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【星の魔術大綱】 -本格ケモ耳ミステリー冒険小説-  作者: 宝鈴
第46章【Vitriolum】蜂蜜のように滑らかな
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5 僕に感謝してくださいね

(……おっ、あいつだな、消火栓!)

 掃除夫ノアは、仕事道具である防塵マスクとゴーグルをつけ(ガスマスクと比べたら性能はささやかなものであったが)黒い煙を吸わずに、街を移動できていた。

 時計塔広場の南西のはずれ、緑のポストのそばにある、青色の消防箱を見つけて飛びつき、持っていた工具で無理やりこじ開けた。箱内に詰まっていた長いホースを、勇んで取り出したはいいものの……

(えーっと、どうやるんだ、これ……)

 何も説明書きがなく、すぐに途方にくれてしまった。カチャカチャとホースの先をいじってみるも、ペンギンのヒレではあまり器用に動かせない。

『くそお!』


 ザザザザザ……パチパチパチ……

 火炎瓶の炎が風で煽られ、周囲の庭木や、物売りワゴンに延焼していた。時計塔自体は耐熱レンガで守られているとはいえ、いつ内部に燃え広がるかは分からない。

 現場ではさらに異様な、黒いモコモコの謎の煙——これも時計塔を覆うように広がっており、グズグズしていると自分のところまで来てしまう。

 不快な臭気と刺激臭をゴーグル越しに感じればかんじるほど、余裕がなくなり汗ですべった。

『なんだ、兄ちゃん。やり方を知らねえのかい。貸してみな』

 少しくぐもった声の男に、背後から声をかけられた。

『うわ、誰……! あ、そのツナギ!……もしかして水道局の人かい?』

 ノアは一瞬、金睫毛を震わせ警戒したが、すぐに安堵して声の主にホースを手渡した。

『ああそうだ、今日で辞めるがな』

 蒼色のガスマスクを被った白髪まじりの男性は、慣れた手つきで長ホースのコックを緩め、邪悪な形をした炎と煙に、清浄な水を噴射した。





「ぐふッ……ごふ……」

『あっれー、おっかしいなー☆ 見つからないんですけどぉ★』

 ラン・ブッシュは、床に置かれた家具をヒョイヒョイ飛び移り、自身が吹っ飛ばしたアルバの姿をきょろきょろ探した。

「がふ………ぐっ」

 床に叩きつけられたショーンは、背中の痛みと戦いつつ、なるべく声と嗚咽をおさえて、ランの目をかいくぐっては地の底を這いずっていた。

『もうやだ、黒いモックモクうざすぎー、ちょージャマなんですけどぉ~★☆』

 ランは背中をカリカリひっかき、雷豹の尻尾を嫌そうにぶらぶら振った。

 実体化した黒い煙は、ランが生み出したのだから、向こうが見つけづらいのは自業自得なのだが……

(クソ、こっからどうする、地下室へ行くか、外へ出るか?)

 ショーンが飛ばされた方向は、ちょうど南の正面ドアに近かった。ラン・ブッシュが塔を去る前に、先に出たほうがいいと判断し、そろりそろりと服をひきずり、数ミリだけ瞼を開いて、黒い世界のなか出口へ匍匐前進していく。


『ま、いっかあ☆ どうせノビてるっしょ、間抜けヅラだったしぃ=☆ アイツのほう探さないとねぇ★ー』

 ランはクローゼットやチェストを乱暴に蹴り飛ばし、何かを探していた。

(アイツ……って誰だろ、キアーヌシュの遺体かな……? いや、何か物を探しているような……でも小さな物でもなさそうな……)

 パチン、と電灯が夜の町にはじめて灯ったかのような感覚が、ショーンの胸に響いた。


 ゴブレッティ家の秘密の設計図

 タイトルは————【Noah(ノア)


『ねえ、ノアってどんな設計図だったの。中身くらい見たんでしょ?』

 トレモロ病院の一室にて、紅葉は眠たげなエミリアを起こし、真相を知るべく追及していた。

『見てないわよ……悪いけど……1ページも見てないの。普通の設計図本と変わらない大きさだった……表紙は真っ赤だったけどね』

『なんで! 普通はめくって確認するでしょ?』

『鍵がかかっていたのよ、うるさいわね! それにすぐにあの子に渡した。確認する暇なんかなかったの! ………怖かったし』

『鍵ってどんな!?』

『ちっちゃいやつ、金色の! よくカバンとかトランクの取っ手にくっついてるでしょ、あれよアレ! 本の表紙に鍵がかかってたの、ハァー、壊せばすぐ取れると思うけどね……』

 紅葉の圧迫面接に、エミリア刑事は怒りと痛みでイライラしながらも、正直に答えてくれた。



(ひょっとして、あの設計図を探してるのか!? エミリア刑事が盗んで、ラン・ブッシュの手にわたり、大富豪キアーヌシュの元へいった……でも彼が死んだから、警察に押収される前に取りに来たとか?)

 この『時計塔』内に盗まれた設計図本がある——?

 ショーンはごくりと息を飲みこみ、南側の玄関ドアの数歩前まできた右肩を元に戻した。

『んん~? なんかアソコんとこ怪しくなぁーい? モクモクが下にどんどん吸い込まれてってるしー、排水溝にしてはおっきぃしー、ひょっとして……地下室ぅ?☆』

 地下室の存在を知らないラン・ブッシュは、時計塔の構造に詳しいわけではないようだ。

(チャンスだ……彼女の背後を取ったときに 失神呪文 《ラディクル》を!)

 ランは、投げ飛ばしたアルバの存在を忘れて、不自然にケムリが下へ吸い込まれていく部分——塔内部の北東にある、地下室のハッチのもとまで近寄った。

(今だっ)

 ショーンはすくっと立ち上がり、かっこよく左腕を突き出し、呪文を叫んだ。



【いずれ安定へ向がぶッツ! 《ラディブェ、ゴッ、ガッ



 むせた。

「ゲッ、ゴホッ、ガッ……エ…ッ…ゲボ」

『あははぁっ☆★?』

 呪文を打てないただのヒトと化したアルバ様を目にし、ラン・ブッシュは、獲物を見つけた豹のように、ランランと瞳を輝かせてニヤリと嗤った。

 くるりと振り向き、激しくせき込むショーンに向かって突進しようとした、その瞬間——


 ビン——ッ!


 何者かの手が、地下室のハッチから伸びてきて、雷豹族の長い尻尾をムぎゅッとつかんだ。

『……?』

 ラン・ブッシュは、その相手が誰かを考えるよりも先に、鋭く後ろへ左脚を蹴りこんだが、すんでのところで相手にヒラリとよけられた。

 相手は、右手でランの尻尾をつかんだまま、もう片方の手で、豪速の突きを放ってきたが——

 むろん、ランはキッチリ見切り、代わりに体をぐっと捻じって沈みこませ、己の尻尾を取りもどす動きに切りかえた。

『ふ…んヌッ★』

 蜂蜜のように滑らかな豹の毛並みは、人間の皮膚を優雅にすべり、腕力と摩擦熱では止められることなく、シュルリとすり抜けて解放された。

『……アハッ☆』

 自分の大事な尻尾を取り返して、ホッと油断したランの顔面に、マルタリーグで鍛えた鋭い蹴りこみがズドンと襲った。豪速の革靴はラン・ブッシュを体ごと、時計塔のレンガ壁へ吹っ飛ばす。

『★★ イグゥ——! ★★』

 ガシャガチャガチャーン! と鈍い石畳が割れる音が、塔内に響いた。

 黒ガスマスクは顔面から半分ずれ、全身をつよく壁に打ちつけられたランは、失神して一階の床にすべり堕ちていった。


『お、よかった、かろうじて生きてるじゃないですか』

 ショーンは、赤い涙と唾液を流しながら、黒煙を分けいり近寄ってくる人物が誰だか見つめた。

 オリーブ色のスーツに、栗色のクリクリ頭。顔には褪せた青色のゴーグルとマスクをつけている。ノア都市の水道局が詰め所に保管しているものだ。

 元銀行員にして、サウザス町長の側近——

 ロビー・マームは、盛り上がった筋肉とたくましい肉体で、ショーンの全身を抱いて持ち上げた。

『僕に感謝してくださいね』

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