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3 もう帰る。お前も帰れ。

 午後11時になった。あと1時間で3月が終わる。ノア地区で流れる23時の時計の音は、森の神ミフォエスタを思わせる静かな音色だった。

「どういうことですか、犯人は都市長……?」

 ショーンは喉をカラカラにさせて、唾液のない声を口にした。紅葉は難色の顔を示し、ロビーは感情のない顔を浮かべていた。フェアニスは膝をかかえて眠っている。

『……ノアの貧乏人に悪人はほとんどいねえ。そこそこ小金を持った詐欺師が、権力者の顔して近づいてくる……』

 掃除夫の言葉が、半円の羊角のなかで反響していた。


「あの日、時計塔の内部に犯人がいたとして、俺たちは絶えず通りを監視をしているから、出入りするのは不可能だ。たとえ空から飛んできたとしても記録している。あるとすれば一つ、地下水道からしかない。万に一つの可能性があるなら、地下都市の住人が出てきたか、だな……」

 ヒヒヒヒと、カーヴィンは冒険少年のような声をあげた。冗談はよしてくれ、とショーンは一瞬思ったものの、

(——もしかして、地上から開けるには『大いなる力』が必要だとしても、地下から上へあがる分には必要ないんじゃないか? あるいは既に持ってるとかさ……)

 猿の尻尾が、静電気が起きたように逆立った。これは推理小説じゃない。今まで登場しなかった人物が、犯人の可能性だってある。

「ノアの役人は、地下都市の存在は知ってるんですよね。もちろんゲアハルト・シュナイダー都市長も! 地下にはまだ誰か住んでるんですか? モグラみたいな民族が!」

 カーヴィン・ソフラバーは顔をしかめ、はーっと長いため息をついた。酒もお茶も嗜んだ夜更け。手持ち無沙汰をなぐさめるものといえば、あとは煙草くらいだが、あいにく煙はギャリバーのエンジン点火以上の刺激や興奮は得られないので、所持していない。


「ゲアハルトの奴ぁもちろん知っている。だが、何者かが地下で生きて、文明を築いているかは……話題にあがったことはないな。可能性としては無論ありえる。だが考えたことはない。みな千年戦争の一時的な避難所として捉えていた。あくまで10数年前は、だが」

 カーヴィンは空想の煙の火を灰皿で消した。

「ゲアハルト都市長サマに直接聞いてもいいが、おすすめはしねえ。生きてる人間が一番おそろしい。ここはヤツの洞穴だ」

 洞穴熊族のゲアハルトがおさめる夜行性都市、ノア。

「死んだヤツを調べるほうが安全だぜ。エメリック・カッセルの身辺を調べてみろ。まあ、アルバ様がこの先やりてぇならだが」

 カーヴィンがシシシシと歯を噛みしめた。

「つまり……ノアでの捜査をあきらめろ、ってことですか」

 ショーンは、なかば脱力感におそわれていた。ここで得たものは多い。秘密の設計図のこと、地下都市のこと、【サウザスの秘宝】の意味――だが、人の死の真相の解決を、放りなげていくなんて。

「別にノアに行きたきゃ、好きなだけいればいいさ。だがキンバリー社はほどなく撤退する。命あるうちにな」

「え、撤退? 永久移住の約束はどうするんですか」

「知らん。時効だ」

 カーヴィンは再びゴーグルをかぶり、時計技師ダンデに戻った。


「待って、花火のことを教えてください、あいつは一体何なんですか!」

「知らんな。こっちが聞きたい」

「ゲアハルトと花火とエメリック・カッセルの3人は同じ仲間なんですか?」

「互いに面識はある。ノアの夜会サロンでよく会っていた。何の仲間かは知らん」

「なんで花火は僕の眼鏡を盗んだんだ。ラン・ブッシュもゲアハルトと繋がってるんですか? ランが時計塔で探してたものは何だったんですか!」

「知らねえよ。自分で調べろ」


(クソっ! もし地下水道が犯人の侵入経路だったとしたら、証拠が残っていたかもしれない。でもランが放火して現場が混乱し、大勢の人々があの水道から逃げていった。あれは、ランの思惑どおりなのか……?)

「モグラっていえばさ、光るモグラの呪文……《グングニル》だったっけ、あれでぶっ壊せない?」

 ショーンの考えこむ背中に、紅葉がぶっそうな提案を刺した。



「あ、そうだ、秘書……キューカンバーさんが採用された理由について、飛べる必要があったのはなぜですか? これならご存知のはずですよね」

「ああ、そりゃー空から逃げるためだな。1層の玄関が封鎖されても、塔のてっぺんから逃げられる人材が欲しかったのさ。爺さんを担いで飛べるような、屈強なヤツをな」

 ダンデは飛行艇ゴーグルを掛けながら鼻歌を鳴らし、びゅーんと空飛ぶポーズをとった。

「そう……ですか」

 なんてことはない、『避難』というごく普通の理由だった。


「はーっ、知っていることは充分話したぞ。もう帰れ。俺も帰る、兄弟のところに」

 時計技師ダンデ、いや、ギャリバーの創始者カーヴィン・ソフラバーはついに帰宅を促した。

「……分かりました。僕らはクレイトに向かうことにします、ランとノアも追わなきゃいけないし」

 うむ、と老人は静かにうなずく。

「つきましては一つお願いがあるのですが——僕はアルバとして、ラヴァ州外での活動するために、権力者の方々の紹介状がいるんです。本来はこの事件を解決して、ゲアハルト都市長から頂くつもりでした。でも、こうなってはムリでしょうから、キンバリー社の方からお墨つきをいただけないでしょうか」

 ショーンは胸に手をあて、頭を垂れた。

「ほほう、アルバ様も大変だな。ま、ソフラバーの名を使うかは分からんが、キンバリー社の中から見つくろってやるぜぃ、これも何かの縁だ」

 互いに疲れきっていた老人と青年は、フフフと軽い笑顔を交わした。

 皇暦4570年3月30日、午後11時18分、ようやくショーン御一行は雑居ビルを後にした。



「ちょっとそのへんで休むわ……後で会いましょ」

 外へ出たとたん、フェアニスは霊魂のようにフラリと北へ消えていった。ラン・ブッシュについて聞きたかったが、しょうがない。

 南の1区へ向かいながら、残りのメンバーで作戦会議を立てる。

「さて、これからどうします」

「イヤな予感がする。今日中にノアを出ようと思う」

「じゃあ、僕もまっすぐ州鉄道の深夜便でサウザスへ帰りますよ。荷物はこれで全部ですし、クレイトにはフランシス統括長経由で連絡します」

 ここ数日、世話になったロビー・マームとは、バターが切れるよりも早くあっさりと別れた。

「マームご夫妻によろしくね~」

 サウザス地区の役場職員は、革のアタッシュケースを手に、工場けむる夜の石道を去ってゆく。彼の背に、紅葉はなけなしの餞別を送った。


 ショーンと紅葉も早足で、都市長の屋敷へ帰宅した。

 なにげない顔で玄関のメイドに挨拶し、こそこそとゲストルームの荷物を詰め、裏手の倉庫の奥にいたギャリバー【ニーナ号】の整備をしていると……

「お帰りですの、ずいぶん不在が長かったですわね」

 ゲアハルト都市長の娘、ベルゼコワ(本名 ペトラ・シュナイダー)が、倉庫へコツコツとやってきた。天まで届く長いまつ毛は、鋭い目つきを隠している。

 彼女のフリルだらけの黒いゴシックドレスは、白い埃が舞っている倉庫に、あまり似つかわしくないものだった。

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