4 なんて素晴らしい日でしょう
3月27日銀曜日、空に満月が光る深夜0時。
「貴女っ……ゴフッ」
「やだ、お酒でも飲むー? 口ン中スッキリさせなよ〜」
フェアニスリーリーリッチは、茶でも薦めるかのように、オックス州産の強いウイスキー小瓶を渡してきた。
紅葉はそれをぶんどるように受けとり、一気に喉に流しこみ……ブシュッと、口内の血とともに、中身を路上へ吐き捨てた。
「キャハハッ! いーじゃん、そっちの方がだぁーんぜん似合うよー」
「——るさいッ」
紅葉は懐から、例の写真を取りだした。
警察学校時代のエミリア・ワンダーベルと、フェアニスリーリーリッチ、ラン・ブッシュが写っている。
「あんた……ラン・ブッシュの居所を知ってる? 私は此奴を探しているの」
「えー知らなーい、最近ぜんぜん会ってないしぃー」
「は? じゃあ偽造証を作ったのは誰⁉︎ 組織がやったんじゃないの!?」
「キャハハハ! 組織って(笑)!」
耳障りなラッパのような声と、舌にザラつく砂のような羽ばたき音とともに、フェアニスリーリーリッチが嗤っていた。
プツンと心の糸が切れた紅葉は、実力行使に及び、彼女の脇腹に叩きこもうと、【鋼鉄の大槌】を振りぬいた。
「——やだ、」
フェアニスはふわりとその場を蹴り、紅葉が突きだした腕に、トンと、天使のように降り立った。
「やめてよー、もう!」
そのまま分厚い白のブーツで、紅葉の顔を蹴りあげ——紅葉は高速で反応した。なんとか直撃は避けられたものの、左頬に——それは入った。
「ったく、地獄まで追いかけてきそうだから教えてあげるね! ランに頼んだのはホーント。でも最近会ってないのもホーント。組織とかそんなのは知ーらない!」
バランスを崩した紅葉の脇腹を、空中でかっとばし、
紅葉の体が半回転し、背中が上を向いたところで、
紅葉の襟足を掴んで、思いっきり、
地面に叩きつけた。
「ねえ! 忠告してあげる! 道の真ん中でさあ! あんま偽造ショとかそういうこと、おっきな声で言わない方が、いいよッ‼︎」
フェアニスは紅葉の長い髪を握りしめ、再度、地面に叩きつけ——
紅葉はなんとか最期の力をふり絞り、両手足で掻きもがくも、フェアニスに上から即座に反応され、殴られ、蹴られ、ことごとく抵抗のチャンスは潰された。
「キャハハハハッ!」
赤いエプロンに白スカート、背中に蒼い翼を生やした女の子が、返り血を浴びながら、月光のもとで笑っている。
警官にならなかったとはいえ、警察学校で3年間、みっちり格闘術を学んだ相手に、敵うことなどできなかった。
紅葉はカカシのようにボロボロに転がされ、路端のゴミ袋の上に放り投げられた。
原型も尊厳も何もかもなくなり、
頭上の角花飾りはすべての花びらが破れ、地面に散っていたが、
ただ自分の大切な武器——
【鋼鉄の大槌】だけは、離すまじと握っていた。
3月27日銀曜日、朝から曇りで少々肌寒い午前10時。
ホテル『デルピエロ』の清掃員たちが、熟睡していたショーンとロビー・マームを叩き起こした。
「紅葉——ウソ、まだ帰ってきてない?」
早めのランチをとる間(朝はコーンコーヒーきりだったので、実質的には朝食だ)、トランシーバーをかけ続けたが、ついに応答はなかった。
「どうしよう、紅葉、ぐうう……っ!」
「どうせ夜中遊んで、どこか路上で寝てるんでしょう、そっとしときましょうよ。ていうか呪文でパパッと解決すればいいじゃないですか」
ロビー・マームがハハッと笑っていた。
彼は昨晩のクロスボウを見てないし、フェアニスリーリーリッチの存在も正体も、もちろん知らない。
「……どうする……」
あと一時間で、大富豪キアーヌシュの秘書との面会が始まってしまう。
紅葉のことは不安だったが、トリンケェーテ7区へ探しに行くような時間的余裕はなかった。
かといって、ここで秘書キューカンバーとの面会をキャンセルしたら、都市長の面目は丸潰れになり、大富豪に近づく機会も潰えてしまう。
(まずいぞ、甘く見すぎてた……フェアニスは組織の関係者かもしれないし、別行動すべきじゃなかったんだ!)
「ロビー……頼む、紅葉を探しにいってくれないか……?」
「ダメです。オーガスタス町長からは、貴方のことを預かっているのです。紅葉さんじゃない」
ロビーは、コーヒーを片手に動かなかった。
「…………っ」
——信じるしかない。
ショーンは
家内安全の【土の神 マルク・コエン】
旅の安全を司る【風の神 リンド・ロッド】
そして、サウザスの第一信奉神【火の神 ルー・マリー・クレア】に祈った。
この上なく真剣に祈りを捧げた。
頼れるものが無いときは、神を頼る以外にほかはない。
ホテルに言づけを頼み、自分の仕事へ向かった。
「んまぁーったく、優ぅーがなランチ前だというのに、慌ただしーいっったりゃありゃしませーん」
「お手間をとらせてしまい、すみません。話をつけて頂いてありがとうございます」
3月27日銀曜日、午前10時45分。
再び、ノア役場の会議室に帰ってきた。
都市長はまだ寝ている時間だ。昼秘書のオーレリアンがただひとり、背中のピンクのペリカン翼をバサバサさせて、不満を口にしていた。
「あーなたね、キアーヌシュへ話を通せる者がいなーいか、探すのたーいへんだったのですよ。大工事の役員たーちや、キンバリー社のノア支店にも当たったーのです」
「どうでしたか⁉︎」
「みーンな、いちようにクビをふりましたよ。彼は多くの人間と関係を絶っていますからーね、孤独ッ……OKしたのはキューカンバーだーけです。この先、誰か見つかる可能性はひくーいでしょう。それこそシュタット州まで行かないかぎーりね」
「そうですか。了解しました……」
「まーったく、夜秘書のトルーキンはまだ探してるそーですよ。礼をいうことでーす」
「っ、分かりました」
多くの人が動いてくれている。
若きアルバの肩に、厚いプレッシャーがのしかかった。
「あのう、キューカンバーさんってどんな方なんですか? どんな話が好きとか、趣味嗜好などは……」
「フン! それは本人に聞いてくーださい。喜こーんでペラペラ喋るでしょーねッ」
《ビーッ、ビーッ、ビーッ、ビーッ!》
午前11時、秘書室入り口のベルが鳴った。
(来た!)
ショーンは脇を締め、肩袖を払い、ターバンを直した。
ああ言われたらこう言おう、こう拒否されたらこう食い下がろう。
羊角の中でぐるぐるシミュレーションを計画だてる。
来訪者は、オーレリアンと扉の外で少々話しこんでいた。ペリカンの翼に隠れて顔はよく見えなかったが、彼もまた大きな黒い羽を持ち、黒スーツに身を包んでいるようだ。
(九官鳥族だっけ……お喋り好きな感じなのかな)
「やだー、あの子なーのッ? ウソでしょう、まだ子どもじゃないの〜」
(……あれ?)
ショーンの皮膚になぜか鳥肌がたった。
「ンッまーっ、なんて素晴らしい日なんでしょう! アルバ様に会えるだなーんてっ♡」
オーレリアンと同じくらい上背のある大男が、両拳をギュッと握りこみ、顎に指をつけたポーズでズカズカと部屋へ入ってきた。
背中には黒い鳥の羽。風切羽に鮮やかなオレンジ色が混じっている。
昨日聞いたフェアニスの声より野太かったが、けたたましく空を鳴くような発声法は一致していた。
「はァじめまして、アルバ様っ。あたくしぃ、九官鳥族のキューイ・キューカンバーで〜っす♡ キアーヌシュ・ラフマニーの秘書をやっておりま〜っす」
その人物は、ショーンが想定しうる、どんな秘書像とも異なっていた。
「ンフッ♡」
大柄な男性の彼は、長いまつ毛と黄色いチーク、オレンジの口紅をむちゅっとすぼませ、ウインクしてきた。




