5 君は『時計塔』を知るだろう
ここで、ショーンが撮影した死亡現場の様子と合わせて、あらためて『時計塔』の構造を説明しよう。
ノアのシンボルである『時計塔』は、全部で3層に分かれている。
時計塔の1層
ここは通常の1階から4階ほどの高さにあたる。
内部は高い吹き抜けとなっており、上方は螺旋階段以外なにもない。
そのため部屋として使えるのは1階だけだ。事務的な家具やキャビネット、食料置き場に冷蔵庫など、物置として機能している。
1階の床には地下室に繋がるハッチもあり、地下には電気や水道などの制御室、シャワー室とトイレがある。
塔の壁に沿ってつくられた巨大な螺旋階段の壁には、塔の設計図や機構図、昔の風景画などが額縁で飾られている。
時計塔の2層
ここは5階から9階ほどの高さにあたる。
時計塔の心臓部であり、最も重要な層だ。
上方の壁には、東西南北に大時計盤が4面、設置されている。
4つの時計盤は、部屋の中央にある心臓機構と歯車で繋がっており、すべての面が狂うことなく、同時刻を指し示している。
中央の心臓機構は、歯車が複雑に組み合わさって作られ、電気や瓦斯のような燃料なしに動いており、その特殊な設計は外部に公表されていない。
心臓機構からは鋼鉄の細糸も垂れていて、下方の床スレスレに真円球が吊り下がり、一定間隔で揺れている。
ここの螺旋階段は、時計整備用の階段や廊下も伸びているため、1層と比べて多少つくりが複雑だ。階段の壁には、歴代の『守り人』の肖像画や版画が掛けられている。
時計塔の3層
ここは10階から12階ほどの高さにあたる。
3層は、1層2層よりも床面積がひと回り小さい。けれど、螺旋階段も普通階段もないため、思ったより広く見える。
中はもちろん吹き抜けで、最上部は塔の先端になっており、円錐状にすぼんでいる。
ここが『守り人』が住む場所だ。
住み心地は——ハッキリ言ってよろしくない。電気も水道も通っておらず、緊急用の尿瓶が用意されている。
ストーブはあるので、煮炊きはできる。ただし煙突はないので、使うときは窓を開けておく必要がある。
床は、オーク材が交互に敷かれており、その上に紫の丸い絨毯が乗っかっている。
紫の絨毯は床の半分ほどを覆っており、そこそこ大きい。部屋の中心に存在し、絨毯の上には、ベッドやテーブル、ランプ、ストーブなど、大事な生活用品がぎゅっとまとまって置かれている。
壁は8つの窓に、2つのクローゼット、南側にあるドア以外は、壁づけの本棚がずらっとそびえ立っている。本棚は約2階分の高さがあり、棚ごとに梯子も付いている。梯子は棚に直付けされてため、解体しないと取り外せない。
そして天井。天井からは何もぶら下がっていない。明かりも、シャンデリアももちろんない。唯一、手すりのようなの鉄棒の飾りが、塔の先端と胴体の境目に、円周に沿ってくっついている。
塔の尖塔である円錐の壁には、大きな丸窓が4面、鉄棒の少し上に取り付けられているが、下から自動で開けるような機構はないため、長ーい梯子でもかけないと開閉することは不可能だろう。
時計塔の内壁は、外壁と同じ、卵殻色のレンガがみっしり積まれている。窓は多いので昼間は明るい。ただし1層と2層の窓が開かれることはほとんどない。
吹き抜けが高いぶん、床は非常に分厚くなっている。普通の家の床が、板チョコレートのような薄さだとしたら、ここの床は高級なハンバーガーのようだ。床にはオーク材が敷かれており、螺旋階段もオーク材でできている。
塔の出入り口は南にある、警備員が左右を守る正面ドアのみ。
窓からの出入りは——可能。ただし監視の目をかいくぐればの話。
塔の周囲は、のどかな植木とベンチ。そして物々しい警備員が少々。
大きな円形道路が、塔のまわりをぐるっと囲んでおり、ペティフォーケ1区からトリンケェーテ7区までの区間道路6本と、枝分かれしている。
塔の周りのビルからは、株式会社キンバリーに雇われたヒットマンが、大富豪キアーヌシュを常に守っている、というのが都市長の息子ジークハルトの談だ。
以上が、ノアのシンボル『時計塔』の紹介となる。
「ふぅー……」
ショーンは改めて、【真鍮眼鏡】から現場の様子を見直した。
(キアーヌシュは、首を吊られた状態で死んでいた。
自殺だとしたら……かなり不自然だ)
もし自殺だとしたら、およそ3階の高さから、自力で縄をかけていることになる。だが周りにはそこまで到達する梯子も棒もないし、縄を重石でひっぱっている感じでもない。
腰猿族は背が低く、腕が長く、木登りが得意な民族だ。けれど壁の本棚からは腕を伸ばしても2m以上は離れている。
縄の長さは1.3メートルほどで、よくある麻のロープだ。鉄棒から垂れてる以外に、余計な縄も見当たらない。
(この鉄棒みたいな飾りは一体なんなんだろう。単なる装飾か、建物の補強か……窓掃除につかう足場かな? 足場だとしたらちょっと物足りない気もするけど)
用途は謎だったが、キアーヌシュの体がぶら下がれるくらいには、強度があるということだ。
鉄棒の上の丸窓は、固く閉じられている。採光用の窓と思われるけど、画面を拡大してハッチの存在は確認できた。
(天井の窓は開けられる……。犯人はここから出入りした可能性がある)
今度は、下に目線を向けることにした。
床の中心には直径3メートルほどの大きさの、紫の絨毯が敷かれている。
絨毯の北西にベッド、北東に書斎デスク、南東にストーブと食事用の丸テーブルが乗っている。
(ストーブの状態は……消えてる。テーブルには食事の跡……大鍋と小鍋が積んである。でも直前まで食べてたって感じじゃないよな)
部屋の中央には、乱雑なスリッパ。脱ぎたてのようだ。ベッドの上も、ぐちゃぐちゃな毛布が適当に乗っかっていて、美しくベッドメイクした感じではない。
(脱ぎたてのスリッパ……なにか関係あるかな)
心理学者なら分かったかもしれない。
画面を周りに移そう。
まずは本棚だ。2メートル以上ある本棚は全部で6架。
中身は辞書、図鑑、伝記、名作小説に歴史小説、各種専門書。もちろんギャリバー名鑑もある。70代の老人が揃えてそうな本のセレクトだった。
目を凝らしてタイトルを探したものの、魔術書のたぐいは無さそうだ。もちろん【星の魔術大綱】も見つからない。
壁には本棚のほかに、全部で8面の窓があるが、すべてカーテンは閉め切られている。この窓は常に閉め切ってるのか、あるいは……
(昨日の夜に閉めて以降、昼になってから開けてない、ってことか?)
「キューカンバーさん。あの部屋って、昼間カーテンは開けてますか」
「んんっ♡」
「なんだ? ムダな会話をするな!」
「んもう、しょうがないじゃない。この部屋ちょっと暑いのよぉ♡ 窓を開けてくださらなぁい?」
「窓だぁ!? ダメに決まっとるだろう!」
「いいじゃなーい。たまーに開けるくらい、ご主人だってやってたわ♡」
(たまに開ける……か。あんまり参考にならないや)
せっかく手がかりをつかんだと思ったのだが。
天井付近と、床まわりはひと通り確認し終わった。
「………はーっ」
ショーンはいったん目を閉じ、【真鍮眼鏡】をとって、目頭を押さえた。
ひどく消耗していた。もう1度眼鏡をかける気力もなかった。
アルバになって以降、【真鍮眼鏡】が重いと感じたことは数あれど、これほど眼球の疲労を感じたのは初めてだった。
——でも、これで終わっちゃだめだ。
ショーンは、息をつまらせながらも、今まで見ないようにしていた、キアーヌシュの状態を凝視することにした。




