1 花火と花びらと花サイガ
【Actress】女優
[意味]
・女優
・芝居がかった女性、気取った女性、欺くような振る舞いをする女性
・actor (俳優)+-ess (女性を表す名詞の語尾)
※最近はactor呼びに統一され、使われなくなっている。
[語源]
ラテン語「actor (行動する人、舞台上で芝居をする人)」に由来する。actは「行動する、実行する」という意味のみならず、「舞台上で芝居する、上演する」意味にも使われる言葉である。ひとの人生とは、常に舞台に立ち、何かの役を演じているようなものだ。ある時は純情な娘を演じ、ある時は気のいい友人を演じ、噂好きの隣人を演じ、意地悪な上司を演じ、貞淑な母親を演じ、みだらな妻を演じるものなのである。
「よし、大富豪キアーヌシュの死の謎を解くぞ!」
「おおー!」
ショーン、紅葉、そして負傷中のロビー・マームは、都市長シュナイダー家の屋敷のゲストルームで決起会を行い、士気を高めた。
3月28日火曜日、時刻は昼前の10時20分。
さっそく外へ出て捜索開始だ。ショーンは先陣を切って部屋を出ようと、黒スミレ色の丸ドアノブに手を掛けたが、
「いや、待てよ。なにか大事なことを忘れているような……」
「どうしたの?」
猿の尻尾が妙にうずく。いま一度、時計塔であった出来事を思い出してみた。
何せ昨日一日で大変なことが起きた。午前中に大富豪秘書キューカンバーと約束し、昼13時に時計塔に訪問したところ、大富豪キアーヌシュが首を吊って亡くなっていた。【真鍮眼鏡】で現場の写真を撮影していたところ、ビネージュ警部をはじめとするノア警察が突入してきて、重要参考人として捕縛された。その後、都市長ゲアハルト一家が参上してきたり、時計技師の爺さんが修理しにきたり、夕方17時頃に、塔に攻撃を仕掛けてきたラン・ブッシュと死闘して——
「いや、違うな。ラン・ブッシュのことじゃない……その前だ。何かあったはずなんだ!」
あいつの強烈な硫酸臭が、記憶を濃霧で混濁させる。再度、胸に手をあてて考えてみた。洗い立てでパリッとしている……時計塔にいる時はもっと汗でくたびれていて……一番手に汗をかいた時といえば!
「そうだ! ダンデさんからもらった紙のきれっぱし!!」
時計技師のダンデ・ラインボルトから、警察がいる面々で、挨拶ついでにそっと渡されたあの紙。
後で確認しようと、服のベルト裏にしまっておいた切れ端は——
「うわああああっ、ボロボロ……っ、かろうじて原形は保っているけど……!」
ショーンは水に濡れて張り付いた紙を、慎重に引きはがして、テーブルに載せた。
およそ10センチ×7センチの紙きれは、全面的に黒インクが載っていて、挿絵のようなものが描かれていた。普通の紙や本ではなさそうだ、厚めの新聞か雑誌だろうか?
「この感じ、ペンで書き置きした訳じゃなさそうだな。ただあるものを千切ってよこしたみたいだ……」
「うん。水で潰れちゃってるけど、周りに花がいっぱい描かれてるみたいだね。中央は女性のシルエットかな……?」
紙の真ん中に、ほっそりしたドレス姿の女性の全身像と、右上には角ばった男性の顔のようなものが描かれ、2人の周囲には小花が散っている。
「なにかの挿絵か……広告か?」
「どれどれ、おや、『帝都の花びら』のポスターに似てますね。タイトルは千切れて載ってないようですが、本来なら男優データボルゲのすぐ右下に書かれているはずですよ」
ショーンがいくら【真鍮眼鏡】を拡大しても分からなかった挿絵の正体を、ロビー・マームはチラッと見ただけで即答しした。
「『帝都の花びら』!?……映画のポスターなのか! 本当に合ってる?」
「ええ、そのポスターならよく覚えてますよ。懐かしいですねえ。銀行の訓練生時代、マルタリーグの部員たちで見に行きましたよ。おとつい、ノア銀行で会った、エドウィン・リバレッヂも一緒にね。花街横丁のそばの映画館で毎月上映されてましてね。さすがに花街に繰り出すのは勇気がいるんで、学生はみな映画館にいって発散したもんです。はっはっは」
「ちょ、ちょっと待って!」
ショーンは、ノア銀行にいった記憶さえもう薄れかけていた。ノア都市に来た2日目、至るところでドミーを消費させられ、トランシーバーの購入で散財した後、たまらず銀行でお金をおろした。その時に出会ったのが、ロビーの友人である朱犬族のエドウィン行員と、ゴマすりしてきた広報部長、雪虎族のイヴァーン・ペトロヴィッチ。ノア銀行の人たちはランチを奢ってくれて、レストランの名は『峯月楼』、そのオーナーの名は……
花火——帝都の花びら、主演女優。
「な……なんで?……」
大富豪キアーヌシュの事件に、彼女が関わっているとでも……?
今すぐ『峯月楼』へ……いや、それとも時計技師ダンデを探して直接聞くべきだろうか。
勇んで外へ飛び出す予定だったショーンは、自身がどこへ向かうべきか途端に分からなくなり、羅針盤を失った船のように、ゲストルーム内で立ちすくんでしまった。
皇暦4531年、初冬。
シュタット州の冬は、雪こそあまり降らないものの、冷めた風と底冷えで肌寒く、人々は毛布をかぶって移動していた。バランド町の女性たちは家の燃料を節約すべく、工場から発せられる熱を求めて、町はずれに足を運び、湯を飲みながら布をひろげて針仕事を行っていた。
『あらやだ、いつのまにかネジ工場が動き始めてるじゃない』
『あそこって数年前に倒産したはずよね、新しいオーナーでも入ったのかしら』
『ホラ、あれよ。馬車修理のソフラバーさんとこの息子さんが発明品を作ってるのは知ってる? それよ!』
『えー、まだ作ってたの!? お金なんて無いでしょう!』
その時、ネジ工場の扉が開き、腰猿族のぽっちゃりした男がトコトコ出てきた。男は金髪の顎髭をたくわえ、作業員らしからぬ高貴さと気品さをどことなく漂わせている。ごみ捨てや荷物の積み下ろしをしばらく行い、トコトコとまた帰っていった。
女たちは、刺繍の手をとめて彼を注視し、去ったことを確認してから——噂話を再開した。
『……あれ、質屋のキアーヌシュくんよ、ラフマニーさんとこの息子さん。あんなに立派な店だったのに、先月売っちゃったんですって。土地ごとよ、土地ごと!』
『ええっ、なぜ? あの工場を買うため?』
『そ、ソフラバー兄弟の発明とやらに全ベットする気よ、狂気の沙汰でしょう! バランドで一番いい質屋が急になくなって、うちの商店街じゃあ、みーんな困ってるのよ。とんでもないことしてくれたわね』
このなかで一番ウワサ好きな昼羊族の薬問屋の婆さんは、細いマチ針をピンと立てつつ、訳知り顔でゴシップを披露した。逆に一番そういうことに疎い、花犀芽族のご婦人は、大きなお鼻を膨らまし、大きなおめめをぱちくりさせて、素朴な疑問をたずねた。
『えーと……発明って、何を作ってるのかしら?』
おばさま方が持ち寄った刺繡布は、花や星、麦の穂文様が欠けたまま手が止まってしまっていたが、花犀芽族の婦人の刺繍の針は一度もよどむことなく、夜の星空と砂漠の大地を形づくっている。
『それがねえ……去年さりげなく、質屋でキアーヌシュくんに聞いてみたのよ。ホラ、四輪自動車ってあるでしょう。ここじゃほとんど見ないけどさ、貿易商のシャフロスさんやら、鉱山経営のフィルイーズ氏が乗り回してるじゃない、あれよあれ』
『ええ。都のシュレーンでもぼちぼち見かけるようになったわ。大きな鉄の電動荷車が、馬車を次々と追い越していくの。ちょっと怖いわよね。まさか、あれを作る気?』
『いいえ、あれのもっと小型版ですって! そんなこと、こんな寂れた町の工場で作れるのかしらね!?』
その時、ガシャーン!と轟音が工場から聞こえてきた。
かつてのネジ工場——もとい、新しい製造工場『キンバリー』が、大きな稼働音とともに、新事業への芽吹きの音をたてている。
『とにかく、成功したら大・大・大発明らしいんだけど、なんと名前がいまだに決まってないんですって、とっとと決めればいいのに!』
昼羊族のゴシップおばさんは、イライラしながら赤いヒナギク模様に針をプスッと刺している。
『そうなのね。……うまくいきますように』
花犀芽族のご婦人は、そっとおまじないをかけるように、布刺繍の大地を泳ぐ、小さな船の模様を縫いつけた。




