4 権力とは、悪か、それとも正義か?
「おいおい、まだ大量に群衆が残ってるぞ。この騒ぎの中、出るつもりか?」
「ええ先輩。監察医のベルナルド・ペンバートン氏が署に到着したそうです、行くしかありません。警察車輌が塔の前に横付けする予定です。襲撃でもされない限り、ノロノロですがいけるでしょう」
「いけるかねえ。あっちのダコタ州じゃ、圧政だった知事が死んだあと、棺を強襲されて、遺骸は市中を引き回されて燃やされちまったそうじゃないか。毒殺の疑いがあったものの、解剖できず未解決だそうだ。つい二十年前の話だぞ」
「それは……さすがに……、現在のノアはそこまで野蛮ではないでしょう。これでも都市民ですから、群衆も紳士なはずです」
(ウラアアアア!)
(おぅらああああ!)
塔の1層にいる警官たちは、建物外の怒号と罵声をつまみに、柩車の到着を待つ間、遺体の前で平和そうに談笑していた。
「さっさとショーン様を解放なさい。警察風情がアルバ様の御手に手錠など、とうてい許されることではないッ……!」
「ノンですわ、都市長! たかが役人が警察に介入しないで頂戴ッ!」
「失敬、マドモアゼル、——こういうのはいかがでしょう。事件の詳細が明らかになるまで、アルバ様には、我が屋敷にしばらく逗留していただくのです。そうすれば一日中、使用人の目もありますし、一定の自由も確保される。我ながらグッアイディアだと思うのですが」
権力と権力が、揉めに揉めるなか、都市長の次男ジークハルトが小気味に腕をあげ、良案を披露した。
「アハン、軟禁状態に仕立てるというわけ? ヌヌヌ……そこまで言うならいいでしょう、アルバ様の監視を外すわ。その代わり、何かあったら、あなた方一族の責任でえすからねッ」
ビネージュ警部は、綺麗にセットされたアップヘアを振り乱し、渋々折れて了承した。
ショーンは小さく「よしっ」と喜びの拳をあげたが、
「——サッサとおいでなさい、参考人としての役目まで消えたわけじゃないのよ、このグズッ!」
警部はヒステリックな叫び声で、階段をツカツカ上り、ショーンの腕をひっぱり、重要参考人として3層へと呼び出した。
「あの……」
「ノン! 口答えしないでッ、さっさとやるわよ、ノアに来たきっかけは、日時は? 着いた後、どんな行動をし、誰と会い、なんの会話をしたの? 全部言いなさい、全部ッ!」
「は、はい、えーと」
3月27日銀曜日、太陽が少し休憩しはじめる午後3時45分。
主が居なくなった3層の一画で、ショーンはノア警察から、きつい事情聴取を受けていた。
「えーと、到着したのは、2日前の夜ですかね。……朝にトレモロを出発して、コンベイで夕飯を食べて、深夜にノアに着いて、背蝙蝠族の警備員に関門でチェックをうけて……」
「お待ち! そんな普通の話を聞きたいんじゃない、そもそもここに来た目的は何なの、おいい!」
(くそ、エミリア刑事やフェアニスリーリーリッチのことを、なんて説明しよう!)
ショーンはいまだ、かなり迷い、焦っていた。自身が疑われているのだから、全てを詳らかにする必要がある、が……
「アーハン? なぜ喉を詰まらせてるの、サッサと吐きなさい、時間は無限ではないのよ!」
一体どうすべきだ? ノア警察のことは、最初から信用しないつもりだった。ギャリバーを窃盗しようとしたガウル警官の件もあるし、ペンギン掃除夫ノアからも、ノア都市では偉い人ほど騙そうとしてくると忠告を受けている。
「サあッ、はやくお言い、このグズッ!!」
警部愛用のムチがしなり、証人の座る机を叩いた。
(イヤだ……! こんな高圧的な奴らに、なんでこの僕が遠慮しなきゃならないんだ…?)
ふと、深く黒い炎が揺らぎ、ショーンの心臓を炙った。
「ビネージュ警部……あなたは信用に足る人物ですか?」
「ハァーン、信用ですって? 疑っているのはこっちなのよ、わぁってんのッ?」
「それはおかしい、このルドモンド大陸では、皇帝の名において、アルバのほうが警察より立場が上だ。貴方みたいな “下の者” が、僕に命じる理由はどこにもない」
ビネージュ警部も、周りにいたノア警官も、若いアルバ様の突然の圧政に、動揺の波が走った。
「あ…、あンなたね、生意気いうのもいい加減に……!」
「うるさい、キミが信用に足る人物かを聞いてるんだ、信用がないなら、僕だって言わない!!」
「——ッですって!」
「トレモロのゴフ・ロズ警部も、コンベイのダンロップ警部も、立派で信用できる人物だった! 州警察のブーリン警部もだ! みな誠実で、尊敬できて、協力したい人たちだった。だが、あなたには彼らのような品性も理性も感じられない!
ノア警察のビネージュ警部、僕はアンタを信用しないッ!」
ビネージュ警部は、動揺して何も言えず、大きなアーモンド目を限界まで開き、ショックを受けて白ざめていた。
ショーンのほうも震えていた。心の底から彼女を嫌いなわけではなかった。この人は例えこんな態度でも、自分の職務に忠実であることは節々から理解していた。
だが、全ての情報を明かすわけにいかない。己が独自の権限を持つには、アルバとしての威光を行使するしかないのだ。
この世の中に、派閥争いがなぜ発生するか——ショーンは今、身をもってそれの理由を味わい、この世の抗いがたい「理」とやらに畏怖と悔の念を抱いた。
権力闘争とは、悪と正義の戦いではない。
正義と正義のいがみ合いだ。
「ベゴさん、他に地下水道から建物内に入れる場所ってありますか?」
「う、うん……どういう意味じゃい?」
「たとえば、役所や警察署、病院、消防局とか、そういうとこです。地下から直接出入りできますか?」
「お…………おう、ええと…」
さすがにヒトの良いベゴ爺さんも、拾った女のコが、もしや危険人物かもしれない、ということに気づきはじめた。
「無いことはない。……が、職務上、言えるわけねぇだろ。そこまでにしときな、嬢ちゃん」
ジョバンニ爺さんは呆れて、火のついてない葉巻を、スっと吸ったが、
——————パァン!
サウザス製の鋼鉄の塊は、細い焦茶色の煙草の塊を、爺さんの唇スレスレの位置から吹っ飛ばした。
「ヒいッ!」
豹変した紅葉への恐怖で、ベゴ爺さんは、ヨレヨレの尻尾をビシッと逆立て、ヒタタタタ…! と物もいわず逃走し、地下水道の曲がりくねった横道へと姿を消した。
「……フ…ッ…」
残されたジョバンニ爺さんも、うっすらと汗をかき、憤怒している謎の女に対峙していた。
紅葉の額から突きでた、剝きだしの木成り色の角は、わずかに赤く発光している。
「ベゴさんが言ってた——サウザス出身の同胞って貴方のこと?」
それはジョバンニにとって思いがけない問いだったのか、つい「そうだな」と答えてしまった。
「本当に? じゃあサウザスに戻って、役場と警察に依頼して『ジョバンニ・ベネディット』なる森狐族が存在したかどうか確かめてもらう。学校と病院にもあたる……もちろん、サウザス新聞にもね」
紅葉の怒りは、大富豪キアーヌシュの殺害でもなく、サウザス事件の犯人でもなく、まっすぐ自分に向いていることに気づいたジョバンニは——
「なるほど、君は鋭いようだ。Journalistではなく、Sleuthに向いてるな」
森狐族の背の高い爺さんは、にやりと笑って、2本目の葉巻を懐から取り出した。
紅葉はふぅーと深い息を吐き、
「私……貴方の正体を知ってます」
彼の目の前に突きつけていた、【鋼鉄の大槌】を下げ、元の自分の脇に戻した。
「アーサー・フェルジナンドのお父さんでしょ?」




