2 明日死んでも代わりはいるもの
「…………っ」
花火の元から盗み出した冊子は、妙に禍々しいオーラを放ち、冥府王の呪物のごとく鎮座していた。
「とりあえず開いて、いやダメ、紙同士がけっこう固まっちゃってる……」
最初の1ページ目に描かれていたノア岩盤の地下都市、それ以降のページは経年劣化で張りついていた。
紅葉はいったん冊子から離れ、本屋で買った大富豪キアーヌシュのインタビューが載った古雑誌と、花火の名刺を見比べた。
「ソフラバー兄弟がギャリバーを発売したのは32年前」
「花火が女優業を引退してノアへ来たのは28年前」
「大富豪キアーヌシュが『守り人』になったのは17年前……と」
紅葉は、時系列をノートに書きつけつつ考えこんだ。
「キアーヌシュが今年77歳で、花火が70歳か。特に年齢も活動時期も重なってるわけじゃない……でも2人はきっと何らかの関係があるはず……」
『ノアの大工事っちゅうんは、北側の岩盤と同じように、南側を均等にならす工事ちゃっちゃ』
水道局員のベゴ爺さんから地下水道で聞いたことを反芻させた。
土地を均等にするっていうのは建前で、
ノアの大工事の真の目的は――
この地下都市を見つける、
または、光の線を見つける、
あるいは、光の線を建設するための工事だろうか。
「時計技師のダンデさんなら何か知ってるはず……直接会って話を聞かないと、」
「ショーンさまー、ショーン様はいらっしゃるかしら」
「……!!」
都市長の娘ベルゼコワが急にゲストルームの扉をノックし、紅葉は慌てて飛び上がった。
「ごめんなさーい、ショーンはまだ帰ってないみたいなの!」
「まあ残念。では紅葉さんだけでも、ご一緒に朝ご飯はいかが? 冥府王の宴の残滓を供にしましょう」
「ありがとう、ベルゼコワ。今、いくねー」
時刻はいつの間にか夜7時を回っていた。
ドア越しに返事しながら、テーブルに広げたブツを急いで紙袋にいれ、鍵つきのトランクにしまい、ベルゼコワの遅い朝食に付きあうべく部屋を出た。
晩餐会場のような食卓に到着すると、兄ジークハルトが片隅でコーンコーヒーを飲み、ビスケットを摘みながら数学書を読んでいた。
ベルゼコワには、クルミ入り白パンと芋虫サラダと冷製スープ、紅葉には蒸したジャガイモに、仔牛肉と人参シチューが目の前に置かれた。
「昼間、お出かけしていたと執事から聞きましたけど、あれから何か事件の進展はありまして?」
「ううん。警察の事情聴取だけで1日がかりだったの。特に何も起きてないかな……」
このシチューは本来、彼らの夕飯として出されるものなのだろう。まだ仔牛肉の筋が固く、一口噛むごとに歯に挾まる。
「リアリィ? みなさん1日中警察署にいたのですか」
「ううん。私はずっと署内にいたわけじゃなくて、街中をあるいて散策したよ。まだノアの都市に慣れてないし、土地を覚えなきゃと思って」
ジークハルトがこちらをチラリと見て質問してきたので、紅葉はジャガイモを飲み込みながら早口で答えた。
「そうでしたのね、でしたら任せてくださいまし。わたくしが都市の奥の奥まで案内しましょう」
「ごめんね、今夜はちょっと疲れてるから……」
「あら失礼、では、わたくしのお部屋でお喋りしましょう。お友達がお部屋にくるなんて12年ぶり以来かしら! わたくしの儀式用コレクションたっぷり見ていって下さいまし、ふたりで冥府王へ誓いの祈りを捧げましょうよ!」
「ごめん。それもちょっと……ショーンが戻るまえに、事件の報告書を作っておきたくて」
あの冊子をじっくり調査したかったし、それに今夜はまだフェアニスと夜9時に待ち合わせをしている。
「もう、何なの、ああ言えばこう言うでつまんないったら! ひとりで出かけますわ、さよなら!!」
「ご、ごめん、ベルゼコワ……!」
紅葉の謝罪を最後まで耳にすることなく、ベルゼコワは朝食の最中だというのに、食べかけのまま食堂を出て行ってしまった。
まずい、さすがにもうちょっと構うべきだったか。『町長のお子さんには媚びておくべき』がショーンの大切なモットーだというのに。
「ドントウォリ、紅葉さん。妹はモノトーナスな日常に飽きているだけですよ。就職でもすればいいのに」
ジークハルトは数学書から目を離すことなく、淡々とビスケットを咀嚼している。
「ありがとう、ジーク君。帰ってきたら、ごめんねって伝えてもらえるかな?」
「ええ、オフコース」
紅葉は自分の振る舞いを反省しつつ、ベルゼコワが残していったクルミ入りの白パンをムシャムシャとたいらげた。
「もう9時になる、まずい……!」
「ずいぶん聴取にかかりましたねえ、もっとゆっくり歩きましょうよ」
「ダメだ、この時間に待ち合わせしてるんだよ!」
ノア都市は、自分で時計を持たなくても全く不自由しないほど、建物や屋外のあちこちに時計が掲げられているが、だからといって必ずしも時間に間に合う生活を送れるわけではない。
ショーンはあせって駆け足で向かっていた。
ロビー・マームは片眉をちょいとあげ、ショーンのだいぶ後から、付かず離れず歩いていた。
フェアニスリーリーリッチと待ち合わせの時間まで、10分を切っている。場所は『時計塔』ではなく『時計台』——建築家ゴブレッティが設計にたずさわったという、役所裏にある鳩まみれの岩盤オブジェだ。
ようやく役所のビルにたどり着き、裏手にある円形舞台、そして舞台の中央にある時計台の姿も見えてきた。
「夜なのにけっこう人多いな……うまく話せるかな?」
夜の時間を楽しんでいる昼行性民族と、いつもの時間を過ごしている夜行性民族たちが入り交じり、昼間よりむしろ混んでいた。
「フェア……いた!」
フェアニスは、時計台の縁に体を預けて、待っていた。
蒼い鷲の羽を広げ、麺のような髪を風になびかせて佇んでいる。金色の鋭い瞳を薄く閉じ、どこか遠くに心を飛ばしたような、深層の記憶を見つめているかのような表情をしていた。
「…………あの……」
このまま話しかけず、彼女の様子を見てみたいと思い、踏みとどまった。謎多き女、フェアニスリーリーリッチの秘密が何か分かりそうな気がする。
「ショオオオーーーン!」
紅葉が南の奥から叫んで駆け寄ってきた。それと同時に時計台の夜9時の鐘が鳴り、舞台にいた人々の何割かが立ち去り、人の動きがあった。
「あ、ああ……ああ、来たのね、あんたたち。遅いじゃない」
フェアニスはカリカリと髪をかき、ショーンと紅葉の背後に控える人物に気づいた。
「そいつは何なの? そいつがいたら話さないわよ」
「ああ、ロビー・マームっていうんだ。サウザス町長の付き人で……ごめんロビー、彼女は情報提供者みたいな人で、席を外してくれるか?」
「はいはい、その辺に座ってますよ。僕の視界から外れないところに居て下さいよ」
彼は肩をすくめて円形舞台の客席に向かい、恋人たちが集っているど真ん中に堂々と腰かけた。
14時間ぶりに再会したフェアニスリーリーリッチは、ピザ屋の制服をぬぎ、イエローのワンピースにカーキ色のジャケットを羽織っていた。ゴムソールの靴をトットッと鳴らし、蒼い鷲の翼をバサリと揺らすたびに羽毛が落ちて、ショーンの服に静電気でくっついてくる。
「はー、そんで? さっさと状況を報告してよ、進展はあったの」
「えっと、僕の方はあまりなくて、警察から一日中、事情聴取を受けていたから……紅葉はどう」
「私が話す前に、ひとつ知っておきたい――あんたは大富豪を殺した犯人を知りたいの? それとももっと事件の裏の、包括的なことが知りたいの?」
紅葉は組織という言葉を出さないよう、『包括的』というワードを強調した。
「うん? 勘違いしないでちょうだい。別に大富豪殺しが誰かどうかなんて興味ない。フェアニスはねー、アンタたちの能力をみて取引すべき相手かどうか見極めたいの、そんだけよ」
彼女は指をさしながらショーンと紅葉に伝えた。納得できそうでできないような、引っかかりを覚える発言だった。
「じゃあこうして中間報告する意味ある? こちらが真相を突き止めて、すべて白日のもとになってから報告してもいいじゃない」
紅葉も一歩も引かなかった。解せない疑問を潰す必要があった。
「はぁ~? あるに決まってんじゃん。フェアニスが明日死んでも、別の誰かに情報を引き継げるでしょっ」
時計台に腰掛ける女は、フフン、と冥府の泉を覗くような生意気な笑みを浮かべ、蒼い翼を大きく広げた。




