3 人はいくら他人を糾弾したところで、自分も似たような過ちを行っている
ノア銀行——
ラヴァ州で最も総面積と人員が多い銀行、いや帝都以外の州と比べても、5本指に入る規模かもしれない。
ルドモンド大陸の銀行特有の、ドーム屋根の青い塔、その左右から白磁色の両翼棟が伸び、さながら城塞のような雰囲気を漂わせている。内部は深い紺碧色の壁紙が貼られ、金のカナリア色の装飾模様で縁どられており、落ち着いた雰囲気のなかにも、華美な印象づけに成功している。
行員には大部屋を仕切った半個室が与えられ、太く長い何百本もの電気配線が部屋の中央を走っている。各人には電信機が割りふられ、昼夜問わず顧客の我儘に対応している。左手で電信機の鍵を叩き、会話を進めながら、右手で算盤の玉をはじき、書類作成をこなしていくのが、ノア銀行に勤める一流行員の嗜みといえよう。
昼の12時をまわり、そろそろ昼休憩という時間に、ポポポポと、エドウィン・リバレッジ行員の机の赤ランプが小さく鳴った。彼は来季のドットシー社の融資額表を作りながら、デスク上で左手を滑らせ、電信機のスイッチを入力した。
『エドウィン、ごきげんよう。わたしの資産表を持ってきて頂戴』
『花火様、お久しぶりです。30日にイヴァーン部長が総出で伺いますよ。毎月のことでしょう』
『あら、貴方に持ってきてほしいのよ。分かるでしょう、夕方4時に店で待っているから予定を開けてちょうだいね』
相手の都合も聞かず、大女優からの電信は切れてしまった。
朱犬族のエドウィンは、苦笑しながら手鏡をとりだし、ゆるくウエーブがかった夜明け色の前髪を櫛でととのえ、席を立った。
3月28日火曜日、時刻は午前12時30分。
「アルバ様、着きましたよ。ここが警察署です。係りの者に案内させます」
「わー、少し待ってください、これから事情聴取なら腹ごなししとかないと……!」
ショーンは急いで、警察署のはす向かいにあったパン屋のワゴンで、1メートルもある野菜バゲッドを買った。20cm分をパン切り包丁で切り分けてもらい、むしゃむしゃ立ち食いしながら警察署の窓口で案内を受け、食べ終わる頃に上の階へと消えていった。
残された紅葉とロビー・マームは、署の待機所の褪せたベンチに座り、手垢のついた本棚の前で、残りの80㎝のバゲッドを——ニンジンとセロリとケール葉しか入っていない、純粋な野菜のみで勝負している——バゲッドの味気無さを我慢し、無言でモシャモシャ消費した。
「ふう、ただの菜っ葉とパンでも、こんだけ食べれば胃に溜まるもんですね」
「そうだね……なんか『ラタ・タッタ』を思い出しちゃうな……太鼓隊の出番の前に、こういうので軽くお腹を満たしたっけ」
紅葉はノスタルジーに耽りながら、パンの包み紙をまるめてゴミ箱へ捨て、ロビー・マームはふと思い出したように、顔をあげて指を弾いた。
「そうそう、ノアに来る数日前に、太鼓隊の両親に顔を出しましてね。紅葉さんの退団を嘆いているファンで持ち切りでしたよ。ダメですよ、卒業するなら大々的にやらないと」
「え、そ、そうなの……? お客さんに心配させたくなくて……ほら、いつ死ぬかも分からない運命だし」
「いやいや、それならしっかりと別れの言葉を告げるべきです。貴女自身は納得していても、残された者たちは気持ちの行き場が見つからない。みんな悲しんでいましたよ」
普段は穏やかな顔のロビー・マームは、紅葉に対し、しっかりときつめに苦言を呈した。紅葉は殴られたように胸を揺さぶられ、心もとない気持ちでベンチに座った。
(別れの言葉を告げぬまま、消えてしまった……まさか、あのジョバンニ爺さん、もといフィリップ氏が息子のアーサーにやったことと……同じことを、私もしていた?)
昨日までの価値観が一気にひっくり返り、その場でグラグラと心も体も揺れた気がした。人はいくら他人を糾弾したところで、自分も似たような過ちを行っている。
「そ、そっか……もしサウザスに戻れたら、ちゃんとお客さんにも伝えなきゃ……ね」
「ま、昔からいきなり失踪するケースは多いですけどね。歌手やら映画俳優やらね」
ロビー・マームは前を向き、紅葉も、少し気を取り直した。
「映画俳優ね……そういえば花火は引退するとき、ちゃんとファンに挨拶したのかなぁ」
「さあ、花火は結婚と離婚を繰り返してますからね、結婚して引退して、その後離婚して復帰したことも何度かありますよ。2度の離婚を経て出した復帰作『雪隠れの女首領』なんて、それはそれは鬼気迫り、男への憎しみが漏れ出ていましたからねえ、はっはっは。なんとも昔の大女優らしい、愛と欲望に満ちた人生……!」
どんよりした警察署の待機室内で、そこそこ大音量でロビー・マームが快笑している。
「しっかし、もうすぐ2時ですか。この分だと夜まで拘束されますよ。大事な1日が潰れるかもしれませんね」
「……また二手に分かれたほうがいいって言いたいんですか?」
「さてね、僕ぁ部外者ですから。ずっとショーンさんの傍にいますよ」
ロビー・マームは飄々と肩をすくめ、ベンチでもたれて「待ち」の姿勢をとった。紅葉は歯を食いしばり、白い太陽の光が頬に当たるなか、背中を丸め、どう行動すべきか逡巡した。
(どうしたらいいだろう。ショーンはずっと傍にいろって言ってた。でも事件なんて1日でも過ぎれば、徐々に証拠は失われて、手がかりが消えて、犯人は逃げてしまう……今までさんざん経験してきたじゃない!)
熟慮するたび、顔を上げては落とし上げては落とし、長い髪が細かく揺れる。
(【鋼鉄の大槌】も無いし、ムチャはできない……でも昨日みたいに7区じゃなく、もっと近ければトランシーバー【エルク】の範囲内だし、連絡は密に取りあえる……そうだよ、せっかく買ったんだから活用しないと!)
「ロビーさん、私、3区にある『峯月楼』に行ってきます!」
紅葉はその場でつむじ風が立ち上がったかのように髪の毛をゆらし、3区にある『峯月楼』へ駆けていった。
ロビー・マームは無言で紅葉を見送り……のんびりとベンチで足を組みなおし、背中に走る激痛と背骨に響く鈍痛を、涼しい顔でやり過ごしていた。




