2 信用するもの、されるもの
「それで結局どこに行くんです? 僕ぁ、ずっとここに滞在してもいいですよ。居心地がいいですしね」
「二手に分かれよう、ショーン。私が『峯月楼』に行ってもいいよ」
「嫌だ、それはもう絶対やらない! もうずっと紅葉と離れない! 一緒に行動するんだよ!!」
ショーンは紅葉の両手を情熱的に握ったが、
「…………そうだね」
昨日だけでも死線を数回くぐった紅葉は、氷のような瞳を崩さず、ロビー・マームが庭林檎をシャクシャク齧る音だけが、ゲストルームに響いていた。
「い、いったん地図を見よっか」
気まずくなったショーンは、すぐに紅葉の手をほどき、サッチェル鞄からポケット地図を取りだして、ノア都市の上空を確認しはじめた。
「都市長の自宅と役所は1区にある。警察と病院は2区に。そして『峯月楼』と銀行は3区で、フェアニスが住んでる場所は7区……っと」
カリ、カリ、カリッと赤インクで丸をつけていく。
「ノア都市の下は、全面的に地下水道が通ってるの。その辺のマンホールを開ければ簡単に出入りできる……時計塔にも直接入れるよ、地下室までだけど。もしかしたら他の建物にも直接入れるかもしれない」
「時計塔のなかに? 意外と警備がザルだな……」
ショーンは地下室へのハッチの形状を思い出しつつ、うーんと唸った。紅葉はその間、指でぐりぐりと昨日通った地下水道の経路をなぞる。それは葉脈の連なりを無視した毛虫の食事跡のようだった。
「花火のことも、地下水道も気になるけど……僕はひとまず警察に行かなきゃいけないんだ。キアーヌシュ死亡時の証言をしないと。あとラン・ブッシュがどうなったかも探っておきたいし。ただ急ぐ必要はないと思うから、まずはいったん『時計塔』の様子を見にいって、それから2区に行こう」
「計画は決定ですか、では参りましょう。おっと、その前にコーンコーヒーは飲みます? ポットで用意されてますよ」
「いらない、行こう!」
ドタドタと出発し、部屋にはフェアニスリーリーリッチ所有の銀のクロスボウと、齧りかけの庭林檎、温かいコーンコーヒーのポットが残された。
3月28日火曜日、時刻は午前11時15分。
『時計塔』で事件が起きた日の翌日は、妙に人々の活気がみなぎり、噂話で持ち切りであった。昨日ほどの混雑具合ではないものの、塔に近づくほど野次馬は多くなり、交通警察がイライラと警棒をぶん回し、ピッピピッピと警笛を吹いていた。
「結局、あれからキアーヌシュ氏のご遺体は無事だったんです? 地下室に置いてけぼりだったじゃないですか」
「ああ。無事に引きあげて、今は警察署に安置されてるはず。監察医の検分も済んでるし……」
「検視結果で、自殺か他殺か分かったのかな?」
「どうだろう、後で警察に聞いてみなきゃ……いや、教えてくれるかな」
ビネージュ警部に口答えしてしまったことに、今更ながら後悔の渦が湧いてくる。一時的な抵抗心のために重大なものを失うのは、若い頃は特にありがちだ。
「こら、立ち止まるな! 立ち入り禁止だ!」
『時計塔』の周囲5メートルの円周上に、簡易の鉄フェンスがぐるりと立てられ、誰も立ち入りできぬようになっていた。中では警察が真剣な顔で捜査しており、清掃夫たちも数名出入りし、乱闘の跡を片づけていた。
「通らせてもらうぜぇ、ちょいとゴメンよ!」
「——ノアさん!!」
「あん?」
掃除夫ノアは、いぶがしげな顔を浮かべて立ち止まった。愛用のモップを肩にかけ、ごみ捨て用の手押し車を押している。
紅葉は、またノアと再会できた喜びで前のめりになり、怪我の手当てをしてくれた恩人に、笑顔で感謝の意を告げた。
「今日もこっちでお仕事なんですね。昨日は私のことを助けてくれてありがとうございます。そうだショーン、ノアさんにお礼のドミーを払えないかな?」
「なんで僕がッ!」
「昨日、混んでる道でもチラッと一瞬すれ違いましたよね。あれから大丈夫でした?」
紅葉が必死に話しかけているものの、掃除夫ノアは怪訝な表情をなかなか変えられず、引きつった笑みを浮かべて応対していた。
「あー、あー、うんそうか、知り合いか。わりぃ、昨日からいろいろあってよ、あんま寝てねーんだ。ゴメンな」
ノアはペンギンの手ヒレをぺちっと頬にあて、疲弊した顔を見せた。金色の長い睫毛の目の下には、大きな黒いクマができている。
ショーンは財布から20ドミーを出そうとしていたが、それを聞いて10ドミー追加し、彼のツナギのポケットにねじ込んだ。
「寝不足なとこ、ごめん、ノアさん。ここで起きたことについて、何か情報はないかな。掃除夫だからこそ知ってること、あるだろ」
「へ? あー、うん。へへっ、いいぜえ。昨日の夕方、変な黒い煙がこっから出てよお、オレはたまたま近くに居合わせてたから、消火活動してたのさ、変な爺さんに手伝ってもらってな。黒煙のせいで時計塔のナカもソトも黒ずんじまって、こっから残業確定よ」
「黒煙を!? 煙の正体は呪文でできたものだから、数日経てば跡形もなく消えるよ」
ラン・ブッシュが放った禁術呪文 《ヴィトリオリック》。呪文の詳細はハッキリ分からないが、禁術でも通常の呪文と同様に、マナの痕が消えれば消えるはずだ。
「ええっ、消えるって……なんじゃそりゃ。もう大規模清掃するかもって打ち合わせてるぜぃ。現場保存してえ警察サマと揉めもめだしな……」
「ホントに? 説明しに行かなきゃ!」
大所帯で簡易フェンスを乗り越えようとしたショーン御一行に、ストップがかかった。
「おや、どなたですかな。お友達は入らないように」
岩石が人の形をしたような、大男の警察官に遮られた。
「失礼、僕はショーン・ターナー。ラヴァ州サウザスのアルバです。昨日、現場に居合わせたんですが、ビネージュ警部から何か聞いてませんか?」
「ああ、アルバ様……貴殿でしたか。いいでしょう、話を聞きましょう。ただし妙な行動はとらないように」
と、胴体の大きさに比べて非常に短い腕で、通過を許可された。
「ふむ……州証明書とバッジをお返ししましょう。それで何かご用ですかな」
『時計塔』の現場を仕切っていた警察官は、バルバロク・レーガン警部補と名乗った。岩牛族らしく、四角四面で厳格な風貌をしている。ノア都市に来てから、久々に警官らしい警官と出会い、ショーンも胸を張りなおした。
「すでに清掃を始めているようですが、黒い煙の痕は呪文でできています。数日たてば消えるはずなので、放っておいても大丈夫ですよ」
「それは朗報ですな、伝えておきましょう」
バルバロク警部補は、短い腕を高速でシュシュッと俊敏に動かしメモをとる。
「昨日、黒煙の呪文を唱えた賊が、時計塔の1階で暴れて器物破壊を行ったはずです。僕とロビー・マームがその場に残り、戦ったのですが2人とも途中で気を失ってしまった……。賊は行方不明と聞きましたが、何か手がかりは残ってませんか?」
「ホウ、呪文を唱えた輩と暴れた輩は、同一人物ですと? ひとりの犯行ですかな、それとも複数犯ですかな?」
「一人です、背の高い女です。僕より背が高くて、筋肉質で……黒いガスマスクに、白黒模様のトップス、薔薇模様の青ジーンズを履いていました。雷豹族と思われます」
ショーンは左腕の肘を右手で抑えながら、わざと名前を伏せて——伝えなかった。あらかじめ女の名前を知っているのも変だし、トレモロの盗難事件のことを詳らかに話す羽目になってしまう。
「フム、どうやら詳しく調書をとる必要があるようですね。警察署へ向かって下さいませ、部下を一人つけましょう」
「分かりました。その前に一度、塔の中を確認させてください。昨日の襲撃の様子を知りたいので」
「いいえ、アルバ様といえど出来かねます。私の判断では難しゅうございますゆえ」
バルバロク警部補は、自身の牛の尾っぽをパパッと背中で払い、厄介払いをするかのように、ショーン御一行を丁重にフェンスの外へと連れ出した。
……人を信用しない者は、人から信用されない。
「おう、おまえさんたち帰るのかー、小遣いありがとなー」
掃除夫ノアが、ブラシの冷水を絞りながら、手のヒレをぺちぺちさせて遠くから健気に別れの挨拶している。
因果応報とはよく言ったものだ。




