3 あるいは死神か
3月28日火曜日、夜9時5分。
ノア役場裏の時計台の周りは、ランチ休憩をとる夜行性民族の会社員と、仕事終わりに腰をくっつけ語らいあう昼行性の恋人たちとで、それなりに混み合っていた。
紅葉は情報を出すべきか迷っていた。長い髪が夜風に揺れ、唇に髪が数本かかる。しばらく迷ったあげく、なるべく人に聞かれぬよう限界まで近づき……耳打ちすることにした。
宿敵フェアニスリーリーリッチの耳たぶに、顔を寄せる。フェアニスは茶化すことなく沈着した様子で顎をすこし下げ、紅葉の太鼓隊の服を見つめていた。
「大富豪と仲が良かった時計技師が、とある情報をくれたの……大女優の花火を調べろと。彼女の自宅レストランに潜入して突き止めたんだけど、花火は大富豪が先導していた『ノアの大工事』について、とある重大な秘密を知っていたの」
「へえ、秘密ぅ? 1日でだいぶ進んだじゃーん。秘密って何よ?」
「ノアには岩盤の下に秘密の地下都市があるみたい。そこへ行く方法かなにかだと思う」
「は?」
「地下都市——ぃっ!?」
ショーンはすっとんきょうな声を上げ、女性2人から腐った汚物のような目でにらまれた。アルバ様は慌てて口をふさぎ、女性陣に尻尾を向けて時計台のほうに体をひねった。
時計台は、ノア岩盤を模して作られている。
この台形状の固い岩盤の下に地下都市なんて、一体どこに、どうやって?
「ったく――意味不明なんだけど。地底にモグラの民族でも棲んでるっていうの? それとも大昔に滅びた古代文明?」
「それは分かんないよ、とにかく……」
「もういい、なるべく早く解決してッ! 明日もこの時間に集合ね! いいッ?」
いきなり歴史ロマンの謎を聞かされたフェアニスは、イライラを隠しもせず、高圧的に命じて去っていった。
「……地下の古代都市って何?」
「もういい、聞かなかったことにしてッ!」
フェアニスとそっくりな口調で紅葉も叫び、静かにノアの夜が更けていった。
3月29日地曜日、朝7時。
ノアに来てから約5日目、深夜の到着を勘定に含まなければ、実質4日目の朝が始まった。
「おはよう、ショーン」
「あーっ、どんどん写真が薄くなってる! くそっ、ムダな時間を過ごしすぎた!」
「そう……良かったね」
紅葉はむくんだ顔で、ベッドに出る気力もないまま適当に返事をした。サウザス、クレイト、ノアと、立て続けに事件続きで、肉体的にも精神的にもかなり疲労が蓄積している。
「おっと、大丈夫か、紅葉」
ショーンは林檎を噛じるかのような手軽さで、気力回復呪文 《トード・イン・ザ・ホール》をパパッとかけ、日課である髭剃り呪文 《シェイビン・ベイキン》を自身にかけた。
「ありがとう……ちょっと回復したかも。呪文、そんなにたくさん使っちゃっていいの? 今日あたり、また大変なことが起きるかもしれないよ」
「これくらいなら別に平気さ。んーと、2000分の1くらいしか使ってないよ、多分」
ショーンは何でもないように尻尾を振り、温かいコーンコーヒーを鼻をつまんで一気に飲み干した。
アルバは命の危機が迫るほど、マナが増大し、強力な呪文が打てるようになる。サウザス、クレイト、ノアと、立て続けに事件続きで、ショーンの体内には甚大な量のマナが蓄積していた。
「今日の予定はどうする? ショーン」
「時計技師のダンデさんに近づこう。キアーヌシュのことも何か聞けるかもしれない」
「うん、花火のほうの捜査もする? また二手に分かれようか」
「ダメだよ! 今日あたり、また大事件が起こるかもしれないし、分かれたまま危険な目に遭うのはもうウンザリだ!」
「……そう……だね」
そうして2人で1つの兎を追いかけてるうちに、捕まえるべき多くの兎に逃げられる不安は、心のどこかに常にある。
紅葉は納得しないまま、けれど、仕方なくボスの言うことに従った。
「すみません。時計塔の整備技師の人たちって、どこから出勤されてるか教えてくださいませんか。オーレリアンさん」
「あーなたたちね、そんな用でイチイチこの神聖なる都市長室を頼るのをやーめなさい、仕事のジャーマでーす!」
ノア都市長ゲアハルトの昼秘書、オーレリアン・エップボーンが、朝食に持ってきたサラダボウル弁当をフォークで刺しながら、ずうずうしいアルバ様に注意した。
「教えて下さい、お願いします。僕ら出勤場所を知らないし、それに住所を知ったところでコネも無しに生身でいったら、追い出されそうじゃないですか!」
「ほーっほほ、よーっくご存ーんじで! あの塔の時計機構はノアのトーップシィクレーッなーんでーすよ。部外者と接触なんて御ハアーットなのでーす」
「そこを何とか紹介して下さい、お願いしますよっ」
帝国内では地区長よりも、地位が高いはずのアルバ様は、床に額をつけんばかりに頭を下げて懇願した。
「別に僕らは時計機構について詳しく知るつもりはありません、技師の人たちからお話を聞きたいんです、大富豪の事件解決のためなんですって!」
「おーだまりなさい、それならノア警察と協力して聞いてくればいーでしょーう。まーた都市長が介入するのはまーっぴらです、これを読ーみなさい!」
オーレリアンは、女性の半尻がむき出しの表紙のゴシップ誌を、秘書室の机にたたきつけた。
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【サウザスを救ったアルバ様は救世主か? あるいは死神か?】
『サウザス出身のアルバ、ショーン・ターナー(20、羊猿族)。彼は大富豪キアーヌシュ・ラフマニー(故・77、腰猿族)の死を目撃した悲運のアルバだ。彼の行く先々で事件は起こる、サウザス町長の失踪、州列車の爆破事件、そしてトレモロ神殿の火災事件も……』
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ショーンは記事の内容より、昨日、警察署のまえで野菜バゲットを購入している写真が載っていたことに胸が固まった。購入後、急いで道路を渡る姿、警察署に駆け込んでいく姿が掲載されている。
記者が張ってたなんて、まったく気づかなかった。
「とにかくッ、あなーたはウワサされている存在です。それも悪いほーのね。これいじょー、ウチのゲアハルト都市長の評判を下げるような行為は慎みなさいッ」
「……で、でも、僕はいま都市長のお屋敷でお世話になってて……」
「いーからとーっとと出てゆきなさい、この死神ッ」
都市長秘書オーレリアンにフォークで髪をつっつかれ、御一行はあえなく追い出された。
半裸女のゴシップ誌を抱きしめて絶望するアルバ様の背中を、温かい大きな手がぽんと降ってきる。
「仕方ないですね、電信室に参りましょうか」
今まで無言で後ろに控えていたロビー・マームが、ついてきなさいと先導して歩き始める。
「で、電信室へ? 誰と連絡を取る気だよ」
「誰って、決まってるでしょう。ラヴァ州に存在する地区長は、ゲアハルト・シュナイダー氏だけじゃあないんですよ」
サウザス地区長、オーガスタス・リッチモンド氏の懐刀は、何でもないように肩をすくめた。




