2 金と歯車と台形の都市 ノア
コンベイ警察署を出たショーンと紅葉は、街の屋台で串焼きと煮込み麺をつまんだ後、ニーナ号に給油し、せっかくだから歓楽市でショッピングもしていって……
すっかり暗くなってからコンベイを経ち、州街道をぶっ飛ばし、ようやく本来の目的地が見えてきた。
「わ、夜でもだいぶ明るいよ……!」
「あれがノアか……。夜の州街道から見るのは初めてかも」
3月25日森曜日、時刻は夜の11時に差し掛かろうとしていた。
平らなラヴァ州の大地に、突如そびえる巨大な台形——
そこは黒い煙が吐かれ、白いサーチライトが夜を切りさくように動いている。その光は、侵入者を監視しているのか、あるいは外客を歓迎する光なのか、何とも判断しがたい。
「……ビルが多いんだね……あんなに発展してるなんて知らなかったよ」
「ノアは土地が狭いぶん、上を伸ばしてくしかないからな……クレイトより開発されてるって意見も聞くし」
ラヴァ州西部の田舎で、のんびり暮らして来た2人にとって、この都会の夜景は少々眩しい。
巨大な歯車がギチギチと動き、夜でも鈍い金属音を立てているこの地区は、ラヴァ州でもっとも夜行性民族が多く住み、その数は脅威の3割を超えている。
かつて【箱と歯車と台形の都市】と呼ばれたこの土地は、社会産業が変わるにつれ、徐々に名を変えて、今に至る。
【金と歯車と台形の都市 ノア】
そう呼ばれる夜の都市は、大地の海原に停留する巨船のように、有然とショーンと紅葉の前に佇んでいた。
「さ、進もう、紅葉」
ニーナ号をブロロロと操り、地区の入り口まで車輪を進めた。
ノア地区——
州都クレイトの東隣にあり、ラヴァ州のはじまりの頃から、州の右腕として発展に寄与してきた都市。
同じくクレイトの西隣にあるグレキスが、農業と牧畜を生業とし、『衣と食』を支えた地区だとしたら、ノアは、工業と軍事を主業とし、『住』を培ってきた地区である。
ノア山、あるいはノア岩盤と呼ばれる超巨大岩盤。
高さは約300メートル、横5キロ、縦10キロ。横から見ると台形のかたちをした山のようなこの大岩に、古のラヴァ州民は、都市を形成することを選択した。
人が住むには広く、都を作るにはやや狭い。ろくに開墾はできず、積み荷を運び入れるにも、水を汲み上げるにも、多大な苦労がかかるこの大岩に、なぜ人々は移り住んだのか?
ノア地区自体が、堅牢な城——防衛施設を担っているからである。
古き時代の戦争中、ラヴァ州は何度も政府をノアに移転させた。政治機構を止めることなく戦線を維持し、抗戦し、勝利の面舵をつかみとったのだ。
もし原初のラヴァ州民が、ノアに都市建設することを選ばなかったら——、
今頃とっくに隣州に併呑され、ラヴァは歴史の海に沈んでいただろう。
「えーと、どこから入るんだっけか……」
「案内板があるみたい。ショーン、真鍮眼鏡で読んでみてよ。ほら、ピカーって光るんでしょ」
「あー……あそこか! 街灯もないなんて不親切だなあ。夜に入らせる気ないだろ」
州内でもっとも防衛設備に優れたノアは、今でも変わらず警備が厳しく、この地区に出入りするには、東、西、南にある入り口門から、必ず州の身分証を見せる必要がある。
他の地区では、州名簿の登録なしで一生を過ごす者も多いが、ノアの住民は、上記の理由により97%が登録している。
「そういや、紅葉って州名簿に登録してるんだっけ?」
「うん。州名簿に載ってないと、ギャリバーの免許が取れないもん。ターナー夫妻が後見人になってくれたから、すぐに登録許可もおりたんだけど……、私みたいな身元不明人は、本当ならもっと時間かかるみたい。何年も真面目に働いてね」
「ふーん、……そっか」
春夜風に吹かれ、少ししんみりしたところで、東の門が見えてきた。
さすがに門前には街灯が立てられ、左右から門の外観を照らしている。
「………………っ‼︎」
門の上から、吊り下がっている人間がいた。
頭を下にし、力を失い、僅かにユラユラと揺れている。
紅葉は蒼白し、ニーナ号をギャギャギャッ——‼︎ と悲鳴のような音を立てさせた。
「……ショ、オオーオ……ンッ‼︎」
紅葉がわなわなと振り向いてショーンの方を向いた。
「紅葉、落ち着けっ——!」
ショーンが、サイドカー席から身を乗り出し、紅葉の背中と肩を抱いた。
「——あれま、どうしたい、お客さん。死体でも見たような顔しちゃって。ヒャッヒャッヒャっ」
それは門に吊り下がった死体……ではなく、背蝙蝠族の警備員の男が、ニチャニチャと笑っていた。
背蝙蝠族、夜行性。
彼らはコウモリらしく、頭を下にして、ぶら下がった状態が一番落ちつく民族である。
睡眠中や食事中もぶら下がり状態でいるらしく、家でも仕事場でも、彼ら専用の捕まり棒の上で生活している。
警備員の彼もまた、門の棒にぶら下さがり、馬車3つぶん上の高さから通行客を監視していた。
「ンーじゃま、証明書を拝見しまヒョか、お客さん。2人とも見せて」
警備員の男が頭をカリカリかき、ショーンと紅葉に指示した。(彼のフケがパラパラとギャリバーの車体にふりかかり、ニーナはご機嫌斜めになった)
「紅葉、ほら、証明書は?」
「う、ん……大丈夫、おサイフにはいってる」
「ほほーう、お2人はサウザスからネぇーっ。夜逃げかい? ヒャッヒャッ。追加でギャリバーの証明書もあるかヒ?」
「えーと、確かサドルの下に入れてたっけ。ちょっとどいて、紅葉」
まだ心が戻らない紅葉に代わって、ショーンが対応した。
「フむ、【A−27型 ニーナ】……今月にドップラーの倉庫で購入。元所有者はカランダッシュ、中古品っと。ほいほいOK、通ってヨシ!」
ショーンは、腕を頭上に伸ばし、警備員からカード紙を返してもらった。
「……ギャリバーまで調べるなんて、厳しいんですね」
「んまーなっ、サウザスで事件が起きたせいで、上からのオタッヒよ。おかげで仕事が増えてヒーヒーよう。さすがに昼間の警備員は増やしたけども、夜警備はそのままんでネ。夜がいっちゃんキケンだっつのに、上のやつぁ分かってねぇーなー」
コウモリの彼はおしゃべりのようだ。後続車も来ていないし、もう少々聞き込み調査することにした。
「サウザス事件……僕も故郷がああなってしまって大変でしたよ。ノアの様子はいかがです? 治安とかは変わりましたか」
「ははーん、ノアもそりゃーヤッベェぞ。金持ち連中がキリキリひてりゃあ、『大工事のせいで人がいっぱい入りこんでる! コトが収まるまで工事中止したまえ‼︎』ってんで、州議会で紛糾してるネェー、いつ収まっかは誰も知らんニョに」
「……犯人が全員捕まったら、おさまりますよ」
「ヒャッハッ、そんなんいっつすんだい! ちゅーかもうムリだろ、州外に逃げちったんだから! ヒャッヒャッヒャっ」
警備員は笑い転げて、ブランコのように自分の体を漕ぎ始めた。
彼の頭がグングン揺れる下を、ブロロロ……と、ゆっくりノアに向けて進むと、
「おっーと、ちょい待ちちょいマチ、お客さん! ギャリバーは通行料もいるのヒョ。払ってちょ」
「ええっ、ドミーを取るだって⁉︎ そんなの知らないぞ!」
ショーンがノアに来たのは、人生で3度ほど。
1回目は赤ちゃんの時で覚えてない。2回目は家族につれられて小旅行。3回目は魔術学校に入る直前に、クレイト市に行った帰りに寄った。いずれもえっちらおっちら、ノア岩山の斜面歩道を数十分かけて登ったものだ。
「ギャリバーは上がるのに電動昇降機を使うのヒョ、そのお代金ネ。タダで入れるのは人間だけ」
「え、ええぇ、そんな……いくらです?」
冒険は、すべての旅路にお金がかかる。
「1台30ドミー、2台だと割引して58ドミーっひゃ」
「さんっ、——じゅう⁉︎」
ノア地区は、もっともセキュリティが厳重で、もっとも金持ちが住まう土地。
そして、もっとも金がかかる土地だ。




