3 こんなんじゃ仕事にならねーって!
《ビーッ、ビーッ、ビーッ!》
「ユー、触らないで、わたしが出るわ」
ビネージュ警部は、黒いピンヒールをショーンの膝近くにガツンと打ちつけ、けたたましく鳴るトランシーバー『ムース』を奪った。
「アーハン、どなたかしら」
『誰? ショーンはどこ!?』
「落ちついて、ノア警察よ。彼は重要参考人としてここに居るわ」
『本当に? いま時計塔にいるの? それとも警察?』
「署に来てちょうだい、コントラフォーケ2区の北にあるわ」
『待って、あなた本当に警察の人な…… ——ブツッ』
警部は容赦なくトランシーバーを切り、優雅にショーンに返却した。
「ずいぶん疑りぶかいオツレサマね」
「……あの」
「ンマ、どなたか見当はついてるわ、サウザス事件の紅葉さんでしょう」
(まずい。)
妙に厭な予感がするのは、悪臭と死臭のせいだけではなかった。ショーンの猿の尻尾がざくざく毛羽立っている。
「警部、どうしますか」
「彼女を見つけ次第、拘束してちょうだい」
「キアーヌシュ殺害の可能性が?」
「エエ、もちろん、あるでしょう。非常にきな臭いわ」
(マズイまずい。)
「だっておかしいじゃない。彼らは今までトレモロ地区にいたのよ。なのにノアに来たとたん大富豪が死亡するなんて。ふかーい関係があるとしか思えないわ」
ビネージュ警部の、豹の白ぶち尻尾がピンと立ち、探知機のように周囲を探っている。
(マズイまずいまずいまずい!!)
今まで、警察とは良好な関係を保ってきた
なのに、今は犯人だと疑われてしまってる。
このままだと、今後の捜査にまで支障が出てしまう…!
ショーンは思わずロビー・マームの顔を見つめたが、彼は無言で肩をすくめるだけだった。
「んひぃ♡ あん、だめえ、食いこんじゃううう♡」
大富豪秘書キューカンバーの野太い声を聴きながら、ショーンはひそかに【真鍮眼鏡】のレンズを拡大し、警察にバレないよう部屋中を観察し、アルバにしか知られることのない無音のシャッターを押し続けた。
「うっわ—、混んでる!」
紅葉はつんのめりながら足を止めた。
これまでも、有名人の事件がおきて、野次馬が集まるのは幾度も見てきた。
しかし、ノアでのそれは、尋常ではない混み方だった。
「ひゃほおおお、弔いだーーーっ!」
「ちょっと押さないでよ!」
「おおおいっ、誰か自殺か他殺か知ってるやつぁ、こン中にいねえのかい!?」
『時計塔』が都市の中心にあるせいか、ノアの全7区中から住民が集まり、人の波と怒号でごった返している。
交通整理の警官たちが、口々に帰るよう叫んでいたが、叫ぶたびに人が増えていき、普段暗い顔をした労働者が、日ごろの憂さ晴らしをするかのように、葬礼饗宴 (メモリアル・パーティー)を勝手に開いて騒いでいた。
「く……!」
水桶のなかを泳ぐ無数の豆のように、ひとの頭と角と耳が、道幅いっぱいに詰まってうごめいている。
「こんなんじゃ、進めない……よ!」
現在、紅葉がいる場所は、トリンケェーテ7区とバウプレス5区の区間道路。時計塔の大文字盤がなんとか視認できるくらいの位置だったが、その先の歩をすすめるのが難しい。警察署はここから時計塔を挟んで真反対の位置、コントラフォーケ2区にある。
「通して、とおしてぇ……っ!」
怪我をしてなければ、押しのけて突破してたかもしれない、が……【鋼鉄の大槌】を杖代わりにしている紅葉には、まだ無理な難題だった。
「だぁああ、こんなんじゃ仕事にならねーって!」
見知った声が前方から聞こえてきた。ほんの少し甲高い、だみ声交じりの男の声。人ゴミからぴょこっと飛びでた長ーいモップの柄は、途中で枝分かれして掃除バケツをぶら下げている。
「ノアさん?」
「おおっ!? その声はなんか聞き覚えがあるぞー?」
「ノアさーーーん!」
ペンギン族の掃除人、ノアの姿を一瞬とらえたものの、あっという間に波に押されてどこかに消えてしまった。
「あっ、あっ、まあいいか………はあ」
3月27日銀曜日、時刻はランチが終わる昼14時。
地上の喧騒のせいで、体中の傷がまた開いてきた。濃く血がにじみ、服の生地にへばりつく。
「はぁ、くっ、……もうやだよ!」
時計塔がリーンゴン、リーンゴンと、14時の鐘を鳴らしている。
紅葉はビルとビルの間の、路地裏とも呼べないような、ごく狭い隙間に身を寄せた。
「ぜえ……も、やだ……いったん、ホテルに帰って……着替えて…」
とぼとぼと、ホテル『デルピエロ』があるバウプレス5区側に向かって歩を進める。
ホテルのほうがここから近い。警察署は混雑が収まったあと行けばいい。
冷たいシャワーを浴びて、きれいな包帯を巻くこと以外、何も考えていなかったし、前もろくに見ていなかった。
そう。道ですらない土地の上に、水道整備用のマンホールがぽっかりと空いていることなど、知る由もなかったのだ。
「うそ……うそうそうそ嘘うそぉおおおおお………!」
全身赤く染まった紅葉は、黒い虚空に落ちていき、白く煙たい粉塵だけがその場に残った。
「さ! そろそろ彼らを下の階に連れて行ってちょうだい、捜査のジャマよ」
「警察署に連れていきます?」
「ノン! 外に出すのはムリね……民衆が暴徒化してるもの。ドアを開けたら、塔に雪崩こみかねないわ」
ビネージュ警部が部屋の窓から覗きこみ、外の様子をうかがっていた。ショーンのそんなによくない耳でも、『時計塔』の周囲に、民衆が集まってるのがはっきり聞こえる。
「なんか意外だな……ノアの人達って、こういうの冷めてるのかと思ってた。キアーヌシュが英雄ってわけでもないだろうに」
「そうですね。彼が死ねば、金持ちがここから去って、元のノア都市に戻ると期待しているのかもしれません。あと夜行性が多いですから、急に起こされて気が立ってるんでしょう、はははっ」
「そこ! 喋らない! 下で待機してなさい」
ビネージュ警部のムチがしなり、ショーンら3名は手錠をかけられたまま、下層階へ連行された。時計機構がある階だ——転ばないよう、螺旋階段をゆっくり下る。
「さ、諸君。黙って座りたまえ」
階段を降りた先の床には、3名分の椅子が置かれており、幸いにも座りっぱなしの待遇ではないようだ。
「……あれ?」
ショーンは、椅子を誘導してきた警察官に、妙な見覚えを感じた。
『そこのキミたち! ギャリバーで町に入っちゃダメダメ』
『えっ、すみません、知らなくて……どこかに停留場があるんですか?』
『ああ、私に鍵を貸したまえ』
『——おっと。ノアに住んでからチョビっと経つけど、そんな法律は知らねえな』
「————お! ま、え、は!」
ノア地区に来た日の夜、ギャリバーを盗もうとした警官に違いなかった。
「ぬぬぬぬん!? なんだ! 貴様は、口答えするな!!」
盗っ人警官は焦りからか、ショーンの頭にげんこつを一発食らわせた。
痛みはそれほど無かったものの、それ以上の心の衝撃がショーンに落ちた。
「ノンノンノーン、乱暴はやめなさーい、こちらの落ち度になるでしょう」
螺旋階段の上方から、ビネージュ警部の忠告が降ってくる。
(こいつ……、本物の警官だったのか!)
ショーンは予期せぬ邂逅に冷静さを欠きつつも、無言で椅子に座った。
「ショーンさん、大丈夫です? たんこぶはできてませんか」
「そこ、喋るな!!」
盗っ人警官は乱暴に、手錠を椅子に掛け直してきたが、ショーンは静かに耐えて従った。
今は、こんな奴を気にしている暇はない。
警官がその場から離れたのを確認し、深く息を整え、先ほど【真鍮眼鏡】に透写した、大量の写真を見返しはじめた——




