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5 カレってばシャイなのよ

「あ、あなたが秘書さんですか?」

「アイ♡ そーよぉ、お見知りおきっ♡」

 大富豪キアーヌシュ唯一の秘書にしてパイプ役、九官鳥族のキューイ・キューカンバーは、自分のお名刺を渡してきた。

 黒い厚紙にワインレッドのサインが綴られ、特大リップとハートマークつき……都市長秘書オーレリアンと、同じ印刷会社で作ったものだと推察できた。

「えーと、まさか、あなたのような方だとは思いませんでした。その、大富豪キアーヌシュ氏はたいへん気難しいと聞いていたので」

「あらヤダ! ウチのご主人はねー優しいおじいちゃんよ〜。ま、ちょっと人間不信になっちゃってるけどぉ、フフ♡」

「優しい。……でしょうね」


 キアーヌシュ・ラフマニーは腰猿族だ。

 猿の民族は、好奇心旺盛で独立心がつよく、気性が荒い者が多いが(それは羊の血が半分はいった羊猿族も例外ではない)、腰猿族だけは温厚で保守的、家族愛がつよい傾向にある。

 ギャリバーを発明したソフラバー3兄弟を、親戚でも無いのに長年支援していたことからも、その片鱗が伺える。

(人間不信になったのは、金が人を変えたせいだろうか……? それとも【Fsの組織】が関係してる……?)

「やーだ♡ そんな暗い顔しなぁーいの♡」

 キューカンバーの、黒い剛毛が生えた太い指で、ショーンのお顔がムギュッと挟まれた。


「は……はの……」

「んーかわうぃい〜♡ 実はね、ウチのご主人もショーン様のことご存知なのよ。ほらサウザス事件でご活躍だったじゃない? あの時、動向を気にしてたのよー。毎日新聞チェックしてね。サウザス新聞までわざわざ取り寄せたんだから!」

「ぼょ、僕ょくを? ひんぶんで?」

 筋骨隆々のキューカンバーに持ちあげられ、ショーンの足は水鳥のように宙をもがく。

「い、意外でした。……てっきり他人にはご興味ない方かと」

「やっだあ! 新聞くらい読むし、ラジオだって聴くわよー。『デッカーのギャリバー・レイディオ』だって毎週きいてんのよ? ハガキ投稿したことだってあるんだから! 20代の女性アイドルにねー、お爺ちゃんが頑張って感想を伝えたの、キャッ♡ ソフラバーに頼めばデッカー本人がいくらでも会いに来てくれるってのに、ご主人ってばシャイなのよ〜」

「…………」

 まさか、大富豪の秘書がこんなにお喋りだとは思わなかった。

 事前に考えていた会話シミュレーションが、ボロボロとおがくずのように崩れていく。

 この部屋の主オーレリアンは、唇をめくり上げてこちらの様子を窺いつつも、デスクで己の仕事を片づけていた。



「あの、キューカンバーさん! お願いです、キアーヌシュ氏に会わせてください! 僕はアルバとして体調面でも治癒呪文が使えますし、サウザス事件のことも詳しくお話しできます‼︎ どうしても会って、お聞きしたい事があるんです!」



 ショーンはもはや何もプランもなく、ただただ都市長のアドバイスを参考に、自分が実行できる内容と混ぜて、お願いした。

「もち! いいわよ〜♡ ひっさびさのお客さんね、ご主人も喜ぶと思うわ~。ランチの後に来てちょうだい! んーッチュ♡」

 大富豪秘書キューカンバーは、むちゅッ♡と投げキッスを飛ばしつつ、オーレリアンと大量の書類を交換して、出ていった。

 ……しばし、静寂があたりを包みこむ。

「う、上手くいった……?」

 想像の20倍はフレンドリーだった。これは本当に現実か? また何か騙されてるんじゃないだろうか?

「フン、アールバ様とやらは、いーご身分ですねっ」

 都市長秘書オーレリアンが、またもや正論を吐き捨てていた。

「みーんな気を遣ってペコペコしてるのに、ヴァーカみたいですっ!」

 彼の辛辣な物言いだけが、現実を実感させてくれる唯一の言葉だった。





『……うぅ、』

 傷だらけで深海に投げこまれ、

 気づけば高い塔の前に立っていた。

 一面には草の丘、風が強く吹いている。

『あれは……』

 羊が1頭、草を噛んでいた。

 見た目は羊なのに、どこか奇妙だ。

 頭と胴体を目で追ってくと……お尻に猿のしっぽが生えている。

『——ショーン!』

 羊は驚き、丘を逃げて去ってしまった。

 紅葉は絶望して、その場にうずくまった。

 傷口が痛み、血が滲んで一歩もうごけない。

 ペタペタと何かの足音がした。

『…………ペンギン?』



「——おっと、起きたかい?」

 眼球をあけた紅葉は、驚いて大きな口を開けた。

 傷ついた唇の、固まった血の塊がパリパリ外れて、思わずうめいた。

「はっは、無茶すんなよ! ヒデェ状態だったんだから!」

 聞き覚えがある声だった。

 相手は洗髪中だったようで、濡れた髪をポタポタとベランダで水切りし、上半身の裸にタオルをペチッと叩いた。

「でもま、生きててよかった」

「ノ…………ア……さ」

 それは、ノア地区で初めて出会った、親切な住人——

「あれ——オレの名前しってたっけ? ま、いっか」

 銀片吟族のノアが、へらっと笑った。


 3月27日銀曜日、時刻は昼になりかけの午前11時30分。

「ノ……ア…さ……ん、ここど……グフッ」

「おん? オレんちだけど。なんと17階、高いだろー」

 ノアは、自慢のアパート部屋を紹介した。

 そこは独り身用の居住ビルだった。円柱型で、下に行くほど裾が広がっている。

 ベランダは一面大きく開け放たれ、窓が一部割れていた。壁は雨の滲みと日焼けのせいで茶色のまだらで……でも太陽が近いせいか、部屋中白く輝いていた。

 部屋は小さく、ベッドとチェストとスーツケースが数点あるだけ。水道も電気も通っておらず、タライの桶ひとつで、飲み水も洗濯もまかなっている。

 油断すると吹き飛ばされそうな風の強さで、この上なく不便な住宅環境だが、ただ景色だけは美しく、ノアはベランダにあるベンチで(もはや部屋の中ですらベランダのようなものだったが)優雅に日光浴をしていた。

 ベランダからは、トリンケェーテ7区のビル群はもちろん、中央一帯の工場地帯に、カラーカ・ヴァゴンの楕円線路、小さいながらも時計塔まで確認できる。

 空には白い工場の煙が舞い、すぐそばを渡り鳥たちが横切っていく。

 まるで雲の上にいるかのようだった。



 意識を取り戻した紅葉は、ちょっとずつ唇を動かし、固まった血を舐めとり、なんとかノアと会話を試みた。

 ペンギン族のノアは、のんびりと出勤前のひとときを楽しんでいる。

「……なん……で、………たす……け」

「ん? 帰る途中でさ、職業柄よくゴミ箱をチェックしてるのよ。このへん、酔っぱらいや死人が捨てられてること多いしな」

「しにん……」

「そんで見つけたんだわ! 血だらけの女をさ! 角がぼわーっと光っててビックリしたさ」

(…………ツノ‼︎)

 紅葉は自分の指を動かし——いや、やっぱり痛くてすぐ諦めた。

「ありが……と……う、ノアさ……」

「いいってことよ、オレっちもフツーここまで助けねーんだけど、ほっといたらまた誰かにヤラレそうだったしな〜」

 ノアはアイスサイダーを飲みながらカラカラ笑い——


「あんた、ワケありなんだろ?」

 

 と、意味ありげに、ペンギンの長いまつ毛で紅葉を見つめた。

 彼の黒い眼球が、そこだけ空間から切り取られたように宙に浮く。

「…………う……。……カ……レシを、とりあ…って……女ともだちと、ケンカし……ッぐうっ!」

 紅葉は思いきり唇を噛んでもんどり打った。

「アッヒャッヒャ! そっか、そんですげーもん持って闘ったのか!」

 ベッドの床には【鋼鉄の大槌】が転がっていた。

 紅葉はなんとかそれに指を伸ばし……傷口の広がりも我慢して、自分の大事な武器に触った。

「…………は…ァ…」

 太陽は白く、ノアは天使のように心が美しい。

 目が醒めてからいまの今まで、天界にいる気がしていた紅葉は、冷たく重たい鋼鉄の塊に触れることで、ようやく自分が生きている実感を得た。

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