2 それが人類の夢だから
『第7代皇帝は、鳥の民族をお作りするのに挑戦しました。
しかし、飛翔能力がある民族を作るのは非常に難しく、
成功したのは第12代皇帝になってからでした。
彼女はとても鳥好きで、
円梟族をはじめとする、5つの鳥類民族をお作りしました。
しかし、本当は納得していませんでした。
彼らは、みな腕が翼になって生まれてきたのです。
本当に目指していたのは、背中に翼が生えた民族でした』
『でねー、これをきいて大打鳥族のレナが、泣いてどっかいっちゃったんだ。あの子、腕が翼のみんぞくなんだよ』
『そう、背中の羽根ねー……そんな良いもんでもないわよー。けっこージャマだし、着れる服もそんな無いし、重いしねぇ〜。ただ飛ぶだけなら腕翼のほうがダンゼン楽よォ』
『あの子、ふとってて腕でも飛べないんだよ』
『……んま、人生そんな事もあるわよぅ』
酒場ラタタッタのお昼時。
ショーンは、酒場のソファでだらりとタバコを燻らすマドカに、子ども会での出来事を聴かせていた。
『ぼく、背中の羽のほうが飛びやすいと思ってた。……ちがうんだ?』
『いーえ〜。腕も背中もニョキニョキ生えてるぶん、あっちより体重あンのよ。余計なスタミナがいーるーの』
『へえー……』
『空中で姿勢を維持するのも、腕翼のほうが楽だしねぇ〜。結局、背中ってのは手より器用に動かせないのよ。尻尾だってそうでしょーう?』
マドカはおもむろに、ショーンの猿の尻尾に指を絡ませた。マドカのスルスル動く指の動きについていけず、尻尾はいいように弄ばれる。
『うわわわっ』
『ね? メリットなんてないのよ〜、背中翼に。そもそもホンモノの鳥さんだって腕が翼になってんだから、そっちの方が自然なのよねぇ』
バサっと、ぎこちなく背中の翼を動かし、羽毛をハラハラとその場に散らせた。
『気軽に仰向けにもなれやしない』
『うー、かえしてよーっ! じゃあなんで、皇帝さまは、背中に翼があるみんぞくをお作りしたかったのさ⁉︎』
ショーンは自分の尻尾をようやく取り返し、マドカに怒鳴って謎をぶつけた。
ルドモンド大陸にいる飛翔可能な民族は、背中に翼が生えたタイプと、腕が翼になったタイプとに分かれる。
この違いは、自身が鳥類民族でなくとも、幼少期に誰もが一度は疑問に思うことだ。
『フッ——それが人類の夢だからよ。それしかないでしょ』
15歳のマドカ・サイモンは、ミミヅクの大きな瞳を光らせ、幼い5歳のショーンの顔にタバコの煙をふーーーっと吹きつけた。
『……理解した? それなら、いーかげん夜行性民族に、昼間ゴチャゴチャ話しかけないでっ‼︎』
眠気でどんどん不機嫌になってきた彼女に、酒の空き缶をぶつけられた。
「——起きてくださいよ、ショーンさん!」
女の空き缶が、男の張り手となって、ショーンの頬にぶつかってきた。
「うわっ! わっ⁉︎」
ベッドに横たわっていたショーンの身体は、ロビー・マームのたくましい右腕に担ぎあげられ、宙に浮いていた。
「さっさと出ましょう、間にあいませんよ」
ロビーは左手でサッチェル鞄を肩にかけ、急いでホテルの部屋に鍵をかける。
「——待って! 僕まだ全然寝てない! ねてないよ!」
「謁見が終わったら、好きなだけ寝ればいいでしょ。行きますよ」
「うわああん、まだねてないっ! 全然寝てないーーぃいいっ……!」
夜明け前の薄暗いホテルの廊下を、怖い大人に連れ去られていく。
まだ5歳のショーンは、わあわあ泣きじゃくっていた。
時は少し戻って、3月26日金曜日、深夜11時ちょっと過ぎ。
「なんて恐ろしい、クロスボウだなんて危険人物ですわ! 警察を呼びましょう、ショーン様」
「ノア警察ってタダで捜査してくれるの……?」
「まさか! もちろんお金が必要ですわ。ドミーを払えば払った分だけ、大掛かりに捜査してくださいますのよ」
「……じゃあ、いいや。呼ばなくて」
ショーンは這々の体で、乗りあい馬車を捕まえ、ホテル『デルピエロ』に帰っていった。
身軽になった紅葉は、ピザ屋の店長に挨拶を済ませ、ノアの最貧民地域——トリンケェーテ7区に改めて向きあった。
「紅葉さん、これからどうします?」
「うん。ジーク君もベルゼコワちゃんも、今日は案内してくれてありがとう。これからは私ひとりで行動するよ」
「えー、イヤですわ! わたくし達もご一緒しますわよ。まだ夜は長いんですのよ」
「——ダメッ」
紅葉は強い口調で拒否し、走ってピザ屋を後にした。
「まぁー! 土地勘もない癖に、生意気ですわよー‼︎」
妹ベルゼコワが不満の叫声を叫んでいたが、紅葉は兄妹たちへ振りかえることなく、ビル街の合間に飛びこんでいった。
ノアの北北東、トリンケェーテ7区。
夜だというのに深黄緑色の霧が立ちこめている。メサナ4区のような精鋭工場もなければ、マイヨール6区のように大規模工場もない。用途不明な名もなきビル街が、見捨てられたように建設されていた。
あちこち割れた安ネオン灯が無秩序に瞬き、湿ったタバコと新聞紙が泥まじりに道端へ散らばり、ドブと吐瀉物が混ざった臭いが、ところどころ鼻をくすぐってくる。
「ふ……サウザスの貧民街がそのまま都会になったみたい。こっちの方が落ち着くかもね」
紅葉はひとりごちながら、ホテルで購入したノアの地図帖をひらき、フェアニスリーリーリッチの住所を照らし合わせた。
「ブリンク……ノア岩盤の端っこだね、29区画の14番地……この住所も出たらめだったらどうしよう。でも一応行ってみなきゃ……」
「よう——姉ちゃん、迷子かい?」
ガツン、と、岩牛族だろうか。
立派な雄角を持つ、牛革ジャケットを着た屈強な大男が、紅葉の躰を覆うように話しかけてきた。
「そんなでっけぇトンカチ担いでどこいくつもりだい? 案内してやるよ」
「嬢ょーちゃん! オレたちゃ、このヘン詳しいからアンシンしてついてきていいゼェ!」
いつの間にか湧いた小男たちも、3人ほど、大男の裏に控えてニヤニヤしている。
「そう……ありがとう! でもいいの、お気遣いなく!」
紅葉はニッコリと涼しく笑い、男衆の間をすり抜けようとした。
「おおッと、待ちなァ! 嬢ちゃん」
取りまきの狐男が、紅葉の肩に手をかけようとした——その瞬間、ソイツの腹わたに【鋼鉄の大槌】を撃ちこんでいた。
「キィーーーッ……コイツッ」
襲いかかってきた兎男の股ぐらに滑りこみ、脚を思いきり蹴飛ばして、背中へドツンッと大槌をお見舞いしていく。
「このまま、脳天殴ったら死ぬよ——」
兎男の腰を踏みつけ、月光のビル街のなか、髪をふり乱した紅葉が脅した。
最後の取りまき、鶏男は、ヒィーと逃げてどこかへ行ってしまった。
「ハッ——イイねェ、立派なイチモツ持ってんだけあんな、姉ちゃん」
岩牛族の大男は、さすがに狼狽せず、一定の敬意を払い——ご自慢のナックルを指に挿し、
紅葉に向かって突進してきた。
ゴォーン、ゴォーン……
ノアの心臓部、時計塔が0時のときを告げた。
今日は3月27日銀曜日。
ルドモンド大陸で、銀曜は愛を象徴する日だ。
「——ハッ、ハッ……はっ……——」
髪が解かれ、唇が切れ、瞼が青く腫れた女が、トリンケェーテ7区の24区画の道端で、黒い大槌をもち、息切れしていた。
路上には岩牛族の大男が倒れていた。男の立派な角は、片方バキバキに砕かれ、折れている。
「ふぅーん、なかなかやるじゃーん! 取り立て屋のくせに、しごできなんだ」
ビルの屋上からトン、と軽やかな音をたて、鳥族の女がひとり、地上へと降り立ってきた。
「カレらにさぁー、ちょっとアンタを脅すよう頼んだワケよ。まっさか、ここまでやっちゃうなんて思わなかったよー。このまま逃げちゃうのも悪いよねー?」
傷ついた女は震えながら、声の主のほうを振り向いた。
何か言いかけようとしたが、口から血が溢れてしまい……すぐに答えるのは無理だった。
「あのさぁー、あんたなぁーんで、フェアニスを追いかけてんの?」
フェアニスリーリーリッチ本人が、紅葉の目の前に現れた。




