6 ノアの冒険が始まった。
「えー……」
「さ、どこに行きます? 広場ですか? 役所ですか? それとも警察?」
「ちょっと待っててください! 準備しますんで」
ロビー・マームをホテルの部屋からいったん追い出した。作戦会議だ。
「——どうするのこれから!」
「——どうするって、一緒に行動してくしかないよ! フランシス様とオーガスタス町長が遣わしたんだから、断る選択肢はない!」
まったく、とんでもない人物をよこしてくれたものだ。すっかり捉えどころのないロビー・マームの言動に、ショーンと紅葉は朝からどっと疲れてしまった。
「ていうかロビーさんって、ああいう人だっけ。僕、もっと静かな人だった記憶があるんだけど」
「さぁ、ご夫妻がいる前では大人しくしてたから……」
人は誰しも、親がいないところでは様子が変わるものだ。
「それより、これからどうするのショーン。今まではブーリン警部やエミリア刑事が、どこを捜査するか指示してくれたけど……ノアでも、まず警察に行くの?」
「いや、ノア警察には頼れない。トレモロのときは『サウザス事件の捜査する』って大義名分があったんだ。ノアではもう事件と関係なくなってる。ラン・ブッシュの身内もいるかもだし、警察は敵だと思った方がいい」
「そうだね……あんな目にもあったし」
昨日の深夜、警察風の男に、ギャリバーを盗られかけたのを思い出し、紅葉は肩をブルッと震わせた。
ノアで調査すべきは3点。
『大富豪キアーヌシュについて』
『盗まれたゴブレッティの設計図』
『元警官ラン・ブッシュの行方』
「じゃあ……まずはキアーヌシュ氏から始める?」
「始めたいけど……会ってくれるかな。まずは聞き込み……外堀をどうするか考えなきゃ」
大富豪キアーヌシュは、孤独な金持ちで、エピソードから察するに排他的な人物と思われる。
「とりあえず時計塔に行って、大工事と設計図の関係について調査して……、あーでも知り合いがいないから、誰と話をつければいいんだ?」
どこから始めるべきか要領をつかめず、ショーンは首をひねった。
こうなると改めて、木工所『レイクウッド社』にサウザス町の知人、マチルダがいたのが奇跡だった。
マチルダのおかげで、社長令息テオドールと顔合わせできたし、社長のアルバートにもすんなり話がいった。彼女の手引きと、木工所の後ろ盾があったからこそ、スムーズに捜査することが可能だったのだ。
ノアには頼れる知人も警察もいない。
すべて自分で調べて、捜査して、話をつけなきゃいけない。
「……どうしよう、できるかな」
岩山に築かれた工業都市、ノア。
田舎町から遠く離れたこの都会で、今までにない孤独を感じる。
ショーンの懸念点はもうひとつあった。
トレモロ町長ヴィーナスの時と違って、紹介状が見込めないことだ。
町の有力者に紹介状を貰うには、ここ、ノアでも何らかの武勲を立てねばならない。
そうしなきゃ、いつまで経っても州外の呪文許可が降りないし、州外で【帝国調査隊】として動けるようにならないと、逃亡してしまった組織の犯人たちの行方を追えない。
(ノア都市長に取り入るしかないか……でも、また私的な捜索願いを出されたらどうしよう。盗まれた〇〇の行方を追えとかさ。……いや、それだったらまだいい。最悪なのは、相手にされないことじゃないか……?)
「まず初めにさ、トランシーバーを買おうよ! ショーン。必要でしょ?」
ホテルの部屋から動き出せず、深く考えこんでしまったショーンに、紅葉は笑顔でそう提案した。
「トラン……シーバー……」
「うん! 私はラジオ付きのがいい。運転中に聴きたいもん」
「ふ……別々に買った方が安いよ、それ……」
ショーンは頭を垂らしたまま、肩でクスッと笑った。
冒険とは過酷なものだけど、相棒がいるから良いものだ。
3月26日金曜日、時刻は午前10時前。
ここからノアの冒険、第一歩が始まった。
『う〜ん、いい風☆ 気持ちイイよ〜』
ラン・ブッシュは、お気に入りのビルの上で伸びをして、雷豹族の尻尾をピンとはった。
『エミリアも早く登ってきなよー』
『そんな急かさないで! 一歩滑らせたら、線路のヒキガエルみたいにペチャンコなんだから!』
エミリアは慎重に、何度も手の汗を背中で拭きながら——掃除用の長ハシゴを登っていた。
ここは地上から30メートル……いや、ノア岩山の高度を合わせたら、もっとかなりの上空だろう。閃光風がエミリアのツインテールを吹き鳴らし、ピョコッとひとつ結びに縛ったランの髪も、びりっと揺らした。
2人は、ノアの南東部で一番高いビルの壁にいた。
恋人のランが、お気に入りの場所に連れてってくれる……とエミリアが心を弾ませて来たのが、ここだった。
この四角柱の茶色いビジネスビルは、壁面に細い尖塔を何本もくっつけた作りとなっていて、それ自体は珍しいものではないが、 “素人が” “カンタンに” 登れる階段があるのは珍しいそうだ。
かくして、エミリアは尖塔の間に作りつけられた狭い階段を、強風に煽られながら慎重に登っていた。
『はー。いいよねえ、鳥族は〜☆ ここまでひとっ飛びで簡単に来れて』
ランはお先にヒョイヒョッと登りつめ、尖塔の頂点である、細い三角錐の屋根のへりに座っていた。
ランは、鳥に憧れている。
蒼鷲族のフェアニスリーリーリッチをはじめ、鳥族たちが飛行訓練するのを、いつもうらやましそうに眺めていた。
堅苦しい崖牛族として生まれたエミリアとしては、ランのように優美でしなやかな雷豹族に憧れるが……人はみな、自分にないものに惹かれる性なのか。
『はあっ、はぁ……っ。や、やっと着いたっ……』
『ふっふふーん、お疲れ〜。特等席だよ☆』
恐怖と強風でガチガチに震える指先を、暖かな猛獣の皮膚が温めてくれた。
『…………いい景色ね』
確かに、ここはノア都市周辺が一望でき、中央広場と時計塔もよく見える。
尖塔と尖塔の隙間に座ると、鳥の巣のなかにいる気分になれた。
『イイでしょう。子供の頃からあちこち登って、ここが一番いいなーって見つけたの。時計塔は警備が激しいし、何より時計塔じたいがミエナイじゃない? ワタシ、ここの景色が大好きなんだ☆』
『うん、素敵……登るの好きね……』
『やだ、別に登るのなんか好きじゃないもーん★ 高いところが好きなの。屋根の上とか、塔の柱とか。黒爪のゾックみたいにヒョーイヒョウイって屋根を渡って、夜の月とお散歩できたらステキじゃない?』
『……うん』
エミリアは体を縮こませ、ランの長い尻尾に包まれた。
こんなに傍に、近くにいるのに、心はいつも遠くにいる気がする。
『そうだ! ねえ、民族を変えられたらいいのにね。そしたらワタシ、絶対に鳥族に生まれ変わるんだ☆』
『鳥ね…………蒼鷲族とか?』
共通の友人の顔を思い出し、エミリアは少しザワザワ嫉妬した。
『ううん、まさか〜! なるとしたら夜行性だねー。灰耳兎族とかイイかも☆ 背中に翼が生えててかっこいいモンね。円梟族はダーメ。お手々がツバサだから不便そうだしぃ〜』
ランがむじゃきに両手をバザバサさせるのを、エミリアは瞳を細めて見守った。
『そうね、民族を自由に変えられたら……皇帝と神様に誓って無理だけど……でも幸せになる人はたくさんいるでしょうね……』
大昔、異なる民族は、結婚を禁じられていた。
今は結婚できる制度があるけど、それでも子供は作れない。
エミリアは、ランと同じ民族になりたかった。




