5 ま、仲良くやりましょう
3月26日金曜日、時刻は深夜0時25分。
昨日の朝にラヴァ州最西端のトレモロを出発してから、すでに15時間以上が経過している。
ショーンと紅葉は、ようやく、アルバ統括室が用意してくれた、逗留先のホテルに着いた。
ホテル『デルピエロ』。
中央広場から南西のバウプレス5区にある、6階建ての狭いホテルだ。ノアの大工事に備えて、あたり一面鉄骨が張り巡らされ、普段の外観は隠れている。
おもに仕事の出張先で使われるホテルで、利用客はほとんどスーツ姿だ。1階にはカフェが併設され、モソモソとした高い食事が提供されている。
トレモロの宿屋『カルカジオ』では、2番目に大きな部屋を広々と使っていたショーン一行だったが——
ノアのホテル『デルピエロ』は、1番大きい部屋ですら、カルカジオの3分の1ほどの広さしかなかった。お値段はもちろん、3倍だ。
「せっま……」
ホテル6階の『スイートテラスルーム』に入って、第一声がそれだった。昔のショーンの下宿部屋と同じくらいの面積なのに、ベッドが2つも置いてあるのだから当然だろう。
窓側には丸テーブルと椅子2脚。左右の壁には空のクローゼットと空チェスト、着替え用のつい立て、靴入れ、思想の強い本が数冊おかれたミニ本棚がついている。
「けっこう良い部屋じゃない。ゼイタクだよ」
紅葉が窓辺の椅子にすわって、一息ついた。
本来、景色を眺めながら食事がとれるはずのバルコニーテラスは、窓越しに何十本もの鉄骨が設置され、ガチガチに封鎖されている。
「僕は特別ゼイタクしたい訳じゃない! 普通の生活がしたいだけだよ。なのに勝手に何倍もお金が飛んでいくんだ。都会っていうのはいつもそうだ!」
ショーンは唸るようにそう叫び、尻尾でシーツをペチペチ叩き、ふて寝するように眠ってしまった。
夜が明けた3月26日金曜日。時刻は朝9時ちょっと前。
ショーンと紅葉は、ホテル『デルピエロ』6階の窓辺から、梯子模様に差しこむ朝日を浴びつつ、(まるで刑務所の鉄格子のようだ)、パッサパサのパンケーキと、ケールとトマトのサラダ、カブのコロッケ、アンナから土産でもらった丘麦茶をおともに食した。
実質、ノア到来1日目の朝だった。
「そういえば、ショーンが昨日あう約束してた人って、どんな人なの? また警察?」
「いや、フランシス様の紹介なんだ。今日の朝9時に時間を変えてもらった。ホテルに取り次いでもらったから、僕も誰だか知らない。たぶんアルバ関係者じゃないかな……【帝国調査隊】の誰かかも」
「朝9時? もうすぐじゃん、遅刻しちゃうよ。どこで会うの」
「この部屋だよ」
コッコッ
「——こんにちは、お久しぶりです。ショーンさん、紅葉さんも」
それは——見知った顔と声だった。
太鼓が聴ける酒場『ラタ・タッタ』。
そこには太鼓隊に所属している夫婦がいる。
一人息子は元銀行員で、今はサウザス役場で働いている。
実直で働き者。クリクリのカール髪が特徴の29歳。自慢の息子だ。
町長オーガスタスの側近、土栗鼠族のロビー・マームが立っていた。
「え、マっ、マームさん⁉︎ なぜ貴方がノアに? 再就職ですか?」
「はっは、まさか。僕は常にサウザスとともにありますよ」
ロビー・マームはとぼけた顔で、ホテルの一室に入ってきた。
ショーンはテーブルを片付け、ベッドに座り、ロビー・マームに席を譲った。
紅葉は丘麦茶の追加を出そうと、ホテルの備え付けカップを見て……すぐに舌打ちして元に戻し、自前のティーセットが入ったトランクから、小梅柄の茶器を取り出した。
「それで、マームさん、なぜ貴方がノアに?……町長はこのことを知ってるんですか?」
「ええ、もちろん。オーガスタス様が命じたのですよ。あなたがノアにいる間、お側につけと」
「側にって……秘書でもしてくれるんですか? なんでまた」
「トレモロ到来中、あなた派手な騒ぎを起こしたでしょう。刑事も一緒にいたのに、役に立たなかったそうじゃないですか。——で、警察とアルバを頼りにしていてはダメだと、我々サウザス町としても独自に捜査する必要があると。オーガスタス様の、直々のご判断です」
「ははあ、な……なるほど」
ロビー・マームは、紅葉が新たに淹れた丘麦茶をズズッとすすった。
「ふむ、田舎の味がしますね」
「気に入りましたか?」
「いえ、口に合いません」
彼は優雅に、紅葉にカップを突っ返した。
紅葉が、赤鬼の様相に変わっていく前に、ショーンは慌てて声をだした。
「き——危険ですよ、ロビーさん! そう、僕たち危ない奴らを追ってますし、逆に追われてもいるんです! 一緒にいると必ず危ない目に遭遇します。マームご夫妻も心配でしょう、サウザスに帰ったほうが良いですよ!」
ショーン渾身の説得を放ったが、ロビー・マームは丸々としたカール髪を揺らし、はっはっはと屈託なく笑った。
「平気ですよ。オーガスタス様のお側も、危険に変わりないですしね」
「それは……まぁ……そりゃそうですが……」
サウザス町長オーガスタスの周囲では、元秘書のエミリオはもちろん、現秘書ブロークンなど、数々の側近が傷を負ってきた……が、ロビー・マームだけはどういう訳かピンピンしていた。
「ま、こう見えて鍛えてますし」
彼は右二の腕をグッと曲げて見せてみた。童顔な顔つきに似合わぬ、大柄な体格。高級なスーツ越しから、屈強な筋肉が垣間見える。ルドモンド大陸の銀行員は、みな軍人並みの訓練を受けているが、彼もまた、その1人なのだと実感できた。
「えーと、じゃあ……ノアにいる間、ずっと僕らの側に付いててくれるんですか?」
ショーンはなかば諦めて、ロビーに再確認した。
「ええ、昨日から同じホテルに泊まってますよ、このすぐ下の部屋に」
ショーンと紅葉は思わず床を凝視し、何となく生理的不快さを覚えて、互いを見つめた。
「ま、僕もノアにはさほど詳しいわけではありません。ですが出張で何度か来てますし、案内くらいはできるでしょう。迷いやすい土地ですからね」
「そう……ですか……」
トレモロでのお供は、エミリア刑事だったが……
どうやらノア地区では、このロビー・マームがその立場になるようだ。
「ロビーさん。あなた、裏切ったりしませんよね?」
紅葉は、スーツの襟を掴まんばかりの勢いで、食い入るように彼を見つめた。
マーム夫妻とは、何年も太鼓隊でやって来た戦友だ。
息子ロビーも、数ヶ月に1回は酒場に顔を出している。
その彼が【Fsの組織】に属し、
自分達を裏切っていたら驚きだが……
——いや、元駅長コリンだってそうだった。
エミリア刑事もそうだ。
もう誰も信じられない。
「はっはっは、僕の心はサウザスとオーガスタス町長のものですよ。もし裏切るとしたら貴方がたのほうでしょう、わっはっは」
童顔の彼は、むちむちのスーツをはち切れんばかりに笑い飛ばした。笑うたびにカールの髪がくるくる揺れる。
「ま、我々もべつに『味方』ってワケじゃありませんからね、勘違いしないように。案内や協力はしますけど、ちゃんと監視もしてますよ」
両親からたっぷり愛を受けて育った息子、ロビー・マームは、笑ってパチンとウインクした。




