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【星の魔術大綱】 -本格ケモ耳ミステリー冒険小説-  作者: 宝鈴
第45章【Old geezer】変な爺さん
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3 9割の悪と、1割の快感

 3月27日銀曜日、時刻は15時30分。

 ノア都市の地下水道は、コクコクと水が流れるパイプ音と、苔と雫と鉄錆の匂いがあたりを支配していた。

「時計塔ね……入れるよ、もちろん、わざわざ水道局員で入るヤツぁいないがね」

 ジョバンニ爺さんは葉巻をくわえて喋りはじめた。ベルガモットの湿った葉巻だ。彼はさすがに地下内で火を点けることはなかったが、わずかな香りと苦みを味わってるようだ。

「なんでそんな——不用心すぎないですか!?」

 紅葉は憤慨し、【鋼鉄の大槌】をぎゅっと握りなおした。森狐族の爺さん2人は、キツネの耳をひくひくさせて互いを見つめ……答える義理などない小娘相手に、仕方なく構造を説明してくれた。


「ハン…昔は1階から地下室へ繋がるハッチに鍵がかかっていた。中から『守り人』が開けてくれないかぎり、水道局員が出入りできるのは地下室内までだったのさ。時代の流れで、地下室内にシャワーとトイレを作ってからは、ハッチを常時開けっ放しにするようになったそうだ」

「しゃわーがついたのは先々代の守り人の頃じゃ。ワシが取り付けを手伝っちゃっちゃ。40年ほど前の話じゃったかのう。ま、温水式になるまでは、あまり使ってなかっちゃようじゃがの」

 ベゴ爺さんは、若い頃の自分を思いだし、癖毛だらけの尻尾をフリフリさせた。

「だからって……!」

「そんなに騒ぐことかい、お嬢ちゃん? 金持ちのお屋敷だって、裏口は常時開けっぱなしだったりするぜ。洗濯婦がお日様にシーツを干したり、コックがニワトリの卵を取ってくためにな」

「……だって、人が亡くなってるんですよ?」

「フン——77ならじゅうぶん長生きさ」

 ジョバンニのジジイは取りつく島もなく、吐き捨てた。

 紅葉はどうにも彼を生理的に好きになれず、ベゴ爺さんのほうに目線をそらした。


「ほいじゃ、【でンずの神】と【もるぐの神】に祈るとしよっかの。ワシは水神いほらの像しかもっちょらんが、ま、ま、神々はお許しくださるじゃろ」

 ベゴ爺さんは、先ほどお祈りにつかった神像つきの首飾りを、シャツの下からよいしょっと取りだした。

「ベゴさん、このマンホールから、点検とかで塔まで上がることはあるんでしょうか」

「おう、もちろん。ハシゴの痛みも見んきゃーならん。それでも年に2回くらいっちゃの」

「直近ではいつですか?」

「去年の12月だーね、毎年総点検があんのよ。さみーのに困ったもんよ、体にこたえるっちゃのう」

 ベゴ爺さんは、冬の時期の老体を思い返し、シナシナな尻尾を総毛立てさせた。

「そうですか……」

 紅葉はぐっと上方を見つめ、モルグの住まう暗黒の穴を見つめた。今すぐ、自分が上にあがって直接確かめたかったが、犯人が痕跡を残してるかもしれない中で、そんな愚行を犯すわけにはいかない。

(盗まれた『設計図』の謎を解かなきゃ……キアーヌシュが死んで終わらす訳にはいかない!)

 親の仇を睨みつけているかのように、眉間の剣山を刻む紅葉を、横目に見つめるジョバンニ爺さんは、湿りきった葉巻をジュッ…と吸った。




「警部、警部ーーッ、また大変な人物がっ」

 ショーンが、誰にも吐露できない悩みで圧し潰されそうになっているところ、にわかに下層階がバタバタと騒ぎ始めていた。

「おや、誰か来たんですかね?」

「ん~♡ ヘンねえ、警備員が入室を許すヒトなんて、そうそういないハズだけど♡」

「じゃあ、いったい誰が……」

 厳重な警備員があっさりと通し、大富豪秘書でもピンと来ておらず、警官たちが騒ぐような人物とは?

「オーウ、嘘でしょう! なんだってカレを通したのよ!?」

 あのビネージュ警部が、上から急いで降りてきて金切り声をあげた。


「仕事中に失敬——諸君。このたびはノアの『守り人』に対し、哀悼の意をお伝えしに参りましたぞ」


 厳格な振る舞いに、魔術師のようなローブ。先端に宝石がついた杖は、カツ、カツンと、歩くたびに塔に響いた。

「お父様はすべての予定をキャンセルし、この『時計塔』へ参りましたのよ。非常にお痛ましいことですわ、我々一家一同、冥府の門への安寧の旅をお祈りしましょう」

「ボクたちからこの場で言える唯一の言葉を。R、I、P」      

 偉大なる父親の後から、見知った黒いゴシックレースの兄妹たちも、ぞろぞろと付いてきている。

「わわ、お疲れ様です、都市長……! ジークハルトとベルゼコワも!」

 ショーンは思わず立ち上がって、絢爛たるご家族に挨拶した……が、椅子につながった手錠が思いきり引っぱられ、ガツッ、ゴロン、と空虚な大音量が転がった。


「ム!……これは一体どういう状況かね、ビネージュ警部。あの方を今すぐ解放したまえ、事件にはなんの関係もあるまい……」

 アルバ様の痛ましい状況を見抜いた都市長は、すぐに冷たい怒りの声を上げた。ショーンにとって思わぬ助け舟に、心臓が3センチほど跳ねあがる。         

「アハン、お待ちになって、シュナイダー都市長。ふふ、いくら貴方のご依頼とはいえ、容易に聞くことはできないわ。彼が会談しようとしていた矢先に、大富豪が死んだの。怪しい容疑者なのよ」

 警部は、犬豹族の白いしなやかな尻尾を振って、都市長をなだめようとした。

 捜査の鉄則としては、ビネージュ警部のほうが正論を放っているように見えた——

 が、


「何を言っている、バカバカしい……! いいからアルバ様を放しなさい、彼はサウザスの凶悪事件を追う英雄ですぞ? ノア地区の大事な賓客であり、ラヴァ州の窮地を救う救世主なのです、あろうことか手錠で拘束するなど……まったく下品なッ!」


 ゲアハルトは憤怒の皺を刻み、黒い涙筋のような隈をますます濃くさせ、時計塔中に響く声できびしく怒鳴った。

「————ッ!」

 いつもは厳粛な都市長の、とつぜんの怒号に、塔内の者は一気に緊張の波を走らせた。修理に集中している時計技師のダンデ以外、皆きゅっと肩を縮こまらせ、尻尾の毛をピンとはった。

「あの……ちょっと都市長、冷静に! 経歴や外見にダマされてはいけないわ。犯罪学ではそういう者こそ、いっちばん怪しい人物ですのよ!」

 ビネージュ警部は、まだかろうじて薄ら笑いを浮かべ、この場を諫めようと試みていたが……

「黙りなさい! これはノア地区の沽券に関わることです! 彼が捕縛すべき犯人だとおっしゃるのなら、すみやかに証拠を出しなさい、証拠を!!」

 ゲアハルト都市長に対して、そんな楽に話が通じるわけもなく、逆に脅しを受けてしまった。


「………は、はぁーっ……」

 これが権力というものか。

 ショーンはなかば感心し、自分が当事者であることも忘れて、2人の大激突を聞き入ってしまった。

 庶民が主人公の物語だと、こうした強権によって贔屓されることは、極めて「悪」として描かれる。

 しかし、ショーンは自分がその、悪の権力に守られる立場になってしまったことに、9割の居心地の悪さときまりの悪さ……そして、1割ほどの快感と安堵を得てしまった。

 主人公としての「正義」を貫くならば、ここは都市長の訴えを辞し、ノア警察の捜査をおとなしく受け、自身の潔白を晴らさなければならない——が、

(チャンスだ、ゲアハルト都市長が味方してくれてる。このまま解放されれば自由に動けるぞ! 警察には、後でちゃんと真犯人なり真実なり見つけて、突き出せば万事解決じゃないか……)

 ショーンの正義の天秤は、極めて脆弱にグラグラ揺れていた。


「さっさと解放なさい。手錠など到底許されない!」

「ノンノンですわッ! ですからね、都市長!」

「お二人とも、お黙りになって!!」

 喧々諤々の大激論のさなか、急に、都市長の娘ベルゼコワが話を遮った。

「失礼、お通しください」

 警官たちが数名、大きな聖清布を抱えて、上層から降りてくる。


 ——キアーヌシュ・ラフマニーのご遺体が運ばれていく——


「これから神殿へ運ぶのかね?」

「いえ都市長、まずは警察署に行き、解剖させて頂きます」

「では、その前に御礼を」

 都市長ゲアハルトは、長いローブの裾をふり、聖清布に自分の杖を掲げ、静かに目を閉じ、薫陶を捧げた。


「あなた様は、ノアの『守り人』としての役目を全うされました。長年のお勤めに対し、ノア都市より、感謝の意をお伝えいたします。どうぞご無事で、デズの神の胸元へたどり着けますよう、モルグの神よ、守りたまえ……」


 先ほどまで叫び声をあげていたビネージュ警部も、この場は沈黙し、しめやかに黙祈を行った。

 秘書のキューカンバーも、青羆熊族の警官に連れられて、御主人の骸の傍にゆき、心痛な面持ちで見つめている。

 時計機構の修理をしていた時計技師ダンデ・ライトボルトも、手をとめ、上の階段からゴーグルを取り、頭を下げた。


 老人に安らかな死を。

 ショーンも改めて首を垂れた。

 デズの神に、死の祈りを捧げ、

 モルグの神に、魂が無事にデズのもとへ流れつくようお願いした。

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