって、自分の一人息子が帝都へ行き、魔術学を修めるなど……おとぎ話に等しかった」
「でも、魔術学校は18歳まで入学を受け入れています。それに大人になってからも……」
誰もが唇を閉ざす中、ショーンが思わず口を挟んでしまった。
「君は恵まれていた人間だ、ショーン」
ヴィクトルがゆっくりと微笑んだ。
「ご両親が移住してくるまで、ここサウザスで、アルバを実際に見た者はほとんどいなかった……当時の私たちにとっては、アルバも魔術学校もおとぎ話と同じ……空想上の存在だった」
多くのアルバはあまり町に姿を現さない。サウザスのような田舎町なら尚更だ。
「それに、確証はないようだが……彼は、己のマナが足りないと感じていた。アルバはおろか魔術学校にも落ちていた可能性が高いと……そう聞いている」
魔術学校にも入学資格があり、マナが一定量ないと入れない。何年も落ち続けて、諦める人間もたくさんいる。
「その本を譲り受けたのは、私たちが20歳の時だ。手元に置いておくと辛いが、捨てたくはないから取っておいて欲しいと」
まるで古い友人に触れるように、ヴィクトルが本の表紙をそっと撫でた。
「呪文のページに、鍵開けの絵が描かれているようだが……これはなんだね」
ブーリン警部がヴィクトルに尋ねた。
「それは昔からあったものだ。彼は自宅でよく窓の開閉の呪文を練習していた。本当はドアを開けたかったようだが、彼には複雑すぎたようだ」
単純移動呪文じゃ開かないドアの鍵開けは……鍵の種類にもよるが、かなり高等技術がいる。ショーンも試験勉強以外で実践したことはない。
「それは、役場の町長室の窓を、開閉するためか?」
「……私は何も知らない」
ヴィクトルは首を振った。
それ以上、何も答えない——。
そう意思表示しているように見えた。
その後、ヴィクトルは、警官に連れられ校庭から去っていった。ついでに涙を浮かべたアントンも。病院とヴィクトルの自宅には家宅捜索が入ることになった。
「——いやショーン君、お手柄だよ」
ブーリン警部がショーンの肩を叩き、声を潜めて囁いた。
「ユビキタスの自宅を探したが、何も見つからなかったんだ。助かった」
崖牛族の角と顎髭が、ショーンの羊角にグッと近づく。
「何も? 校舎や校長室もですか」
「もちろん。というより既に処分されてるようだった。幼少期や青年時代の物はおろか、町長時代の書類や証書も、何ひとつ残されてなかったのだよ」
「…………っ!」
ゾクッと、深い闇が稲妻のようにショーンを襲った。
今までに感じたことのない、真の深淵を見せつけられた感覚だった。
「ただ、昔に渡した本のことは、さすがに忘れていたようだな」
ブーリンは満足そうに、発見した【星の魔術大綱】の表紙を見つめた。
——忘れていた?
事件の前日に、ユビキタスはヴィクトルの書斎を訪問していたのに。
本当に?




