6 上へ参ります
3月26日金曜日、時刻は肌寒くなってきた夕方5時前。
ノア都市役場に足を踏みいれると、
「うわ……広……」
ショーンは思わず、首を90度まげて天井を見あげてしまった。
1階の床から8階の天井まで、すべて吹き抜けのロビーだった。金融都市の中枢らしい、贅沢な作りのようだ。
「建物内に……また建物?」
何ということだろう。吹き抜けロビーの先には、真四角の巨大なサイコロルームが、階段やエレベーターの合間を縫って、ポコポコと配置されていた。
建物内にも関わらず、各部屋には窓が設えられており、それぞれの部署が書かれた垂れ幕や旗が掲げられている。
「わー、どこに何があるのか分かりやすいね。双眼鏡が欲しいけど」
例えば2階の左の窓は『観光課』で、5階の右の窓は『保健課』だった。
役場で一番大きな『税金課』の窓には『本日の納税額!』と数字のガーランドが下がっており、役人が引っきりなしに体をのぞかせ、数値を細かく変えている。
6階中央の窓にはパステルカラーの『結婚届はこちら→』の垂れ幕が、1階隅の窓には真っ赤な血文字で『離婚届はこちら↓』の細長い旗が掛かっていた。
「えーっと、都市長は何処にいるんだろう……」
「4階の一番中央ですよ、行きましょう」
4階の中央にも窓はあったが、セキュリティのためだろうか、何の垂れ幕も旗もかかっておらず、黒いカーテンで締めきられていた。
「せっかくですから自動エレベーターで上へ参りましょう。僕の奢りですのでね、感謝してくださいね」
「……ありがとうございます」
ロビー・マームは得意気な笑顔で、5ドミーをスタッフへ支払った。
(奇しくも、ノアの籠列車『カラーカ・ヴァゴン』の10分の1の値段だった。)
金を受け取ったエレベーターガールは、「いらっしゃいませ」と蛇腹状のドアを開き、お客さまに入室を促した。
「オーガスタス町長はこれがお気に入りでしてね、毎回ここへ来るたびに奢って下さるのですよ。あのケチ野郎がですよ! はっはっは」
内部は、前夜のギャリバー用昇降機とは大違い……まずソファが存在することが驚きだった。フカフカな絨毯にシャンデリア。州列車のコンパートメントをさらに高級にした内装だった。
左右の向かいにある緋色のソファに、一同が着席すると、エレベーターガールも同乗してきた。
彼女は蛇腹状のドアを閉じ、ボタンを押して、エレベーターを給電させた。
「上へ参ります」
ゆっくりゆーっくり、コトコトと上にあがっていく。
「わー、すっごい、優雅な感じ!」
「確かに、これが5ドミーなのは安いかも……?」
車窓……昇降機窓というべきだろうか。1階あがっていくごとに景色が移り変わる。ロビーにいる客たちが口をポカンと開けて、窓の垂れ幕を読んでる様子を観察できた。
「お客さま——4階でございます。お気をつけてお降りください、良い1日を!」
オレンジ色の制服を着たエレベーターガールが、眩しい笑顔で見送ってくれる。
「あ、……ありがとう」
ノアに来てから毟り取られることばかりだったけど、今回だけは、有意義な金の使い方を感じられた。
「ったくショーンさんてば、鼻の下伸ばしてる場合じゃないですよ! 都市長にお目どおりする前に、まずは秘書を倒さなければ!」
「え? 倒す?」
その意味を把握しきる前に、ロビー・マームに肩ごと引っぱられて、都市長室のドアを開けさせられた。
「あーもう、大工事なんてさぁーいやくです、うーつくしくない!」
ノア都市長の根城には、本陣の手前にもう一つ、秘書室があるようだった。
壁全面がピンク色、あたり一面バラ模様。
白シャツを着た秘書室の住人は、大量の書類をバサバサ放り、ノア都市の巨大なジオラマ模型の前で、ウンザリと立っていた。
「まーったく、毎日まいにち苦情が多すぎまーす。夜の騒音なんて、耳せーんでもしーてれば……オウ! どなーたです? ご予約の方ではあーりませんよね?」
「はい。御面会のご予約を取りに伺いました。わたくしはサウザス町長オーガスタス・リッチモンドの使いで来たロビー・マーム。こちらはサウザス町が誇るアルバ、ショーン・ターナー様です」
「あはーん。オーガスタス・リッチモーンド町長のお使いでいらしたロビー・マーンム様と、ショーン・タァーンナー様でらっしゃいますね。お話はお聞きしておりますよ。あーなたは?」
「紅葉です」
5文字で答えた紅葉は、少しだけ優雅にお辞儀し、挨拶した。
「ふーんむ」
彼は、濃いめのチェリーピンクのリップで、舐めるように身分証を熟読し、長いまつ毛と、長いベビーピンク髪、背中の翼をバサバサさせて……、
「いーでしょう、歓迎しましょーう。このたーびはノアへようこそ、サウザスの皆さーま」
と、ショッキングピンクの枠線が入ったお名刺をお渡ししてくれた。
ノア都市長 第1昼秘書
伽藍鳥族 オーレリアン・エップボーン
「昼秘書のかた……都市長さんは夜行性民族だそうですね。もうご出勤でしょうか? 失礼ですが、僕たち今日中に御面会のほうは……」
「あーなたね、夜行性だとご存知でしたら、カレらの夕方4時から6時のきちょーうさを、昼のと一緒にしないでくーださいまし!」
出過ぎた真似をしてしまったようだ。あぶない、大富豪キアーヌシュに取り次いでもらうまで下手に出なければ……
「失礼しました、オーレリアンさん。都市長はお忙しいですもんね。そうだ! この模型ジオラマは、ノアの大工事を表したものですよね。進捗を詳しくお聴きしてもよろしいでしょうか?」
「わーたくしだって忙しいんですっ! 同じものが3階の大工事課にあーりますので、説明はそこで聞いてくださいまーし!」
「は、は…………い」
秘書オーレリアンにけちょんけちょんにされて、ショーンは心の羽根が折れそうになった。
「さっさとアポイントを取りつけて帰りましょう、ここは」
さすが、こういう状況に手慣れたロビー・マームは、ささっと懐からスケジュール手帳を取り出した。
「ふーんむ、そーうですねえ……一番ちかーい日付ですと、5日後の午前3時があーいていますよ」
「分かりました、ご相談の場所はこちらでよろしいでしょうか?」
「5日後……ですか」
勝手に取り決めていくロビーの背後で、ショーンは尻尾を曲げた。
(午前3時って時間帯はともかく、日数はそこまで待てないぞ。そもそも目的は時計塔に入ることだし、滞在費だってあるんだし……!)
そう焦った瞬間、腰を曲げ、ショーンは全力で秘書に頭を下げていた。
「オーレリアンさん、僕はアルバ統括長フランシス様の命をうけ、大富豪キアーヌシュ・ラフマニーの身辺調査をしてるんです。これにはサウザス事件という、多くの人命が奪われた悲劇が関係している!……ですから、あまり長いこと待てないんです。キアーヌシュに会う方法……または時計塔に入る方法を教えていただけないでしょうか!」
「な、なーんです、いきなり……いーいですか、ここへ来る方々は、みーなさん使命と任務をおっているーんです。あなーただけ特別扱いすることはできませーんよ」
秘書オーレリアンは、冷たくシッシと手を振り、極めてまっとうな理論で拒絶した。
「分かってます! 都市長もあなたもお忙しい。これ以上あなたたちの手を煩わせたくないんです。都市長ご本人に会えなくたっていい。ただただ情報が欲しいんです。お願いします!」
しかし、ショーンも引き下がらない。必死で床に頭をついて頼み込んだ。
「これ、アルバ様を卑下させるような態度を取らせるものではない、オーレリアン」
都市長室からトントンとノックが響き、静かに扉が開いた——
ゲアハルト・シュナイダー、洞穴熊族。
ラヴァ州で唯一、夜行性の地区長は、同民族であるサウザス病院長ヴィクトル・ハリーハウゼンよりも、さらに暗く、険しく、荘厳な顔つきをしていた。




