4 ノア銀行へ、再び
3月28日火曜日、時刻は午後2時30分。
「ズビッ、ずびっ、ずびっ」
「……………あの」
「ええ、お構いなく。ズビーッ」
ノア警察署、第4取調室。ショーンが取り調べを受けていたのは、ヴェルヌ・ビネージュ警部、ではなく、土鼠族のデタ・モルガン刑事だった。彼は鼻炎が酷いようで、しょっちゅう鼻を噛んでは、そのたびに聴取が中断してしまう。
「ええと、先ほどの話の続きですが……秘書のキューカンバーさんに、昼過ぎに『時計塔』で会わせてくれると言われて、塔周囲のベンチでランチを食べながら待っていたんです」
「ズビッ、何とベンチでランチ? なかなか面白いことを言いますなあ!……ッ、ズビーッ!!」
彼は鼻炎のほかに笑い上戸でもいるらしく、ショーンが冗談のつもりのない言葉に、いちいち笑っては、真っ赤でカピカピの鼻をかんでいた。
ただでさえ内容的に長くなりそうな事情聴取に、彼が采配されたのは、ビネージュ警部の嫌がらせだったりするのだろうか。
「でですね……」
「ファッ、クシュイッ! ズビーーーーーッ!」
ショーンはその場でのけぞり、昨日、警部にムダに立てついたことを激しく後悔していた。
「ええと『峯月楼』に直接行くより、まず銀行へ行ったほうが見つけやすいかも……」
紅葉は猛烈な勢いで両手を大きく振り、警察署のある2区を出て、時計塔の円周通りを歩いていた。
花火オーナーのレストラン『峯月楼』は、知る人ぞ知る名店らしく、裏道通りの裏の裏を通っていった記憶がある。たとえ銀行からでも無事にたどり着けるか自信がないが、そしたら虱潰しに探すしかない。
「身軽だなー、こんなに手ぶらでいるのって久しぶり」
すっかり【鋼鉄の大槌】の重さが染みついていた紅葉は、いつもより体が機敏に動くのを感じ、これなら店探しも楽にできそうな気がして心がはやった。
紅葉は可憐な少女らしく、肩を大車輪のようにブン回しながら、大股で時計塔の横を闊歩し、3区の区間道路へと入っていった。
「ボス、帰ってきました、あの子が例のアルバの連れです!」
「お、へー、勇ましいベッピンさんじゃねえの」
「アルバや男秘書と別れて、ひとり3区の方へ向かっていますね」
「ようやくアレを読み解いてくれたのかねぇ」
空挺ゴーグルをつけた謎の人物は、クク…と笑って双眼鏡を顔から外した。
3月28日火曜日、時刻は午後3時10分。
「ふー、何度見てもここの銀行は威圧感あるね。サウザス役場より大きいんだもの」
3区の建物で一番大きな、ノア銀行の玄関広場に到着した。見慣れた地元のサウザス銀行がまるでおもちゃの塔に見える。巨大な建物の影で肌寒さを感じ、肩をすくめて両手をポケットの中にいれた。
「中に入ってみようかな……うーん、後でいいか」
紅葉もいちおう銀行口座を持っており、ラヴァ州の人間ならば、同州の銀行ならどこでもお金をおろすことが可能だ。もっとも引き出すようなドミーはないし、こんな城のような銀行に入る勇気も時間もなかったが。
「ねえ、聞きまして? キアーヌシュの死でキンバリー社の株が大幅下落で……」
「大工事はどうするんだい! ええ、止まるのか!? 続けるにしても誰がカネを出すんだよ!」
「いったい遺言はどうなっているんでしょうね。シュタット州へ資産の大部分がわたってしまったら、ノアの財政に多大なる影響がでますよ」
銀行周囲の噂話は、大富豪の死で持ちきりだった。行員や知人に愚痴っている金持ちがあちこちに出現している。
(大富豪は生きてるだけで1日1イゴが湧いてくる、だっけ……そっか、亡くなったらノアの税収から消えちゃうのか。大工事も中止になるかも)
紅葉は、しばらく両手をポケットにつっこんだまま、待ち人のふりをして、周囲へ聞き耳をたてていた。妙な緊張感で頬に汗が流れていく。花火のことも大事だが、ここで情報収集したい欲も出てきてしまった。
(どうしよう……もう一人仲間がいればな……)
「み、な、さ、ま! どうです、ノアに変革の時が訪れてますぞ! 財政が不安? 先行きが不透明? ノア銀行では今こそ皆さまの財貨の安定と安寧を得んと、特大キャンペーンを打ち出しましてぇーー!」
銀行の広報部長イヴァーン・ペトロヴィッチが、大量のチラシとポスターをもって突然現れ、金持ちたちに配り始めた。礫石を齧るような商売強さを感じる。
金持ち連中の噂話は、たちまち投資キャンペーン一色に変わってしまった上に、イヴァーン部長に自分の存在がバレたら面倒だ。紅葉はすみやかにその場を離れ、銀行の裏手に回った。
ノア銀行の裏手は、銀行員専用ドアとなっていて、大型四輪車や銀行用のギャリバーが並んでいた。紅葉はギャリバーの車種を確認し、思わず息をのんだ。
(わ、すごい、B-14型【アラン】が10台もある!)
アーバンギャリバー、B-14型【アラン】。
都市型に特化した高級ギャリバーだ。上体を極限まで細く小さくそぎ落としたデザインで、価格も燃費も非常にお高い。サイドカーを取りつけるのは野暮とされ、クッション付き後部座席のみのオプションとなっている。
甘く溶けたダークチョコレート色が定番色で、銀行の駐車場にもピカピカの焦茶色がズラリと並んでいた。
(たしか細いぶん安定性に欠けてて事故が多いんだっけ。価格の半分が保険料だって言われてる……)
つい薀蓄をたれていると、専用ドアから誰か出てきて、紅葉は思わずギャリバーの陰に隠れた。
銀行から出てきた人物——それはロビー・マームの友人で、朱犬族の銀行員、エドウィン・リバレッヂだった。
カーキ色のストライプスーツに渋いワイン色のシャツに身を包み、先日会ったときよりも前髪をカッチリ固め、目つきはより鋭く、駒鳥の巣で獲物を待ち受ける蛇のような瞳をしている。
紅葉は本能的に1、2歩下がり、息を凝らした。
エドウィンは本革の書類ケースを右手に持ち、裏道へ……おそらく『峯月楼』に向かうと直感し、彼に知られぬよう気配を消して後を追った。




