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【星の魔術大綱】 -本格ケモ耳ミステリー冒険小説-  作者: 宝鈴
第39章【Shaver】かみそり(ノアの大富豪の怪異 ①冒険のはじまり編)
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4 元妻です

「僕は病人だ、僕は病人だぞ。病人は寝なきゃ、寝て回復しなきゃ……ぐぅ」

 町長の病室から逃げ出したショーンは、そのまま自室のベッドで眠ってしまった。

 お見舞いがきても、夕飯が来ても、こんこんと眠りつづけ……

 3月24日風曜日、夜9時。

「——ショーン・ターナーさん、起きてくださいな。注射しますね」

「はあ……、ムニャ……勝手にどうぞ」

 土栗鼠族のがっしりした背の高い女性ナースが、右腕を注射し、血液を採取していた。

「ターナーさんは、サウザスご出身だそうですね」

「……え、ええ……」

 やたら話しかけられて、舌をもつれさせながらショーンは応えた。

「ロナルド医師をご存知でしょうか。サウザス病院に勤めている」

「んぁ? あー、はい……何度かお見掛けしたことが……」

「——わたくしの夫です。元が付きますが」


 ショーンは完全に覚醒した。

 木工所内に住んでる、ロナルド医師の元奥さんだ。

 数日前に、州警察のラルク刑事が調査していた。


『ロナルド医師の……元? 離婚してたんですか』

『3年前にね、元妻と娘は木工所で暮らしている。もし見かけても接触しないで欲しい』

 ショーンは目を大きく見開き、上体をあげ、看護師の姿を視界に入れた。

 彼女の大柄な体躯と長い睫毛、ハシバミ色の肌は、ロナルド医師とよく似ている。


「元夫ロナルドと、エミリオ・コスタンティーノについて、アルバ様は何かご存知でらっしゃいますか?」


挿絵(By みてみん)


 ここ2日間、深夜でも慌ただしかった木工所の病院は、時おりコツコツとスタッフが通り過ぎる以外、シンとした夜の静寂を取り戻していた。

「ロナルド医師のつ……っ、か、看護師の方だったんですね」

「わたくしのことでしょうか」

「ええ、あの、離婚した奥さんと娘さんがいるとは……風の噂で」

「フッ……まさかアルバ様に知られているとは、お恥ずかしい限りです」

 彼女は太い眉と唇をゆがめ、長いまつ毛の影を落とした。

 ラルク刑事には『接触するな』と言われていたが、まさか相手の方から接触してくるとは……

(どうしよう……無下にするわけにもいかないぞ)

「わたくし、名はデヴォラ・カルバーロと申します。娘はイザベラ、7歳です。ロナルド・メンデスとはお互い研修時代に出会いました。10年前に結婚しましたが、3年前に離婚しまして——」

「は、はい……」

 こうしてショーンは、ロナルド医師の元妻デヴォラと関係を持ってしまった。



 3月24日風曜日、夜の9時15分。

 紅葉は宿屋『カルカジオ』に一時帰宅しており、ヴィーナス町長もエミリア刑事も、ショーンの治癒呪文の光を浴びながら深い眠りについている。

 話し合いの前に「ここで長話していいんですか?」とショーンが尋ねると、「大丈夫な時間にきました」と、看護師デヴォラは抜かりなく答えた。

「ショーン様。あの人——ロナルドは、エミリオと一緒にファンロン州に逃げたそうですね。お心当たりはありますか? 例えば逃走先を、呪文で調べられるとか」

 またこの依頼が来てしまった。どうして先人の偉大な魔術師たちは、人探しの呪文を開発してくれなかったんだろう。

「そうですね……潜伏先がすぐ分かるような呪文はありません。まずは地道に調査して、ある程度アタリをつけないと。僕もこの一週間トレモロにいたので、詳細は知らないんです。心当たりについては……おそらくデヴォラさんの方がお詳しいと思いますよ」

 ショーンは、言葉と情報を選びつつ、慎重に答えていった。

(ファンロン州……戴泉明のことを伝えるわけにはいかない。彼を追ってるマドカのことも……!)

 元妻デヴォラが味方だという保証はない。まだ元夫と繋がっている可能性もある。ショーンはベッドの中で、迂闊に口を滑らせないよう太ももをつねった。


「心当たり……ええ……あります。1つだけですが」

 デヴォラは一瞬、苦くくもった顔を見せたものの、すぐに白い看護衣の肩を上げ、まっすぐな瞳を光らせた。

「じつは、新婚旅行でファンロン州へ参りましたの。ファンロンの州都ロンウェイと、お茶の産地バッコウ山へ。5日間のツアー旅でしたわ」

「——なんですって! それは警察には伝えましたか?」

「ええ、もちろん。ロナルドもわたくしも、それが初めてのファンロン州でした。コンベイ街の旅行会社に任せきりでしたので、土地勘はあるかどうか……結婚後は一度も再訪していませんわ」

 元妻デヴォラは、淡々と新情報を与えてくれた。

 州都ロンウェイ、バッコウ山……と脳内にメモ書きする。

「えーと、つまりロナルド医師は、ファンロン州に一回旅行したことがあるけど、土地に詳しくはないんですね。行きつけの店があったり、知り合いが居るわけでは無いと……」

「ええ、そういう事です。……離婚後のことは分かりかねますが」

 看護師デヴォラは睫毛を伏せ、声には出さずに、長い息を吐いた。

 『バッコウ山』は、ショーンも名前だけ知っている。緑山茶や菊水茶など、お気に入りの茶が産まれたところだ。そろそろお茶が欲しくなってきたが、何となく看護師相手に言い出せず、渇いた喉のまま話し合いを続けた。



「デヴォラさん、犯人のエミリオについてはご存知でしたか? 会ったことは?」

「会った——というよりも、何度かお見掛けしたことはありますわ。役場前の広場などで、町長が演説したりするでしょう。コスタンティーノ六兄弟は、わたくしのような地区外出身のものでも知っております、目立ってましたから……」

 壇上に向かって兄弟愛を叫ぶ、騒がしい彼らの姿が、2人の脳裏に思い出された。

「なるほど、直接会話はしたことはないと」

「はい。わたくし……そもそも、夫とエミリオの関係について知らなかったのです。逃亡騒ぎのあとに新聞記事で初めて知りましたの。子供の頃に親友だったそうですね。学年が違うのに一番の仲良しだったとか。……結婚当時はエミリオのエの字も聞いたことありません。もちろん『婚礼縁典』にも、いませんでしたわ」

 デヴォラは唇を噛み、右腕を押さえた。

 彼ら——ロナルドとエミリオの関係が、少しずつ紐解かれていく。


「つまり彼らは、子供のとき親友だったけど、成長するにつれて不仲になった可能性が高い……。デヴォラさんは、エミリオが車椅子になったこともご存知でなかったんですね?」

「いえ! わたくしは当時サウザス病院で働いていましたのよ。エミリオが運ばれてきた時のことは覚えております。わたくしもロナルドも、彼の担当では無かったのですが。世間には公表されず、警察も動かず……町長は責任を問われませんでしたわね」

「——そっか、そういう繋がりが……!」

 エミリオが車椅子になった時はまだ、離婚してなかったということだ。

「あの年で下半身不随はたいへんお辛かったことでしょう。事故当時、エミリオはすぐにクレイトの病院に転院していきました。でも結局治っていたのですよね……? 今月起きたサウザス事件で、彼が『歩いていた』と聞きました。現代医学ではあり得ません。治したのはアルバ様のお力でしょうか?」

 こんなにも、エミリオについて深く突っこんで話すのは初めてかもしれない。

 考えてみれば、彼も謎多き人物だ。

「……う、確かに歩いていたようです。彼は新聞記者のアーサー・フェルジナンドに手をかけ、アーサーの自宅に火をつけました。脊髄損傷を治せるかどうかは——僕の手にはあまります。少なくとも【星の魔術大綱】にはそのような呪文は載ってませんし、魔術学校でも習わないです。帝都にいるような医療専門のスーアルバであれば、あるいは……」

 こう説明していると、自分がいかに新米であるかを思い知らされ、恥ずかしくなってきたが、

「そうなのですね、分かりましたわ」

 と、デヴォラ看護師は素直に納得してくれた。



「あの……失礼ですが、離婚理由をお聞きしてもよろしいでしょうか?」

 これは一番聞きにくかった質問だったが、これが一番聞きたかった疑問だった。もしかしたら、ロナルド医師の重要な秘密を知れるかもしれない。

「大丈夫ですわ、お答えできます。ロナルドが荒れに荒れた時期があったのです。毎晩酒を飲み、葉っぱを噛み、怒鳴り散らして物にあたり——ちょうど3年前の春。今の時期ですわ」

「3年前の3月……って、エミリオが怪我をした時期じゃないですか!」

 エミリオ・コスタンティーノが、オーガスタス町長に腰を砕かれ歩けなくなったのも3年前だ。皇歴4567年3月7日の春。


「ええ。ちょうどエミリオが事故に遭ってから、あの人の様子がおかしくなりました」


 デヴォラが暗い新月の夜のような声で告げた。ハシバミ色の肌に、長いまつ毛の影が落ちる。ショーンは思わず身じろぎ、どんな言葉をかけるべきか分からず呻いた。

「そ、れは、えっと……!」

「もっとも、それだけが原因だとは思ってません。我々はもともと、夫婦として上手くいってなかったんですの。娘がいるからと騙しだましの関係でしたわ。加えてロナルドが荒れた結果——その年の秋に離婚し、わたくしは娘を連れて故郷のトレモロに帰りました。あの人は自分の娘に執着もなく……あれから数回しか会っていません」

「そ、そうでしたか、娘さんとも……」

 なぜか、ふとオリバー設計士と、娘アンナの顔が浮かんでしまった。彼らはこれから親子としてやっていくのだろうか。


「今はわたくしにも新しい夫がおります。木工職人ですわ。娘イザベラとも仲良くしてくれています。それで少し分かったことが——今までの違和感が」

「違和感?」

「ええ、お恥ずかしながら、性的な嗜好にかかわることです。警察には言えませんでした、怖くて……でも誰かに言わなきゃと……お優しそうなアルバ様になら、やっと告白できそうです」

「…………ッ」

 デヴォラ看護師は、涙を流す寸前だった。

 ショーンの猿の尻尾がピンと立つ。喉がからからに渇いていた。

 本来ならきっと、神官長の役割なんだろう。

 ショーンは、アルバという地位の重さを今までになく実感し、彼女の告白をきちんと受け止める覚悟をもった。


「わたくしは男性との関係をもったのが、ロナルドと今の夫の2人だけですの。ですので、今の夫と会うまで分かりませんでした。いえ、何となく気づいてはいたのです。気づかないフリをしていました。ロナルド——おそらく彼は……」

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