2 おじいさんの詰め合わせ
「よう、空から落ちてきたのかい、お嬢ちゃん」
「あ……はい。あ、あのう、お名前は……?」
「フッ、なぜ水道局員の名前なぞ聞く? ジョバンニだ。ジョバンニ・ベネディット」
あの人によく似た森狐族の爺さんは、帽子をとって名乗ってくれた。
(フェルジナンドさんじゃない……だよね、当たり前か)
同じ民族なのだから、そりゃ似ているはずだ。雰囲気と顔も……
「ベゴ爺さん、時計塔に行くつもりかい、ナカに入るなよ。容疑者扱いされるぞ」
「わーーっちょるって! 上の穴に向かって、ちょいとムニャムニャするだけだっちゃ」
「警察は、この地下水道の存在をご存じなんでしょうか? もうパイプの下にも降りてるんじゃ……」
紅葉が何気なく発した言葉だったが……
「嬢ちゃん、あんた、詮索好きかい——普通の娘じゃねえな」
水道局員、ジョバンニ爺さんのエメラルドの瞳が鋭く光った。
そもそも巨大な鋼鉄トンカチを持ち歩いてる女が、まともなわけがない。
「今すぐ家に帰って、メシでも作んな。……長生きできねえぞ」
「——————!」
突然殴られたような衝撃に、紅葉は全身の毛と髪を逆立て、【鋼鉄の大槌】を握り直した。いったいなんだ、この爺さんは?
「なんじゃい、なんじゃい、喧嘩はやめい! 神聖な水道内で、殺傷沙汰なんて許さないぞい!」
小さなベゴ爺さんは、短い腕をきゅっと真横に伸ばし、諍いを封じた。
「怒りと苛立ちは水に流すっちゃ。いほら・さしゅよ、見守りくだされ! ホレ、三人でいのるっ」
彼は作業着の下から、【水の神 イホラ】のネックレス像を取りだし、ムニャムニャムニャ……とお祈りし始め、渋々、ジョバンニ爺さんと紅葉も従った。
(この人、ジョバンニさん……きっと絶対なにかあるはずだ!)
しかし紅葉は闘志を失うことなく、心密かにサウザス第一信奉伸【火の神 ルーマ・リー・クレア】へ、爺さんの正体を暴くことを誓っていた。
「よっと、そいじゃ、ま、整備の前に【時の神 リビチス】に祈りましょうか……っと」
「ノンノーン、お待ちなさい、そこのアナタ! 州身分証と職員証をお見せなさい!」
ビネージュ警部が、ツカツカと下へ降りてきて、謎の時計技師の爺さんに命令した。
爺さんは分厚いゴーグルを目につけ、飛行士のようなキャップを被っており、遠目から何民族かは分からなかったが、肩まで届く長いチョコレート色の尻尾だけは確認できた。
「ダンデ・ライトボルト、歳は70……確かに時計塔の整備士の一人ね、……フゥーン、いいでしょう、ノア都市民の時を狂わせる訳にはいかないわ! ガウル警官、見張ってなさい」
盗っ人警官はガウルという名前のようだ。ショーンたちの監視から外れ、代わりに下層階にいた警官が、交代で見張りについた。
「えーと、どうも……」
「…………」
新しい青羆熊族の警官は、図体はでかいものの仕事熱心なタイプではないようで、ショーンらが小声でお喋りし始めていても、特に注意せずぼーっとしていた。
「キューカンバーさん……あの時計技師の方って、どのくらいの頻度で出入りしてるんですか?」
「あっら、気になるう♡? 2日に1回はいらっしゃるわよー。月に1度、清掃員も入るわね♡」
「じゃあ、もちろん外の警備員も名前を覚えてて、顔パス……ですよね?」
「当たり前じゃなーい♡ でも毎回、身分証はちゃんと全員チェックするわよ、身分証が無くても通れるのは、アタシだけのト・ッ・ケ・ン……♡」
大富豪秘書は恍惚そうに体を揺らし、空気中にピンクのハートをまき散らしていたが、青羆熊族の警官は特に気にせず、ぼーっとしていた。
「キアーヌシュ氏は、彼らが来る間、何を……?」
「そうねえ、いつもはお部屋に引きこもってるんだけどぉ、たまーに降りてきて挨拶することもあるわよー♡ あのダンデさんとはお年も近いし、わりと喋ってたわね♡」
「えっ、大富豪は人嫌いと聞いてましたが、彼らと会話はしていたんですね!?」
「んもぅ、やーだ、ご主人はおカネ目当てのヒトタチに疲れちゃっただーけ♡ 時計塔の整備士サンは、みーんなおカネより時計を愛する変人サン達なのよォ、当然でしょ~?」
「…………そうです…か」
(関係者なら出入りできる……前のトレモロ図書館の地下室みたいに、業者なら定期的に出入りできるんだ。今回もやっぱりそうなのか?)
ショーンは少し肩を落としたが、
(いや、さすがに設計図の盗難と違って、人がひとり死んでいるんだぞ。しかも大富豪……犯人が業者だったらすぐにバレるじゃないか……安易に決めつけちゃダメだ)
すぐに考えを改め、背筋を張りなおした瞬間、
「ショーンさん、何を捜査してるんです? 探偵よろしく、犯人を見つける気ですか」
思いがけず、左に座るロビー・マームから声をかけられた。
「え!……うん、そうだけど。自殺にしては不自然な状況だし……」
ロビーの声掛けに、なぜか心臓がドクンと唸った。悪いことを咎められている悪戯っ子の気分だ。
「これは役人としての予想ですけど、探ろうとすればするほど、ノア警察はコチラを疑い、警戒してきますよ」
「……そうかもね」
それはじゅうぶん予想できることだ。第一発見者になったのは、運が良かったのか、悪かったのか……。
「ショーンさんが、大富豪キアーヌシュに会おうとしていた理由は『サウザス事件との関係が濃厚だったので、直接彼に話を聞くため』……でしたっけ?」
「そうだよ」
ショーンが眉間に皺をよせ、青い顔色をする一方で、ロビーは相変わらず能天気に髪をくるくるカールさせて、マイペースな表情を浮かべていた。
「じゃあ、もうここに長居する意味はないですね。帰りましょう」
「は!? ダメだよ、ちゃんと捜査しなきゃ……!」
思わず、時計塔内で大声を出してしまったが、青羆熊族の警官は反応せず、ぬぼーっと突っ立っていた。
「ええ、ですから、我々の方針はこうです。
サウザス事件との関係が途切れたなら、サウザスにいったん帰って、他の線をあたらなければならない。ですが、人ひとり亡くなった重大な事件ですし、ノア警察の捜査には全面的に協力しましょう。
彼の死を悼み、祈りましょう。余計な詮索は無しです」
ロビー・マームは、社長に言い聞かせる秘書のように、ゆっくりと上方を向いて呟いた。気まぐれで傲慢、暴力的なサウザス町長の下で、キズひとつなく生き抜いている彼の、処世術を垣間見れた気がする。
(そうか、あくまで大事なのはサウザス事件の解決だ……大富豪の死は、ギャリバーの会社関係や、ノア都市の政治情勢がらみの可能性も高い。自由に捜査ができない以上、警察には、自分たちが無関係ということを強調し、すみやかに去ることを目標にしないと、拘束時間が増えるだけだ!)
だが——それでいいのか。
ショーンは唇を強く噛み、己の良心と好奇心、そして罪悪感との天秤に悩んだ。
そもそも【Fsの組織】が関係している以上、無関係を装って「ハイさよなら」なんてできる訳がない。
「くそおおお、僕はどうしたらいいんだ、こんな時、紅葉がいてくれたら……! もみじーーーっ、紅葉ぃいいいいいいいい!」
ヤケクソになって紅葉の名前を叫んだら、ついに青羆熊族の警官は振り返った。女の名前を情けなく叫ぶアルバ様を、まん丸のつぶらな瞳で見つめていた。
「ここが時計塔の真下ですか……」
紅葉とベゴ爺さん、ついでにジョバンニ爺さんもついてきて、ノア都市の地下水道、時計塔直下にやってきた。
地上では、時計塔を中心に、区間道路が放射線状に伸びている場所だったが、地下も同様に、パイプが十数本も交差する、地下水道の主要交錯地点となっていた。
壁には点検用パネルやボード、予備の部品や工具に、水道局員の休憩用ベンチなどなど……詰め所のような空間まで存在している。
そして『時計塔』との出入り口——天井にぽっかり空いたマンホールは、明かりもなく、光る印もなく、真っ暗で見えない黒点となっており、上へ吸い込まれたら最後、モルグの神の世界へと到着してしまいそうだった。
「ここを上っていくと、塔の内部に入れちゃうってことですよね、マンホールのフタには鍵が掛かってるんですか?」
己の忠告むなしく、探偵よろしく詮索してくる紅葉に対し、
「……フゥ、仕事熱心なこったな」
ジョバンニ爺さんは肩をすくめ、謎の小娘の捜査ごっこに付き合うことにした。




