4 次世代の発明には、旧世代の犠牲がともなう
「キアーヌシュ……そいつは」
このことをシュナイダー兄妹2人に伝えるべきだろうか。
ショーンは麺を咥えたまま口を半開きにし、逡巡していた。カラシのせいで喉と舌がピリピリしている。
紅葉は事態を見届けるべく、膝に手をのせ静観し、ロビー・マームは10個買ってきた弁当箱のうち6つめを平らげ、7つめの蓋を開けようとしていた。
「あーなたち! んっここで、なーがながと居座る気でーすか?」
ショーンの緊迫をよそに、昼秘書オーレリアンがバーンと乱入してきた。
「わーたくしはもー、かーえりたいんです。オレガノワインを片手に、泡まーみれのバスターブにダイーィブしたいのでーす!」
時刻は夜8時を回っていた。彼のピンク色の髪はめくれあがり、ペリカンの翼からは綿羽があちこち飛び出している。
「問題ない、クロックアウトしていいぞ。ここの合鍵は自分の懐にある」
都市長の次男ジークハルトが、チョッキのポケットを黒手袋でポンと押さえた。
「フン、やーくにんでもない、こーどもがカギなんて持ってるのが、おーかしいんですがねっ!」
秘書オーレリアンはそう捨て台詞を吐きながら、都市長室のプライベートルームのドアをバターンッと閉めた。
彼はずっと正論しか言ってないのに、この場で人望を得ることはなかった。
ドライローズのコロンの残り香が消えていき、室内は再び、緊迫した雰囲気に変化していく。
「……アルバ様、大富豪をサーベイしているのでしょう。父から通信で説明を受けましたよ。こちらも詳しいわけではないのですが、教えられる知識はイムパートしますよ」
「キチンと申しつかっておりますのよ! 嗚呼、大丈夫、わたくしたち言いふらしたりしませんわ。打ち明けるようなお友だちはおりませんもの!」
「……ありがとう」
ショーンは迷いながら応えた。舌が辛味で赤く腫れている。
前回もこうやって、木工所や町の人たちを巻きこんだあげく、社長令息テオドールと、図書館職員メリーシープを昏倒させてしまった。
今度もまた、都市長の子供たちに何かあったら——
【塞げ、大地を覆う羊の花よ。 《イントレラビリス・バロメッツ》】
ショーンはおもむろに防音呪文を部屋にかけた。
「ジークハルト、ベルゼコワ、2人とも本当に、普通のことを教えてくれるだけでいいんだ。世間的に知られてるようなことだけ。それだけでいい」
先程まではしゃいでいた兄妹は、突如かけられた呪文に緊張感をもち、背筋をのばして、黒色リップで塗られた唇を開いた。
——次世代の発明には、旧世代の犠牲がともなう。
画家であり写真家、アルヴォア・ドッヂソンの言葉である。
彼は肖像画工房の家に生まれた。4歳から絵筆を持たされ、デッサン技術を仕込まれた。16歳になり、一人前の肖像画家としてデビューを果たした頃、とある機械がルドモンド大陸に流入した。
写真機の登場である。
彼は家業そっちのけで写真機にのめり込んだ。機材を改造し、照明を工夫し、絵筆を捨ててシャッターを切り続けた。
危機感を抱いた両親に勘当された後も、自前の小屋を作って、多くの人々を撮影した。
画家としての知識を最大限に活かした肖像写真は評判を呼び、ちいさな撮影小屋が、立派な写真館へと変貌するのにそう時間はかからなかった。
彼の活躍はそれのみならず、撮影ノウハウを作成し、ルドモンド大陸中に肖像写真の技術を売りさばいた。
彼の偉業により、今では多くの肖像画工房が閉鎖され、写真館へと置きかわった。
『はい、笑顔で、笑顔で、そのまま——』
キアーヌシュ・ラフマニーは、自分の質屋に入ってきた写真機で、笑顔のソフラバー3兄弟を撮影した。
『写真かー、噂にゃ聞いてたけど初めてだわ! ちゃんと “彼女” を美人に写してくれよっ』
『絵よりもずーっと、出来上がりが早いって聞いたよっ、どれくらいでできる? おじさん』
長男カーヴィンが鷹揚に笑い、三男カディールが無邪気に質問した。
『あはは、まずはフィルムを使いきって、写真館に預けなきゃいけないからね、しばらくかかるぞ。カメラはね、昔は銀板そのものに写真を焼いていたんだが、今はこのロールフィルムが開発されて、みんな持ち歩けるように……』
キアーヌシュはおおきな幅広の手で、ソフラバー兄弟にカメラの構造を説明した。
きらきら輝くような瞳で聴き入るお向かいさんに、つい親戚の子を見るような目になってしまう。
『——ということで、またその子が出来上がったら撮ってあげよう』
『わーい、楽しみーっ』
『おっ、そんときゃー、キアーヌシュさんも一緒に写ってくれよ!』
カーヴィンとカディールは無邪気に喜んでいたが、
『……本当は完成品より、途中の過程を撮るのが重要なんだ。そうすれば、失敗しても間違った箇所が見つけやすい』
次男のカヤンが両腕を組み、悩みながら胸中を吐露した。
『すまない、おじさん、その写真機を僕たちにくれないか。一生じゃない、完成したら必ず返す』
丁重な物言いから放たれる図々しいお願いに、長男と三男はギョッと目を見合わせたが、
『う、うーん……そうだな……よし、いいだろう!』
お人よしのキアーヌシュは、 “彼女” の発明のために、高額な機械をソフラバー3兄弟に献上した。
皇暦4523年。
シュタット州、アーバーニ区の東の町、バランド。
馬車修理店『キンバリー』は、シュタット州鉄道の敷設にともない、深刻な経営危機を迎えていた。
かつて州街道の宿場町として栄えていたバランドは、鉄道の駅沿いから遠く外され、人々の行き来が途絶えつつあった。
見切りをつけた町民たちは、家財を売って路銀を捻出し、新興町へ次々と去っていく。そのため、キアーヌシュが亡父から継いだばかりの質屋は、周囲の商店街よりは潤っていたが……
それもバランド町が空っぽになるまでの、僅かな泡銭だった。
『ウラッ、ご希望の歯車をくりぬいてやったぞ、カヤン。あと2ミリ厚みがあった方が強度的にはいいんじゃねえかと思うんだがなあ』
長男カーヴィンは、大小さまざまな歯車をどさっと置いた。10年働いていた町工場が、去年もぬけの殻になってしまい、今では勝手に動力を動かし、旋盤加工を行っている。
『どうだろう。あまり分厚いと回転数がでない気がするが……。カディール、ここ撮っといてくれ』
『はいはーい』
三男カディールは、学校を卒業したばかりの15歳だ。大した知識も腕もないが、こまごまとした用事を手伝っている。
『あれれっ、もうフィルムが切れちゃった。あーもー、現像代もフィルム代も高いんだよなー』
ここ2年、馬車修理店『キンバリー』に、ほとんど収入源はなかった。
ソフラバー兄弟の両親は、アーバーニ区の都シュレーンに出稼ぎにいったが、去年の冬から、ついに1ドミーも送ってこなくなっていた。
『そうか、キアーヌシュおじさんに頼ってくれ。フィルムくらい店のどこかに転がってるだろ』
20歳と若くして店主を務めるカヤン——頭がよく、発明好きで、少々人の心を欠落した次男カヤンは、向かいの質屋にむかって顎をしゃくった。
『はーーーっ、お前なあ、いくらキアーヌシュさんが気前がいいっつっても、限度があるだろ。あっちは新婚なんだぞ?』
金とモノをたかることに躊躇のない弟に、ついに長男カーヴィンは口火を切った。
『問題ない。 “この子” が完成した暁には、巨額の利子をつけてちゃんと返す』
次男カヤンは、馬車修理店キンバリーの工房に鎮座する、鋼鉄の塊をひと撫でし……歯車を取り付ける作業に移った。
『うーん、ホントに完成するの? 完成したところでちゃんと売れるの?』
三男カディールは、はるか遠くの大地にたなびく州列車の煙を、うらめしそうに窓から眺めている。
兄弟たちが完成をめざす機械の塊、
それは馬車に続く新たな移動手段であり、
砂漠のシュタット州の大地を、海のように走れるガレー船でもあった。
三輪式軽自動車 ○○○○○
——まだ名前は決めてないが、女の子だ。
『ふん、僕だって悪いとは思っているさ。切り株制度って知ってるか? 兄弟』
次男カヤンが、○○○○○に目線を向けたまま、話を振った。
『切り株ぅ? あー銀行でなんかやたら宣伝してたな。うまくいきゃ儲かるとか、あるいは大損するとか……ようはギャンブルの一種だろ?』
長男カーヴィンは頭をかいて欠伸した。
『ボクも実態は知らないけどー、あれって大企業のハナシでしょー? 新聞の経済欄でよく見かける言葉じゃん』
三男カディールは一流社会人になるべく、新聞もしっかり読みこんでいる。もちろん購読する金はないから、キアーヌシュおじさんちの新聞を、1週遅れでもらってるのだ。
『いや、別にちいさなな会社でも株は売れるし買える。この店を株式会社にするんだ。来週にも、役所と銀行で手続きしてくるよ』
次男カヤンは、金属の油まみれの手で、頬をぐいっと拭った。
『そして、キアーヌシュおじさんには、株式会社キンバリーの大株主になってもらう』




