2 エイブ・ディ・カレッド社
3月26日金曜日、時刻は午前11時11分。
「おや、いらっしゃいませ」
丸メガネをかけたチョッキ服の老紳士が、作業台から顔をあげて挨拶した。
茶色と深緑色をした落ちついた店内には、トランシーバーや電信機が並んでおり、天井からは巨大なアンテナがぶら下がっている。
電子機器を扱う店というと、雑多でネジだらけの安いイメージか、青白い空間に整然と陳列されている高級なイメージがあるが……
『エイブ・ディ・カレッド社』は、アンティークな雰囲気を残しつつ、適度にジャンク臭もある良いとこどりの店だった。
壁にかけられたレコードアルバムには、シックな黒ドレス姿の歌手 (名前はジル・ジーナという猫狼族だ)が描かれ、店内にはCMソングが流れている。
『エイブ・ディ エブリディ♪
エイブ・ディ・カレッド〜
毎日大切な人と連絡を取りたいなら
エイブ・ディ・カレッド社へ!』
「当店は初めてでらっしゃいますね、お客様。失礼ですが、身分証を拝見させていただいてもよろしいでしょうか」
「あ、はい、どうぞ——」
ノアに来てからずっとこんな調子だ。
3人は自分の州身分証を店員に見せた。
ショーン・ターナーはさらに【帝国調査隊】のバッジを渡し、身分を明かした。
「トランシーバーを2台ぶん購入したいんです。支払いは州のアルバ統括室にツケていただけますか」
「ふむ……」
黒輪猿族の老紳士は、幾重にも折り重なった拡大鏡で、バッジ裏にある刻印を観察した。
金色にきらめく星バッジには、『帝国』『ラヴァ州アルバ統括室』『帝国調査隊』の3つの紋章と、『ショーン・ターナー』の実名が、星屑よりも小っちゃく掘られている。
「……なるほど……いや初めて拝見します。アルバ様でしたか」
彼は分厚い紋章事典を棚からひっぱり出し、微細なロゴの詳細を、仔細に確認してから——バッジを返却した。
「購入できますか?」
「ええもちろんです、ターナー様。失礼ですが念のため——もう一つ確認させて頂いてもよろしいでしょうか」
「な、何でしょう」
「まだまだお若いのでね。信用できないのでしたら、私のほうで保証してもいいですよ」
ロビー・マームがありがたく懐から証書をひっぱり出そうとしてきた、が、カレッド社の老店員は片手で制した。
「アルバ様、その眼鏡は【真鍮眼鏡】かと存じます。わたくしに触れさせていただけないでしょうか」
老紳士の、黒輪猿の長い尻尾の先端がクッと曲がった。
ショーンは思わず、横にいる紅葉の顔を確認した。
こんな新鮮な反応は久しぶりだ。すぐに紳士に向き直り——
「——いいですよ。慎重に持ち上げてください。変に力をこめないで」
作業机に真鍮眼鏡をそっと置き、レンズとレンズの間にある鼻のツルを、指で押し上げるように指示した。
この眼鏡を触らせるのは紅葉以来だ——彼女も固唾を飲んで見守っている。
店員は、深く皺が刻まれた人差し指を差しこみ、そっと持ち上げようとしたが……眼鏡はその場からピクリとも動かず、完全に机と接地したままだった。
「なるほど……これが、例の『ルドモンドで最も重い鉱石よりも重たい』重さですか。……魔法のようです……」
彼は心に感じ入るように感心し、アルバという存在を信じた。
「では、商品はこちらになります」
カレッド社の紳士店員は、厳重に施錠されたガラス棚を開けてくれた。
ショーンと紅葉は、トランシーバーの説明書きとカタログを交互に見つめ、現物を手に取って確かめた。
『グリズリー』……大型の遠距離、チャンネル登録数12個、長時間充電、11500ドミー
『エルク』……ラジオ付きの中距離、登録数8個、中充電、7500ドミー
『ムース』……中距離、登録数5個、中充電、5500ドミー
『カスター』……近距離、登録数5個、短充電、2500ドミー
「『カスター』2つでいい?」
「だめ! 『グリズリー』と『エルク』にしようよ」
「こっ……んな高いのムリだって! あとで絶対自分で払えって請求される!」
ギャリバーの最新車種なみに高い値札をみて、ショーンは猿の尻尾を震わせた。
「そうですね。『エルク』と『ムース』でしたら、ノア地区内なら半分以上カヴァーできますよ。『グリズリー』でしたら全域に使用できますが、そのぶん荷がかさばりますので……」
一番高額な機種グリズリーは、ズッシリと文鎮のように重たく、充電機の大きさも半端でなかった。(ちなみに充電機は別途費用がかかる。)
「そうだよ、【真鍮眼鏡】よりも重いよ、これ!」
「なんでそう及び腰なの? 連絡が取れるかどうかは大事なんだよ、命の値段と同じだよ!」
「うるさーい! 値段どうこう言うなーーっ、自分のサイフで払わないからって‼︎」
ショーンと紅葉は、ジル・ジーナのCM曲よりも大音量で喧嘩していた。
「……お客様、そう焦らず……」
「ま、デカいのは司令官がひとり持っていれば通じますよ。雑兵はみんな近距離用です」
アルバ様の醜態にさすがの老店員も慌てるなか、ロビー・マームは涼しい顔でアドバイスのウインクをした。
「ハッ、そうだよ——何かあったら警察へ連絡して、警察が持ってる大型機種でっ、電波を飛ばして貰えばいいさ……それで充分!」
「んー、わかった、じゃあ『エルク』と『ムース』にしてっ! さすがに『カスター』じゃ性能が弱すぎるよ!」
なんとか交渉は終了し、購入するトランシーバーが決定した。
紅葉のものは『エルク』。
塗装は紅葉したカエデ色で、装備ケースの革も、同じ赤いカエデ色。
右脚の外腿に吊り下げることにした。
ショーンのものは『ムース』。
塗装は少々濃いめの若葉色で、装備ケースの革は、服と同じベージュ色。
左裏の腰ベルトに引っ掛けることにした。
装備ケースはそれぞれ22ドミー。
加えて『エルク』と『ムース』用の中型充電機を1台、1800ドミー。
中型充電機『コブラ』は、トランシーバー専用の充電機械で、ご家庭にある給電機から電気をとれるほか、ギャリバーに繋いでも充電可能だ。
紅葉は念願の携帯ラジオが手に入ってホクホクし、ショーンはげっそりしながら必要書類を記入した。
「ターナー様、信用勘定として1割ほど、この場で現金でのお支払いをお願いします」
「うぐっ、は、はい……」
「本体の1割のみで大丈夫です、ケースと充電器の分はおまけしておきますので」
1300ドミーが、ショーンの長財布から飛び立った。
(合計、14844ドミーか……これって本当にアルバ統括室に払ってもらえるのかな……なんの連絡も入れてないし……いざとなったらフランシス様の靴裏にバターを塗るしかないぞ……)
3月26日金曜日、時刻は昼の1時15分。
キラキラした新品のトランシーバーを身につけ、ふらふらになって店を出た。




