6 ありがとう、トレモロ
「はーっ⁉ ヌード雑誌20冊分のドミーを払うんですか? この僕が⁉︎」
「ええ、キキーラという女性が根こそぎ購入していきましたわ。親愛なるアルバ様が支払って下さると」
重犬族の会計おばさんが金縁眼鏡を光らせながら、キヌチェクの雑誌名が丁寧にかかれた一覧表を差し出した。『魅惑の砂犬族キヌチェク、甘美なベルベットに溺れて』『砂漠の宝石キヌチェク、艶尻と薔薇風呂とともに……』等々。
「一冊12ドミー!? あんなに薄いのに?」
「人気モデルですからネ。『木こり達にも届けるから安心して』と、伝言もいただきましたわよ」
ショーンは眩暈をさせながら、サッチェル鞄から長財布を取りだし、入院費に加えて、しぶしぶヌード雑誌代も支払った。
これにて、トレモロに関するクエストは全て消化しきった。……ショーン本人は、木こり族長ジャノイとの約束を、最後まであずかり知ることはなかったが。
3月25日森曜日、午前9時20分。
トレモロ到来から9日目の朝を迎えていた。
「あーよかった、ショーンさんに会えたーっ。もう行っちゃうなんて寂しいですよ〜」
退院の手続きをしている最中、木工職人にして親友リュカの妹、マチルダ・マルクルンドがお見舞いに来てくれた。(じつは昨日の夕方も来てくれたのだが、ショーンは眠っていて会えてなかった)
「あれっ? なんだか顔色悪いですねぇ〜、やっぱ退院はまだ早いんじゃ……」
「……ダイジョウブ、入院費が嵩んじゃって……それより世話になったね、マチルダ。君がいなかったら事件は解決してなかったかもしれない。感謝してる」
「いえいえ! 昔からお兄ちゃんがお世話になってますからっ」
マチルダが太陽の笑みを浮かべ、トレモロの未来を明るく照らした。
「そうだ、リュカといえば! これからはこの短刀、もっと大切にするよ。こいつに命を救ってもらったんだ」
ショーンは鞄から装飾入りのナイフを取り出し、マチルダに見せた。以前リュカから、ユビキタスの護送に行く際に、お守りとしてもらったものだ。
「へー、お兄ちゃんの制作にしては上手にできて……あっ、アカンサスの花が彫ってあるんですね。『建築』とか『芸術』を表すお花なんですよ、綺麗ですよね~」
「……建築?」
「はい。綺麗なのに、すごくトゲトゲしてて『棘』って意味もあるんです。アザミに似てるから『葉アザミ』とも呼ばれてますし、葉っぱがすごく大きいから、『熊の手』っていう異名もあってー」
「建築、芸術、アザミに、熊の手……ね」
ゴブレッティ家、エミリア、キキーラ族長の顔がちらついた。何となく、トレモロに来てから出会った人たちを、表すような花だった。
故郷サウザスにいるリュカと、トレモロの町民たち、ルクウィドの森の民たちを順ぐりに思い出していき、柄に掘られたアカンサスの花びらの曲線をそっと触った。
エミリア刑事との死闘の際、サッチェル鞄の中に入れっぱなしで後悔した、この短刀ナイフ——
(いつか呪文が使えなくなった時、このナイフが生命線になる時がくるはずだ)
ショーンは改めて、腰のベルトにぎゅっと差しこんだ。
「今日でノア地区に行っちゃうんですか? ショーンさん」
「うん。ギャリバーでそのまま出発するよ。今、紅葉が宿まで取りに行ってるんだ」
「やだ、そうそう。あたしってば、すっかり忘れてましたよっ」
マチルダが慌てて、自分の胸ポケットからゴソゴソ取り出したのは……、
「イシュマシュクルの写真ですっ! 神殿から数枚持ち出してたんです。何か証拠になるかもって」
「写真? そんなのが残っていたのか?」
「やっぱ、御本人にお返しした方がいいですかねえ。でも、ガサ入れしたのがバレちゃいますし、本人は全部燃えたって思いこんでますから、このまま隠蔽しちゃった方がいいんですかねぇ~」
それは、イシュマシュクルとお偉いさん方の、笑顔のツーショット写真だった。
前神官長ボラリスファス、前警察署長ビシュ・イザ、現町長ヴィーナス・ワンダーベル……
裏に日付と名前が書いてあり、ほとんど7年以上前のものだ。
それぞれ神殿、図書館、役場で撮られている。
——ふと、トレモロ地区ではなさそうな、見慣れない場所で撮られた写真を1枚みつけた。
「それ、例のあの人ですよ。キアーヌシュ・ラフマニー」
「————!」
こいつが。
ノア地区の大富豪で、大工事の発起人。
日付は……8年前、皇歴4562年9月7日。
『キッ……キアーヌシュぅううう! あ、あの哀れな老人ですかな! 何の商才もなく、教養もなく、たまたま偶然キンバリー社の真向かいに住んでただけで大金を手にした……! ダマされて富豪になってしまった、ロクに文字も読めなそうな……見栄と教養だけが取り柄の金持ち連中と、金の亡者どもに取り囲まっれて、可哀想に、んはあはははっ……‼︎』
「あいつ……もともと交流があったのか……!」
優しそうな顔の老人だった。柔らかそうな髭が顔全体から生えている。
手足が長く、背が低いわりに顔が大きい。みた感じ、腰猿族のようだ。
イシュマシュクルと握手しながら、小さな円形の部屋に立っていた。壁全体が本棚となっており、円周に沿ってギッシリと本が詰まっている。
「ここって多分、大富豪キアーヌシュの私室だと思いますっ。ノア地区にある時計塔の、最上階に住んでるそうですよ。『入室厳禁!!』で、秘書サンしか入れないってウワサです。メディア非公開なので、内部写真も出回ってないんですけどー、木工職人たるあたしはピンときましたよっ」
「分かった。——ゴブレッティの設計だからだろ?」
ショーンはうんざりして当てにいった。もうゴブレッティ建築はコリゴリだ。
「ぶっぶー! 2代目のマーチウスが、時計台の彫刻に関わってますけどぉ、時計塔の設計とは別ですっ。塔はもーっと昔からあるものですから」
「へえ、そうなんだ」
「まあ、今度の大工事でぜんぶ取り壊しになっちゃいますけどー……あ、紅葉さん!」
紅葉が、レモン色のギャリバー【ニーナ】に乗って、迎えにきた。
ニーナの背中には【鋼鉄の大槌】と、冒険の荷物が積んである。
「さ、乗ってショーン、出発するよ!」
ショーンは最後にマチルダに向きなおって忠告した。
「マチルダ、今までありがとう。君のほうからイシュマシュクルには接触しないでくれ。テオドールも! 僕たちはいったんノアに行くけど、必要があったらコッチに戻って調査するから。また君たちが危険な目にあったら困るよ!」
「ふっふっふっ、ご心配なく。スパイ活動はじゅーぶん思い出になりましたから、深入りはもうしませんよっ。テオドールさんと一緒に、一流の木工職人になるのが、あたしの一番の目標ですからね!」
「うん! また建築の知識が必要になったら、その時は頼んだ!」
ブワッとしたベージュ色の服をひるがえし、ショーンは、紅葉の隣のサイドカーに飛び乗った。
ピカピカに磨かれ油が注され、ようやく出番がおとずれたニーナ号が、トレモロの大地を、ドゥルンドゥルンと陽気な音をたてて発進する。
「ありがとう、トレモロ! お世話になりました!!」
病院の玄関で、マチルダが両手を振って見送った。
玄関にはもう1人、デヴォラ看護師も見守っていた。
2階の病室から、ヴィーナスとロイが笑顔で手をふり、別の部屋からはエミリアがこっそり覗いている。
紅葉とショーンが乗ったギャリバーは、木工所の敷地を飛び出した。
北南のトレモロ街道と、東西の州街道の十字地点に、旧ゴブレッティ邸が見えてくる。
そこでは、アンナ、テオドール、アルバート社長が喧々諤々の討論をしていた。
「だーかーら、そんな予算じゃ良い物はできんと言ってるだろう、小娘!」
「ですからッ、そちらの余計な工程は社長の勝手なご希望でしょう、そちらで資金を出すべきでは?」
「父さんも、アンナさんも、いいかげんにしてくださいよ……!」
3人が道端で揉めているところを、苦笑しつつ横切った。
「ふふ、燃えた神殿も見てく? ショーン」
「いいよ。ノア地区はギャリバーだと遠いんだから。予定の時間につかないよ」
「了解っ……と!」
紅葉はギアを1段上げ、エンジンをドッと噴かした。
荒野をつらぬく州街道を、煙をなびかせ、全速力で駆け抜けてく。
秘密の隠し部屋にあったゴブレッティの設計図、タイトル【Noah】。
盗んだのは、ノア出身で【Fsの組織】の一員、雷豹族のラン・ブッシュ。
Noahの設計図は、ノアの大工事に関係している?
大富豪キアーヌシュは、組織の元締めか? それとも——
「謎を解きに、行こう——ノアへ」
今日は3月25日森曜日。
木の芽を鳴らす春風が吹き、森の木々がざわざわと鳴っている。
ルクウィドの森全体が、出立を見守ってくれてる気がした。
そして森の奥では……
「——って感じでな、赤いアザミがどうたらって、呪文を唱えたら、血みてーに真っ赤なトゲの光が、ズババババンって女の体に刺さったんだよ!」
狩人集落のど真ん中、巨大な大樹の幹の下で、若頭のレシーが身振り手振りをまじえて、『魔術師の呪文を目撃した話』を披露していた。
小さな子供らは真似して「ズバババン!」と遊んでいたが……大きくなった者たちは、耳にキノコが生えるほどうんざりしていた。
「もう何十回も聞いたよ、レシー! もういいって」
「そうだそうだ、せめて別の話をしろや!」
周りが文句を囃し立てる中、族長ドンボイだけは、酒の肴にしながら愛息子のハナシに聞き入っていた。
「バッカモン、お前たち! 良い話は何十回聞いてもいいんだぞォ——おおキノコの! お前さんは初めてだろう、我が息子の話を聞くがいい。きのう町から仕入れてきた、とっておきだぞい!」
「へえー……どんなお話ですか? 興味深いな」
行商に来ていたキノコ売りが、キノコの籠を置いて、族長の隣に座った。
「ふっふっふ、聞いて驚くなよ、魔術師のハナシだ」
キノコ売りは、目が覆われた黒い衣から、驚いた口を覗かせた。
その顔が、森で幾度となく呪文を使い、
狩人たちに不審な鳥族だと目撃された張本人だとは、
四輪自動車に踏み荒らされた菌輪だけが知っていた。




