3 人たらしめるもの、ギャリバーたらしめるもの
「ほう……なかなかに素敵なご自宅ですね。シュナイダー都市長より趣味がいい」
「わっはっは。都市長サマより褒めてくれるたぁ、とんでもねえこと言うねえ、世話になっているんだろ?」
ロビー・マームが通された、時計技師ダンデ・ラインボルトのご自宅は、まるで工場の博物館のような空間だった。
到るところに作りかけの工具類と歯車が散らかり、壁紙は紺色の星空。銀色の星々の間に、謎の機械の設計図や、ギャリバーのカタログ図鑑、船の絵画が飾ってある。
ダイニングテーブルは、大きな壁時計が横に寝かされ、中身を外にさらされたまま、手術が終わるのを待っていた。テーブルの端っこには、ネズミの尻尾シチューやポークビーンズの缶が、食べかけで汁がついたまま積み重なっている。
棚には多くの工具や歯車に混じって、何枚かギャリバーの長距離大会の優勝者や、飛行機乗りの写真が飾ってあったが、家族写真は見あたらなかった。
「自宅でも時計修理のお仕事ですか? 技術職の方は大変だ」
「いや、何、趣味よ。バラすのが好きでね。まあ、立ち話でもなんなんだ。お茶にしようぜい」
時計技師ダンデは散らかった台所から、ちゃぽちゃぽと酒瓶を取り出した。赤い実バーベリーが描かれたラベルのジンだ。
「これはありがたい。 オレンジベルモットを入れてマティーニにして下さい」
「ねえよ、んなもん。黙って飲め」
ダンデは2つのショットグラスに注ぎ、グラスの縁ギリギリまで注いだ方をロビーによこした。ロビーは、「いただきます」と勢いよく腕を伸ばし、一口で飲み切るかと思いきや……ちょこっと唇をつけただけで、テーブルに置いた。
「ありがとうございます。美味しかったです」
「フン、冷静だねい、さてお姫さまの様子を見ようかね、いつまでも晒し者じゃあかわいそうだ」
時計技師ダンデは酒に手をつけず、哀れ、外壁に突っこんでしまったニーナ姫を救いだしに外へ出た。
「いやあ、ありがたい。なんて親切なんだ。僕はこの居心地のいい空間でくつろがせて頂きますよ」
ロビーは自宅内にとどまろうとしたが、黙って背広を引っぱられて、一緒に連れ出された。
「あー、フロント部は全部取っかえだな、コリャ。ノアに【A-27号】の在庫があるかあ怪しいとこだが。まあ、ライトとタイヤは【A-32】と同形だし、フロントカバーはゴロゴロあるアーバン型から、レモンデイジーに塗り替えりゃー楽勝よ。よーしよし大丈夫だぜぇ、ニーナちゃん。何、ちょっとお化粧を変えるだけだ」
ダンデは、キイキイと泣くニーナ嬢をなぐさめながら、ナットでこじあけて解体を進めた。
「そこの大男! 跨ってニーナちゃんを抑えとけ、重石がねえとうまくネジが回ンねえ」
「はいはい。ところでフロントを取り替えるのはお化粧といって良いんですか? 別のニーナ号になってしまうのでは」
ロビー・マームはダンデの指示に従いつつ、先ほどからの疑問を口にした。
「いやいや、エンジンが変わんなきゃー同じギャリバーよ。ギャリバーを同一のギャリバーたらしめているのは、このエンジン機構部! エンジンが同じなら、同一固体のギャリバーといえるんだぜい」
時計技師ダンデが意気揺々とスパナで肩を叩いていたが、ロビーは「へえ……」と生ぬるい返事をかえした。
「何だい、なんか文句でもあるのかい?」
「不満というほどでも無いですが……僕を僕たらしめているのは、この脳みそと筋肉ですよ。ギャリバーのエンジンは、人間でいうところの心臓でしょう? 僕はたとえこの心臓が別の心臓に置きかわっても同一固体であるといえます」
ノア都市の太陽光が急激に落ち、春の寒風がメサナ4区に吹きはじめた。
「なるほどな。ンだがギャリバーのエンジンは心臓じゃねえ。ソフラバー兄弟の……いや、カヤン・ソフラバーの脳みそなんだ」
ダンデの語気は少々怒りをはらんでいたが、分厚い空挺ゴーグル越しだと、真の顔立ちは確認できなかった。
「ハッ、ハッ、こ、ここ、何階?」
サロンの捜査を諦めて、花火を追う方針に決めたショーンだったが、思わぬ迷宮に入りこみ、足を止めてしまっていた。
ここ『タバサのビューティーサロン』は、ビル内に案内看板がなく、小さな部屋が様々な大きさで凸凹に突き出てつくられており、半階段の数も尋常ではなく、突入後の兵士を餓死させる奇城のごとく、ショーンの行き先を惑わせていた。ご丁寧なことに窓もなく、壁は一面マンダリンオレンジのタイル、タイル、タイル、タイル…………
ショーンは果たしてビルの中にいるのか、それとも超巨大な部屋をグルグル回っているのか、もはや分からなくなっていた。
「くそおおおっ、何で四角いビルの中でこんなに異常に迷うんだよ! ここはゴブレッティの設計か⁉︎」
「いいえ、ここは舞台芸術で有名なエメリック・ガッセルの設計したビルですのよ、お客様」
半泣きで叫んだショーンの背後から、鐘が鳴るような鈍い金属の音に近い声の持ち主が、ビルの情報を伝えてきた。
「あ、貴女は……っ!」
小麦色の肌に、金属色の大胆カットのスパンコールドレスで、一世を風靡したファッショニスタ。
ビルの壁に描かれた姿とほぼ同じ……いや少しお年を召した姿であったが、
ノア地区出身、桃白豚族のタバサ・ジュデがそこに立っていた。
「こ、これはこれは、タバサオーナー。とても素敵なサロンで……えへへ」
彼女はすでに60に近い年齢のはずだが、頬は不自然なほどにピンと張り、手や首元は鱗状のアクセサリーをジャラジャラつけて、花火以上に年齢が分からなかった。
「あなた、サウザスのアルバ様でしょう。オーレリアン君から聞いてますわ、当サロンをお調べにいらしたのかしら。捜査令状をお持ちで?」
「令状? いや、そんな…令状なんて……」
花火のようなにこやかな牽制もなく、タバサオーナーは初手で厳しい一手を打ってきた。
「申し訳ありませんけど、大富豪キアーヌシュの死の目撃者にウロウロされるとサロンの評判に傷がつきますの。今すぐに出ていって下さいません?」
「……う、」
彼女の目は、ハッキリと排除の意思を示しており、客ウケのいい温和なサロン店主ではなく、冷徹なデザイナー職人の雰囲気を漂わせていた。花火と仲が良いとのことだが、ショーンに対して同じ方向性ではないらしい。
「さ、こっちにいらして。お出口まで案内しますから」
厳格な教頭のように、ショーンの背中を押さえ(元の背丈とヒールで、ショーンより20cm高かった)歩き始めた。
彼女は、はたして会員1号である花火がサロン店員を買収し、好き放題していることは把握してるのだろうか?
しかし、ショーンは指摘する気にもなれず、尻尾を丸めて、すごすごとタバサに降伏し、肩を落としたところ——バタバタと円猫族の秘書らしき、ぽっちゃりした女子が駆け寄ってきて、オーナー社長に耳打ちした。
「タバサ社長、大ニュースですぅ!…………っとのことです」
「どうしたのナツコ…………それ本当? いけないわ」
「ワタクシ、関係カクショへ聞いてきまっす!!」
円猫族の秘書ナツコは、黄色とピンクのグラデーション髪を振り乱して、サロンのタイル壁へと消えていった。
「失礼、事情が変わりましたわ、アルバ様。少々お話があるのですけど、お付き合いして頂けませんこと」
タバサは、金属が擦りあうような声をガラーンと鳴らし、ショーンの方へ向き直った。
すっかり花火からタバサへ、相手にするべき目標が移ってしまったようだ。
1羽の兎を追うのはかくも難しい。




