6 振りだしに戻ったね
「えーと、振りだしに戻ったね」
「……」
「さ、がんばって大富豪キアーヌシュの死の謎を解こうじゃないか! うん」
「…………じる気?」
「ん?」
「フェアニスリーリーリッチの言うことを信じる気!?」
紅葉は声を荒らげて、黒紫色のミニテーブルを、バン!と叩いた。
目の前には、立派な装飾つきの銀のクロスボウが1点。長方体に折りたためるタイプで、柄には大ぶりなスノードロップの模様が彫られている。
「信じるもなにも、やるしかないよ。あの子も何か目的があって動いてるようだし、こっちも向こうの知らない情報を持ってるはずだ。それを交換材料にすれば、」
「甘いよ、ショーン! こっちを利用するだけ利用して搾りとるだけかもしれないじゃん。あのね、自分の名前を一人称にしているオンナなんて、世界で一番信じちゃいけない生き物なんだよ!!」
紅葉は腹のそこから己の主張を繰り出した。
「分かったわかった。い、いざとなったらあの子を僕が呪文で何とかするから……紅葉だって【鋼鉄の大槌】だって取り戻したいだろ? ね?」
「 “あの子” って呼ぶのやめてッ!!!!」
「ハイッ、二度といいません!」
面倒くさい女同士のバトルに巻き込まれたのをヒシヒシと感じ、ショーンは諸手をあげて、ひたすらなだめる作業に入った。
『はいこれ、あんた達に預けとくね!』
今日の早朝、目を覚ましたフェアニスリーリーリッチに、とあるブツを押しつけられた。
『フェアニスの命の次に大事なクロスボウだからね! 謎が解けるまでアンタ達がちゃーんと保管して。キズもホコリもつけちゃダメ。んで、代わりにあのデッカイ鉄トンカチはこっちで預からせてもらうしー。ぜーんぶ解決した暁に、等価交換といきましょう。んじゃーね!』
この子をずっと病院にグルグルに巻いて置いておくわけにもいかず、かといって警察に突きだすこともできず、(偽造証の件で突きだすことはできただろう。だが、そんなことをしたら本当に知りたいフェアニスの情報は永遠に失われてしまう)
彼女は勝手な交換条件を提示したあと、スッキリした顔でどこかへ行ってしまった。
一応、定例報告会議として、今日の夜21時に時計台——ノアの中心部『時計塔』ではなく、役場裏にある『時計台』のほうに集まることになっている。円形舞台の広場となっていて、噴水があり、ゴブレッティが設計した鳥のオブジェが宙を舞っている。
ショーンと紅葉は、シュナイダーさん家の屋敷の窓から、待ち合わせの『時計台』の様子をチラリと眺めた。屋敷といってもビルの上にある高層階で、広場を行き来する人々の様子がよく見える。
そう、昨日の昼、時計塔内で、都市長一家とビネージュ警部と交渉したとおり、ショーン御一行は、事件が解決するまでシュナイダー家へご厄介になるべくやってきていた。
ホテル『デルピエロ』からは先に荷物が運ばれてきており、眺望の良いゲストルームが割りあてられ、ベッドには秘書オーレリアンが用意したであろう、「タバサのビューティーサロン」の香水やタオルなどのアメニティー式、丸テーブルにはジョンブリアン社のモカバタークッキーと、ギャリバーチョコが大袋ごと積みあがっていた。
あの『デルピエロ』の2番目に高い部屋と比べて、はるかに高級ホテルな仕上がりに、ショーンはいったん状況を忘れて興奮したが、紅葉はウィスコス峡谷よりも深い皺を眉根に寄せて、銀のクロスボウをベッドサイドテーブルにガチッと置いた。
現在、3月29日火曜日の午前10時15分。
夜行性の家主一家はぐっすり眠っており、昼執事が全ての案内を済ましてくれて、ノア都市の新しい宿泊施設に落ちついていた。
「いや~、なかなか良いところですね。さすがラヴァ州でもっとも金持ち地区の都市長宅ですよ。バカンスに来たみたいだ」
「ロビー、嘘だろ、もう退院してきたのか?」
上着だけ脱いだYシャツ姿のロビー・マームが、オレンジを齧りながら陽気な様子でゲストルームのドアに立っていた。
「なあに。ナイフの1本や2本受けたところで立ち止まるようじゃあ、オーガスタス町長の従者は務まりませんよ。さすがにマルタスポーツは勘弁ですが、歩いて喋るだけならできますよ」
のんきな大男は、チッチッチと人差し指を小粋に振った。
本人の知らぬ間に、高等治癒呪文 《ビートゥン・エッグ》は彼の体内で成功したようだ。
「そうか、良かった……!」
ノア都市の空は晴れやかに青く澄みわたり、ショーン御一行を明るく照らしている。
「よし、じゃあ色々あったけど……また大富豪キアーヌシュの謎を解きに出発しよう!」
シュタット州は、ルドモンド大陸でもっとも日差しの強い州だ。
日付は秋に入ったというのに、大地は真夏のように白く照りつけている。
質屋キアーヌシュ・ラフマニーは、渇きをしのぐために棘を抜いたサボテンをかじりながら、算盤をはじき帳簿を書きこんでいた。
『やあ、おじさん……元気かい』
この時間じゃ珍しいことに、ソフラバー三兄弟の次男カヤンが店内をのぞき込んできた。
『ああ、今月はそこそこ客入りが良くてね。ここ数年、下がり幅が大きくなる一方だから、喜ばしいよ』
『……それは良かった』
カヤンが油まみれの手ぬぐいを握りしめ、店の入り口に突っ立っている。彼が真っ昼間に起きていることは珍しかった。
ソフラバー兄弟たちの民族、照袋鼠族は、夜行性と昼行性の人口比がちょうど半々に分かれている。長男カーヴィンと三男カディールは昼に生活しているが、次男カヤンは夜行性のほうが性に合っているようで、もっぱら夜に作業していた。
『少し………話があるんだ』
あまり太陽を浴びないカヤンは、細く小さな躰でゆっくりと話す。
『な、なんだい?』
(ひょっとして、ついに〇〇〇〇〇が完成したとか?)
キアーヌシュはそんな期待を抱き、ぽっちゃりしたお腹を前のめりにさせた。
『あの子を作るための工場に……引っ越そうと思ってる。工場内で寝泊まりする……』
『あ、ああ。工場って町はずれのあそこだろ、昔カーヴィンが働いてたとこの三軒先。たしか権利はまだ銀行が持ってたはずだが……ついに融資の目途が立ったのかい?』
もともと、モヴァファギット川の横断を成功させたら融資が降りて、工場借りあげの資金が手に入るはずだった。しかし、挑戦した三男カディールが、壊れかけの車体と肉体で帰還した結果、銀行幹部たちから難色を示され延期状態になっていた。
『いや、融資は待たない……今すぐ工場を稼働させたい。生産しなければ分からないことがたくさん出てくる。エンジンの改良も要る。歯車も。もう待ちたくないんだ』
カヤンは手ぬぐいを胸に当て、神に祈るようにキアーヌシュに伝えた。
素晴らしい向上心であった。
ただし、そのためのお金があれば。
『キアーヌシュさん、お願いだ。この店と土地を売って、一緒に工場へ移って欲しい』
腰猿族のキアーヌシュの、ふくよかで優しい目尻に一滴の水がしたたった。それが汗か涙なのか、本人ですら分からなかった。




