1 キアーヌシュさんに頼むしかないか
【photograph】写真
[意味]
・写真
・撮影する、写真をとる
・記憶を残す、胸に刻む、印象に残す
[補足]
ギリシャ語「phōtós (光)」「graphē (書く)」に由来する。1839年、イギリスの天文学者ジョン・ハーシェルが、写真のことを「photograph」と命名した。写真とは、現実世界にある景色を、暗い箱のなかへレンズを通すことによって「光の像」として投映し、その像を感光材で焼きつけることで、現実の映像を保存できる媒体である。現代のカメラでは、光の像を意識することはほぼ無くなってしまったが、その昔、暗箱の投影機であるカメラ・オブスキュラを使用していた時代に見えた「光の像」は、とてつもなく光り輝き、記録だけでなく、記憶にも刻まれたことだろう。
『この子を完成させるには、もっと頑丈で精巧な歯車が必要だ……!』
次男カヤンはようやくこの見解に至り、スパナをその場に落とした。
『チッ……オンボロ工場産の歯車じゃー力不足だってのか? エンジンの冷却機能をもっと高めりゃいいだろ』
長男カーヴィンがゴーグルの上から頭を掻き、パイプ椅子にドカッと座りこんだ。
『そんな予算もうないって! エンジンの鋳型を作るだけで店と土地を売ったんだからさあ!』
三男カディールは、鉄テーブルにあぐらで乗っかり、分厚い帳面を鉛筆でパシパシ叩いている。
あれから7年。馬車修理店『キンバリー』は、シュタット州アーバーニ区の地図帳からとうに消え失せていた。
ソフラバー三兄弟は、キアーヌシュの質屋の物置小屋に居候しながら開発を続け、三輪式軽自動車○○○○○の完成目前まで帆を進めていた。
『まずいよ、銀行にはあと2ヶ月で完成するって伝えてあるのに! モヴァファギット川沿いの試乗くらい平気でしょ、たったの100キロじゃん、壊れずに動くでしょ!?』
カディールは、兄の言うことが信じられずにその場でわめいた。
彼はこの1年、ここから30キロ離れた区都シュレーンの銀行に、試運転中の○○○○○で通い詰めていたのだ。
超合金のように頭の固い銀行員から、製造販売の融資を受けるべく、雨の日も風の日も、暴風雨でもハリケーンの真横でも、身をもって運転し続けたというのに!
『僕の計算だと、走行距離870キロで歯車の破損が始まる……900キロでエンジンは暴走し、この子は大破する……』
カヤンは脳内の製図紙に計算を書きつけ、事実を告げた。
『皆がみんな、走ったその日にメンテする訳じゃないからなあ。売り物として売るにゃー怖すぎるか』
カーヴィンは溜め息をついてマグカップを手にした。最近はコーヒーを買うドミーすらなく、もっぱら麦虫湯で飢えと渇きをしのいでいる。
『そんな分析いらないよ! どうするんだよ、頑丈な歯車は! もう製造工場だって押さえてあるし、従業員の募集だって始まるんだよ?』
末弟は、差しせまる現実を必死に訴えた。
モヴァファギット川の上流から下流へ——高低差のある悪路での長時間運転を成功させれば、銀行から○○○○○の製造資金が下りる。
もちろん頭を下げたのは銀行だけではない。仕入れ先に、従業員の確保に、販売店までその他もろもろ……。ツテもコネもまったくない中、三男カディールはあちこち奔走し、事業を始動させるべく根回ししていた。
○○○○○の販売は、1年2カ月後を予定している。
前倒しはあっても遅延することは許されない。
『歯車で有名なとこっつたら——ラヴァ州のノアだな。質がいい』
長男カーヴィンは肩をぐるっと回し、静かに答えた。
『ノア地区なら僕も知っている。近場にサウザス鉱山ができてから、格段に質が上がったそうだね。……知り合いがいるのか?』
『いんや、単身乗りこんでいくしかねえな』
『ラヴァ州!? 遠いって! 帝都を挟んで真反対のトコじゃないか!』
弟がわめいていたが、長男は黙ってゴーグルをかけ、数台ある○○○○○のうち、お気に入りの娘にまたがった。
『ま、旅費はこの子で行くからいいとして、歯車の購入資金がねえんだよなあ』
カーヴィンは麦虫湯を飲み干し、苦い顔で、オイル染みと鉄屑だらけの床を見つめた。
『……キアーヌシュさんに頼むしかないか……』
「はぁ……っ、はあ…っ」
ショーンは自分のサッチェル鞄から、マチルダにもらった写真をとりだした。
数日前のトレモロ神殿で、イシュマシュクルの私室から拝借したものだ。
日付は8年前、皇歴4562年9月7日。
『ここって多分、大富豪キアーヌシュの私室だと思いますっ。ノア地区にある時計塔の、最上階に住んでるそうですよ。『入室厳禁!!』で、秘書サンしか入れないってウワサです』
写真の人物は、円柱形の部屋の中央に立っていた。そこは壁全体が本棚となっており、円周に沿ってギッシリと本が詰まっている。
ショーンは震える手で、古びた写真と、
今、目の前の天井から吊り下がっている人物とを見比べた。
それは、写真の頃より少々皺を刻んでいたが——
キアーヌシュ・ラフマニー、その人だった。
「い、いやあああーーっ、ご主人ッ、いやああああああ!」
九官鳥族の秘書キューイ・キューカンバーは金切り声で叫び、バタバタと部屋から出ていこうとした。
「おっと待った、どこへ行くんです?」
土栗鼠族のサウザス役人ロビー・マームは、元銀行員の体格を活かし、大男であるキューカンバーの動きをガチっと止めた。
「何って、決まってるでしょッ、ケーサツを呼ぶのよう! ああ、役所にも連絡しないと。神官にも、キンバリー社にもようっ!」
「ダメです。ここから出ちゃだめですよ」
「はーーっ、なんでアンタにそんな権限があんのよ、ヨソモンでしょおおう!?」
秘書キューカンバーも負けずに、背中の羽をばたつかせて、ググググ……と床の上でいきんだ。
互いにガップリ腕組みあった状態で、大男たちの筋肉と血管が盛り上がる。
「ショーンさん、早くそのトランシーバーを使って! 外部に連絡をとるんですよっ」
「あ、う、うん、わかった!」
つい調査に気を取られてしまったショーンは、報告のほうに意識を戻した。
まずはダイアル番号を知っている、ノア役場の電信室に掛けた。紅葉と違って一瞬で出てくれた。彼らに事態を説明し——向こうは最初イタズラを疑っていたが、秘書キューカンバーが口を開いて絶叫したら、すぐに信じてもらえた。関係各所に連絡を頼み——トランシーバーを切った。
(今からここにノア警察がやって来る……ちゃんと捜査してくれるのかな?)
都市長の娘ベルゼコワの談によると、あまり信頼できるような機関ではなさそうだが。かといって、自分から州警察に依頼するのは不自然だし、越権行為になりかねない。
(落ちつけ、まずは自分で調べてみよう。僕はいま【帝国調査隊】なんだから……)
ショーンはいったん深呼吸し、再度、老人の骸のほうを向いた。
(自殺……にしては不自然……だよな?)
時計塔の最上階、『守り人』の私室は、10階から12階の高さにあたる。
天井の12階部分は、時計塔のてっぺんにあたり、内部は細い円錐状になっている。
その円錐の壁の円周に沿って、手すりのような鉄棒らしき飾りが作りつけられており、その手すり飾りの北側に縄がくくられ、キアーヌシュの首に繋がっていた。
縄の長さは約1メートルほどだろうか。老人の遺体は11階の上方にぶら下がっている。ショーンの身長では思いきりジャンプしても届きそうにない。いや、大男であるロビー・マームでも触れることは難しそうだ。
10階の壁には、これまでのような階段は存在せず、ほとんど壁づけの本棚で占められている。本棚用の梯子も各所に存在するが、梯子は本棚と直接くっついていて、部屋の高い場所に停留している大富豪キアーヌシュの躰に届くような距離では、けしてなかった。
(この高さに設置するには…………飛翔可能な人間がいる?)
「イヤあああん♡ どこ触ってんのよーーう♡」
未だにロビー・マームと体をぶつけ合っている、秘書キューカンバーが体をくねらせ叫んだ。
ショーンの思考がとぎれ、警察がドカドカと入ってくる音がした。




