表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
263/339

1 フェアニスリーリーリッチ

【brink】瀬戸際


[意味]

・間際、瀬戸際

・(崖などの)縁、絶壁、崖っぷち

・(山などの)最高地点、頂上

・川岸、水際


[補足]

デンマーク語「brink (縁、岸)」に由来する説が有力とされる。brinkは崖、山、水辺、いずれの場所でも、縁ギリギリの地点を意味する。ちなみに日本語「瀬戸際」の瀬戸とは、狭い海峡のことであり、瀬戸際は外海と海峡の境目を指す。船の運航において、瀬戸際とは生死の境を感じる場であり、すべてのbrinkは、生命と運命の分かれ道を示す場所である。




「君は——フェアニスリーリーリッチ?!」

「きゃあぁーーー! 何よ、何なんよ、あんたたちー⁉︎」

 急に本名を呼ばれて混乱したフェアニスリーリーリッチは、客の顔に思いきりピザをぶつけた。

 白クリームに包まれたタイタンバッタの外骨格が、ショーンの鼻にメチョッとぶち当たる。

「ぎゃーーーっ!」

「嫌ーーっ! ピギャーッ」

 勢いあまって、空中でバランスを崩した彼女は、カラーカ・ヴァゴンの窓から消えて、落下した。


「——危ない!」

 地面までは、幸い距離があった。

 彼女は背中の鷹の翼を大きく広げ、バタバタと宙で数回転し、なんとか姿勢を取り戻した。

「クッ、あいつらサツでもムショでも見たことないッ——ってことは取り立て屋よね⁉︎ そうでしょう⁉︎」

 翼を力強く羽ばたかせ、ヴァゴンの高度まで再上昇した。

 ギロリと光る、猛禽類の目でこちらを睨む。

 月光の下で、蒼い翼を最大まで広げたその姿は、ヒトより遥かに大きい物体で——喉を引き裂き、肉を引きちぎり、獲物を呑みこむ捕食者のようだった。

「…………っ」

 紅葉は気押され、思わず怯んで唇を噛んでしまった。

 肉食動物に襲われる恐怖が——有りもしない、しかし、なぜか身に覚えのある恐怖が、突如、己の肌を襲ってしまった。


「あーーーっ、痛い、ぎゃーっ、いだいーっ!」

 ショーンは混乱し、相手の声すら聴こえてなかった。叫ぶたびに、バッタの足の棘が頬に深く食いこんでいく。

 不憫に思った妹ベルゼコワは、黒ハンカチを差し出そうとしたが、クリームがべっちょりついたショーンの顔を見て、元のポッケにそっとしまった。

「ちょっ……待って、待ちなさい‼︎」

 ようやく精神を取り戻した紅葉は、ショーンを押しのけて空へ叫んだが、ソーセージ帽子を被ったピザ店員は、すでに遠くへ逃げていた。


「慰謝料は払ったでしょ、いい加減にしてーーーッ!」

 月に向かって遠吠えし、

 エミリア刑事の警察学校時代の友人で、

 トレモロの設計図盗難事件の犯人ラン・ブッシュをよく知るはずの、

 フェアニスリーリーリッチは、どこかへ飛び去ってしまった。



【食べこぼしも飲みこぼしも、幸せの予感! 《セレンディピティ》】



 ショーンはくぐもった声で、呪文を唱えた。

 マダム・サシャの子育て呪文 《セレンディピティ》。食べこぼしや飲みこぼしを跡形もなく消え去ってくれる、おじいちゃんにも便利な呪文だ。

 クリームとバッタの死骸で、ぐちゃぐちゃになったショーンの顔がさっぱりと元に戻り、兄ジークハルトと妹ベルゼコワは、ホッと胸を撫で下ろした。


 

 

「あの子の働いてるとこ——クロックモルゲンって言ってたっけ? 行こう!」

 3月26日金曜日、深夜10時45分。

 ショーン御一行は、トリンケェーテ7区で急遽降り、ピザ屋へと向かっていた。

 さすがに地元民であるシュナイダー兄妹も場所は知らなかったが、カラーカ・ヴァゴンの駅員に聞いたら、たった7ドミーで教えてくれた。


 ピザ屋『クロックモルゲン』——

 幸い、駅からすぐ近くにあるダイナーだった。

 赤と青のチェック模様が特徴で、4人がけのソファ&テーブルが10席、カウンターには甘いターキーコーラの瓶がズラッと並んでいる。

 香ばしく焼いたパンとチーズの匂いが充満しており、でっぷりした肉付きのいい店長、桃白豚族のビック・モルゲンが、店の奥で一日の終わりのピザを味わっていた。

「んあー、蒼鷹族の女の子? あっはは、ちょーっナンパは御免いただきたいねえ」

 店長は、薄くスライスした肉よりも薄くせせら笑って、チェリー味のターキーコーラをプシュッと開けた。

 ショーンは無言で顎をクイッと動かし、兄ジークハルトに前へ出るよう促した。

「失礼——さる事情でサーチ中なんだ」

「はあ? あんたは……シュナイダーさんね。……んんっ、親の名はゲアハルト・シュッ」

「情報を開示して頂きたい」

 店長ビック・モルゲンは、グビッとコーラを飲み干し……、無言で首と同化した顎をしゃくって、スタッフルームへ行くよう促した。



「ふう、蒼鷹族の子ね、1人いるよ。リリー・フェンディのことかい?」

「リリー……?」

「彼女が働き始めたのはいつからですか?」

 ショーンが怪訝な顔をしたのを、紅葉がすかさず尻尾を挟んだ。

「まだ入って2ヶ月だよ、外販売に出てもらってるから、人となりはよく知らんよ。いっぱい稼ぐからね、いい子だよ」

 店長のモルゲンは、めんどくさそうに豚の尻尾を振り、スタッフ1人ひとりの書類が貼られたスクラップブックを渡してきた。

 フェアニスリ……いや、リリーの写真は、先ほどヴァゴンで見つめた顔と同じだった。両手には州名簿の証明書が掲げられており、『リリー・フェンディ』と書かれている。彼女はルオーヌ州出身のはずだが、出身はクレイトとなっていた。

(……偽造書類……ラン・ブッシュお得意の……。やっぱりあの子もランの仲間で、【Fsの組織】とも関係が……?)

 そのわりにはだいぶ間抜けそうだったが。

 ショーンと紅葉は無言でお互い見つめあった。


「ふふっ、まるで探偵さんみたい! とりあえず、この方のご住まいに参りましょうか」

「どれ住所は……ああ、ノアのブリンク(瀬戸際)に住んでるのか。けっこう遠いぞ」

「……どうしよう、ここから徹夜しなきゃ……っぷ」

 動かないショーンの頭の中に、ゲアハルト都市長の顔がちらつく。フェアニスリーリーリッチの書類を持ちながら立ち尽くし、月光のような顔色を浮かべていた。

「ったく、もしワケありじゃあ、辞めてもらわんとなぁ。もったいない」

 桃色ツヤツヤほっぺのピザ屋店主は、横で再びピザをくちゃくちゃ食べ始めている。


「——ショーン、帰っていいよ。私は都市長にお会いしなくても大丈夫だから」


 紅葉はショーンの腕からスクラップブックをそっと取った。

「ショーンにはロビー・マームさんもついててくれるし、私は1人でも平気だし」

 偽造かもしない、リリー・フェンディの住所をメモしている。

「え、紅葉? いや……でも」

「このために2人で行動してるんだもの。どっちも倒れたらダメだよ」

 紅葉の意思は、サウザスの鋼鉄のように硬かった。

 ショーンはしばし考え、猿の尻尾をふりふり振ったが、

「…………じゃ、お言葉に甘えて、ぼく帰る……」

「ちょっと聞いてーテンチョー、変な客に逢っちゃってさぁー」

 

「——あっ」


 ソーセージ帽子を手に持ち、ヌードルのような長さと太さの髪をガリガリ掻きながら、蒼鷹族の小柄な女が入ってきた。

「……っ、クッソ客!」

「待ってくれ、君はフェアニスリーリーリッチなんだろ‼︎ 偽造証はどこで手に入れたっ⁉︎」

 ショーンは一気に気力を取り戻し、ダイナーの床を蹴って追いかけた。

「なにぃ、偽造証だとうっ?」

 店長の口の端から、ピザの欠片が飛んでいく。

「また飛んで逃げるよっ、ショーン!」

 ピザ屋の道路で、彼女の背中の大翼が開いた。

 トリンケェーテ7区の深黄緑の大地から離れていく。

「——させるかっ」



【迷える羊は杖に引きつけられ道を正す! 《マグネス》】



 アルバが磁力牽引呪文 《マグネス》を左手から放った。己の人差し指を、羊飼いマグネスの杖の先端に見立て、光のくっついた先を磁力化させて引っぱる呪文だ。

 茄子紺の空に、黄色の細くするどい光が轟く。

「きゃーッ、何々、何なのーーーっ⁉︎ 嫌ぁアアアッ!」

 マグネスの光は、逃走する彼女の足先に吸着した。急に訳のわからない強い力に引っ張られ、フェアニスリーリーリッチは宙でもがいた。

(あれ?……あの反応……呪文を。知らない……?)

「く〜っ、クッ、ソ、客ッ!」

 彼女はスカートをたくし上げ、太ももに忍ばせていた銃器を手にとった。

 銀色に光るクロスボウ。

「はなせッ!」

 クロスボウの照準器が、彼女の標的——ショーン・ターナーの左手を指した。

 しかし彼から放たれる黄色い光が目に眩しく、矛先を少々変えざるを得なかった。


「——死ねっ!」

 開放と自由と正義の象徴、銀色の矢が、ショーンの額の中央に向かって放たれた。


「ショーーーーーーーン!」

 ショーンは、フェアニスリーリーーリッチを離すまい、《マグネス》の光を絶やすまいと、その場を動けなった。

 紅葉はショーンに抱きつき、2人は地面を転げ、崖っぷちの柵にぶつかった。

 銀色の矢は道路の白線を射抜き、【鋼鉄の大槌】は己の役目を全うすることなく、ごろごろ地面に転がっていく。

 不届き者が拝借する前に、妹ベルゼコワは大槌を持とうとしたが、あまりの重さに腰を落とした。

 ショーンの《マナの集中》は、柵にぶつかった時点で途切れ、黄色の光は消えうせ、フェアニスリーリーリッチは自由と解放を手にいれた!

「きゃああああーーっ、ハハッハハ! 最高——‼︎」

 彼女は高らかに笑い、またもや、ノアの夜空へ飛び失せてしまった……。


「素晴らしい! 実にプレザントですよ、ああ愉快だ! 映画のようです!」

 この場で唯一、兄ジークハルトだけが嬉しそうに拍手していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ