3 定職は無いが情熱はある
「あら、まだいらっしゃったのね。残業ですの? オーレリアン」
「フン、苦情がたーまっているんです。いつまで経ってもかーたづきやしない」
「夜秘書の方たちは居ないんですか?」
ショーンは首をキョロキョロさせた。彼以外の秘書たちとも顔を合わせておきたかったが……
「フン、第1も第2も、都市長についてまーわってまーすよ。なぜか皆ここに居たがらなーいのです。おかげで仕事がたまーる一方です」
「珍妙よね、こんなにフラグランスな空間なのに!」
冥王の妻ベルゼコワと第1昼秘書オーレリアンは、ピンクの部屋内をキュキュッとヒールを聞かせて一回りした。
「まさか、このショッキングピンクの中でお食事を? まあ、我慢しますがね」
ロビー・マームは大量の弁当を手にさげ、肩をすくめた。
「いえ、都市長室の中にプライベートルームがあります。そこでミッデイミールを楽しみましょう」
数学者の卵ジークハルトは、頼もしく一同を案内した。
3月26日金曜日、夜7時半。
一同は、ノア都市長室のプライベートルームに足を踏み入れた。
仮眠用ベッドに、寛ぎの革張りソファー、6人がけのテーブル、洗面台に本棚に簡易クローゼットと、ひとつの空間にみっちり家具が詰まっている。
調度品はすべて落ち着いた黒紫色で、光沢を放ち高級そうだったが、土地面積の問題だろうか、サウザス町長の応接室よりも、かなり狭い空間だった。
「アルバ様、先ほどの話の続きですが……」
「お待ちになって、お兄ちゃま」
「おい、口を挟むな……」
「どうせ個人的なお話でしょう? 少しお黙りになって。あのね、『サウザス病院』についてご質問したいの。先生がひとり逃げだしたでしょう、メンデスという名前だったかしら」
「——何か知ってるのか⁉︎」
ショーンが食いついたのはベルゼコワの方だった。
妹は勝ちほこった顔で片頬を持ちあげ、分が悪い兄はおとなしく引きさがった。
3月19日金曜日の深夜、サウザス病院にて。
ロナルド・メンデス医師は、手術中のスタッフを昏睡させ、殺人犯であるエミリオ・コスタンティーノを連れさり、ファンロン州へと逃走した。
ショーンは後日、トレモロ病院に勤める看護師にしてロナルド医師の元妻デヴォラ・カルバーロから、彼の人間関係について話を聞いた。
「実はわたくし、去年までクレイトの高等学校に在籍し、医学と看護学を受講しておりましたの。ノアの公衆衛生に活かせればと志を抱きましてね。それでほんの少し、業界の事情には詳しいんですのよ」
「うん、うん……」
ショーンは、ベルゼコワの声を聞き漏らすまいと、羊の耳をしっかり向けた。
「サウザス病院は、サウザス地区で一番の病院でらっしゃるでしょう。なのにたった3人しか医師が在籍してらっしゃらない。そのうち1人が消えたとなると、さぞやサウザスは医者不足でお困りでしょうね」
「え、う、うん……」
なんだかショーンの知りたい方向とはズレているような気がしてきた。
紅葉とロビー・マームは、芋虫とアブラ菜のマヨネーズ炒めを、モチャモチャと無の表情で噛んでいる。
「多くの医者は金持ちを相手に商売しておりますわ。ノアとクレイトだけで、なんと300人以上も! 人口比にしてはちょっと多すぎると苦慮してますの。彼らは田舎の地区には行きたがらない、儲かりませんから。でも医者を移住させる州法はないのです。どうすればこの不均衡を是正できるのか、アルバ様からアドヴァイス頂けませんこと?」
「え? えーっと、えーっとぉ……」
思ったより政治的なお話だった。いや、もちろん非常に大切なのだが……。
「……ベルゼコワ、お困りじゃないか。そのような議題は魔術師ではなく、政治家や医師会にインスティチュートすべきだぞ」
兄のジークハルトが助け舟を出し、ショーンは陳情の海から脱出できた。
「そ、そういうことに熱心なんだね。やっぱり君たちも次期都市長を目指しているの?」
ショーンは返答できない代わりに、おべっかを使うことで、彼らの面目を維持しようと努めた。
「そうですわねえ。父には多少期待されておりますけれど……地区長として活動するには、どうしても夜行性民族のサガが、お脚を引っぱりますわね」
「父の代までは、それでもやっていけてたのです。25年前まで、ノアの夜行性民族の労働人口が33パーセントを切ることはなかった。最近ではめっきりダウンワード傾向に」
「——その原因は何なんだ?」
すっかりノアの政治情勢にのまれてしまい、紅葉らが買ってきた夕飯に手をつけることも忘れ、ショーンは乾いた唇を舐め、兄妹のはなしに聴きいっていた。
「まず、金持ちの移住が、近年富みに進んだことです。その多くはヌーヴォー・リッシュ……成金だ。彼らの多くが昼行性民族です。彼らはオーツミルクを買うかのように、斜陽工場を次々と買収していき、自分好みに塗りかえました。夜行性の労働者むけに発展してきた地場産業までも、昼の操業に転向を余儀なくされたのです」
「夜に音を出すと騒音あつかいされますのよ。お昼に騒音を出しても、夜行性民族は一度も文句を訴えたことはないのに不道理ですわ! あの方達は新参者のくせに辛抱というものがないのです。そのくせお金があって雇用者ですから、誰も何も言えないのですわ」
ノア都市長室のプライベートルームは、一転して若き政治家たちの討論会場となっていた。
ベルゼコワもジークハルトも、クレイトの高等学校を卒業後、仕事に就かず修行という名のモラトリアムを過ごしている。
2人とも、定職は無かったが情熱はあった。
「そして、とどめは大工事の本格着工です。大工事の請負業者の多くが、地区外から来た人たちです。皆さん早朝から、張り切ってハードワークして下さっていますが……」
「夜行性民族にとっては、住みづらくて逃げ出してしまうと……そもそも、新参の金持ち連中が、大工事に反対しないのはなんで? 儲かるから? あんなに街中が鉄骨だらけで、経済的には損してるように見えるけど……」
ノア地区に入る時に出会った、背蝙蝠族の警備員いわく——
サウザス事件が起こったことで、工事の中断を求める者は何人かいたらしいが、……そもそもこんな大規模な工事が、受けいれられているのが意外だった。
「もちろん儲かる者もいますし、大損する者もいます。いかに税金を課し、補填するかが父の仕事であり、政治家の役目なのでね。自分も経済計算を頼まれました。本来やりたい仕事ではないのですが……まあ致し方ない」
「多くの学者先生は、本業の傍らでコツコツ日々研究をかさね、論文を提出し続けた結果、正式な学者として認定されましたのよ、お兄ちゃま!」
「うるさい! お前も無職だろう、妹よ‼︎」
話が脱輪し、兄妹喧嘩の予感がしたところで、ようやくショーンは夕飯に手をつけた。シナシナに伸びた、エンドウ豆ともやしのカラシ麺だ。
「何でしたっけ、そうそう、新参金持ちが大工事に反対しない理由でしたね。理由は一つしかありません」
ズルズルと、白く安っぽい縮れ麺が、高級そうな黒のテーブルの宙を舞う。
「成金たちがノアに集う理由……大富豪キアーヌシュが目当てだからです」
麺はショーンの口から飛びだし、鏡面のような卓の上に、落ちない油の跡をつけた。




