3 分かってしまった
自分が
『恐ろしい状態で発見され、かろうじて生き残った女の子』
『子供の頃の記憶を失った、身元不明の可哀想な女の子』
という以外にも、人と違うところがあるってことに
何となく気づいたのは12歳の頃だった。
『ねえ、……でしょ? 聞いてきなよ』
『えー、リーベルが行ってよー』
サウザス学校の校庭で、女の子たちの笑い声が聞こえた。ウワサ話をするような厭な言い方。私は入学して1年足らずで学校の勉強に追いつくために、校庭の端っこのベンチで、教科書を読みこんでいた。
『もう、ミッチが聞いてよ、言いだしっぺじゃん!』
揉めているようだ。こういうことは前もちょくちょくあった。でも、そのたびにショーンが仲介してくれて守ってくれたから、私は喋らなくても大丈夫だった。
ショーンはもういない。
帝都の魔術学校に、試験を受けに行っているから。
帝都に出立してからもうひと月になる。はたして合格できるだろうか。
赤いカエデの葉がはらはらと舞い、 自分の歴史の教科書に落ちてきた。ページは『ラヴァ州の成り立ちについて』。本来なら私より、もっと小さい子のための内容だけど、聞きなじみのない用語が多くて、なかなか覚えられなくて、難しい。
『えへへ、もみじちゃん、でしょ。あのね……』
誰が最初に話しかけるかが決まったようだ。こっちも覚悟を決めて本の端を握りしめ、質問に答える心の準備をした。自分より少し年上のはずの女子グループ。いや……自分がショーンと同じ年ということにしてるから、実年齢的にどうだかは知らないけど。
『あのさぁ、もみじちゃんのその角って、何民族なの?』
予め用意していた質問文から外れた疑問に、ビクッと背筋が震えてしまった。額の上から左右にニョキリと伸びた、円錐形の生成色の小さなツノ。
『し、知らない……。わたし、自分の本名も知らないし、み、民族だって分からないの。 サウザスによくいる民族じゃないかも……誰か心当たりある?』
緊張のせいか、いつもより3割ましで饒舌に喋ってしまった。
でも、もし手がかりがあれば、それでいい。
『だってー、知ってる?』
『えー知らなーい』
『うちらサウザス以外の知り合いいないし。知るわけないよー。 “アルバさま” でも知らないのに……』
別に心配してくれるわけでもない、適当な答えしか返ってこなかった。
それもそのはず。
本来なら身元不明で、学校に行かずに働くか、児童院へ行くはずの子が、 “アルバさま” の一家に飼われて、 何不自由ない生活を送っている。
それは「貧民街で必死に暮らしてる子ども」を身近に知ってる子たちにとって、あの子ちょっとズルいよね? ってことなのだ。
年上の女の子たち4人組は『だよねー』『あれ、レダはオックス州にばあちゃん家があるじゃん』『え〜、オックスったってサウザスと一番近いとこだよ』『あとさあー』と、 自分たちだけでお喋りし始めた。
『じゃ、 わたし、勉強しなきゃいけないから……』
夕飯の献立を呟くような小さな声で、教科書に頭を埋めるようにして、 かわいい羽虫たちが去るのをやり過ごそうとした。
『でさぁ、何なのあの角、 ヤギ? 牛? ヒツジ?』
『わかんない。どれも変だよ。 小っちゃすぎない?』
『ウシだとしても、 5歳くらいの大きさだよねー』
このまま別のお喋りに夢中になるかと思いきや、話題をきっちり「紅葉のツノ」に戻してきた。
(なんでそんなに…………そんなに気になる?)
自分で自分のツノを触ってみた。ほのかに熱を持っているけど、神経が通っている感じはあまりしない。 自分とは別個の存在が頭にくっついているみたいだ。
ショーンの羊角を思いだして比べてみた。今のショーンの角は15cmくらい。出会ったばかりの頃より、毎年少しずつ伸びていて、大人になってからも伸びるらしい。
一方、今の自分のツノは5cmか6cm。『酒場ラタ・タッタ』に飾ってあるショーンの5歳の写真の長さしかなかった。
『ねえやっぱ変だよね、ちょっとおかしいもん、見たことないし』
この人たちは、さっきから何でそんなに人のツノを気にしてるんだろう。
特に最初に喋りかけてきた、ミッチという名の、薄茶色のショート髪の岩牛族の子が騒いでる。
『実はウチの弟がね、あなたの角が夕方光ってるのを見たのよ! 赤色だかオレンジだか! それって本当の話?』
『もういいよ、ミッチ。光るわけないじゃん。どう見ても白い普通の角だよ、人よりちっこいだけでさ』
『よくないー、アイツってば、ダチに喋ったらホラ吹きだっていじめられたんだもの。この際ハッキリさせたいの』
『アルバさまが魔法でもかけたんでしょ、どうせ』
『やでも、あの一家、ショーンのヤツが帝都にいってしばらく全員居ないじゃない。弟が見たのは3日前のことなんだけど!』
はーっ、はーッ
過呼吸がとまらない。
自分が、『恐ろしい状態で発見され、かろうじて生き残った女の子』であり『子供の頃の記憶を失った、身元不明の可哀想な女の子』という以外に、人と違うところがあるってことに、何となく気づいてしまったのは12歳の頃だった。
『ねぇ、どういうこと? ちゃんと答えて‼︎』
『——つ……こい』
握った本の端がブルブル震える。破りそうになるのを、紙一枚の強さで耐えていた。
『しつこいぃいいいいい——!!!』
ミッチの顔を拳でつかみ、力をこめた。
夕方から夜に暮れていく校庭で、ミッチの脳みそが飛びだし、血液が飛び散る。
ハラハラと枯れかけの枝から散りゆく赤いもみじの葉っぱに紛れて、
紅葉の小さなツノが、命のともしびのように真っ赤に光っていた。
『ハア、ハア、ハア、ハッ……!』
汗をびっしょりかきながら、酒場ラタ・タッタに飛んで帰った。
『おう紅葉、どうした、これから営業が始まるぞ』
太鼓隊長のオッズさんが、話しかけてきた。
『ハッ、ハッ、ハッ、ハッハッ……!』
『おお、どうしたい、過呼吸かい。大丈夫、ここは安全だぞ』
『ハッハッ、ハッ、ハッ!!!!』
オッズさんが自分の体をギュッと抱きしめてくれた。
『——だめだめ、血がついちゃう……! 血が……!』
オッズから無理やり、自分の体を引き離した。
『血が……っ!……血は?』
べったり飛び散ったはずのミッチの血液が、太鼓隊長の一張羅に——ついてない。
透明な、ただの滝のような汗だった。
『うむ、血なんてどこにも無いぞお、大丈夫だ紅葉。ダイジョウブ、傷ひとつないぞぅ、もみじ……』
オッズさんが、黒輪猿族のシマシマな尻尾を巻きつけ、温めてくれた。
血だと思っていた液体は、自分の顔に流れる涙と汗ともろもろだった。
『よしよし、良い子だ。今夜は一緒に寝よう、いや、女将のルチアーノに頼もうか。ショーンとシャーリーが行っちまって寂しいんだろう。大丈夫だ、みんなお前のそばにいる…………』
その夜は、酒場と下宿の人たちが、みんなで慰めてくれて優しくしてくれた。
みんな、私が例の列車事故のことを思い出し、混乱して発作を起こしたのだと思いこんでいた。
翌日、青い顔して学校に行ったら、ミッチがいて、昨日の4人グループで楽しくお喋りしていた。
私に気づいて、皆プイと顔を背けて無視してきたから、あの時なにがあったかは永遠に分からない。
あの日、分かったのは、
自分には、ひとと違う部分があるってことだけ
暴力衝動
「フェア、ニ、ス………ッ、死ねええええええッ!!」
いや、殺人衝動といったほうが正しいかな?




