1 残ったクエスト
【Shaver】かみそり
[意味]
・かみそり、シェーバー、剃るための道具、理髪師
・(古語)男子の子供、坊や、ガキ
・(古語)詐欺師、高利貸し
[補足]
古英語「scafan (表面をこすりとる)」に由来する。「shave」は、主にヒゲや体毛を剃ることを表す動詞だが、木にかんなをかける、肉を薄切りにするといった意味にも使われる。肉をそぐように借り手の財産を削りとることから、高利貸しの暗喩にもなった。シェークスピアの戯曲『ヴェニスの商人』には、「期限までに金を返さなければ、借金のかたに自分の肉を1ポンド切り取るよう」要求した、高利貸しシャイロックが登場する。
その朝は、甘いあまいホットケーキの匂いで目が覚めた。
フラフラと階段を下り、下宿のキッチンに着くと……母シャーリーと女将ルチアーナが、パンケーキを焼きながら楽しくお喋りしていた。
「あら、おはよう!」
「おはよう、ショーン。寝ぼすけさんね♪」
出来立てのパンケーキが宙を舞い、次々と皿に盛られていく。
「ショーン見てみて、夢みたい!」
紅葉も両手にフォークを持ち、大皿の前で待っていた。30枚はあるだろうか。上からたっぷりと蜂蜜をかけて、ナイフをいれる。香ばしい茶色と黄色の断層があらわれて、まるで夢のような——
「ンダとコラアアアーーーーーーー!!」
「あらやだ、相手になるわよ、坊や。かかってきな!」
「——何っ!?」
突然の絶叫で、ショーンはパンケーキを食い損ねた。
病院の天井に白ベッド、体はあちこち強張り痛む。
そして目の前には驚くべき人物が2名——
狩人集団の若頭レシーと、木炭職人の女性族長キキーラが、雁首を突きだし喧嘩をしていた。
3月24日風曜日、朝9時。
トレモロ到来8日目の朝がはじまった。
「な……レシーとキキーラ、なんでこんな所に……?」
森の民である彼らは、てっきり森から出ることは無いと思っていた。ましてや一緒に行動してるだなんて……
「うるせえっ、別に仲良く一緒に来たわけじゃねー、たまたま出くわしただけだッ!」
「はァ〜っ。森を降りて、木工所のムショにいったらなぜか居たのよ、このレシー坊やが。どっちも目当てはアナタだっていうじゃない。テオドールの坊ちゃまに案内させたの」
げっそりした社長令息テオドールが、ショーンの病室ドアから顔を覗かせていた。彼の苦労がしのばれる。
「オレらだけじゃねー、本当は木こりの族長ジャノイもいたんだ! 途中で酸ソ過多ぁ? になって帰っちまったけどなッ!」
「キヌチェクがどうのこうの言ってたの。爺さんすら熱をあげるのね、あのドスケベモデル」
「へー……。キヌチェクの雑誌なら病院の売店でも売ってますよ。精力増強のために」
「ドミーなんて持ってないわよ。あんたが買っといて、魔術師サン?」
木炭職人キキーラは、自身が被っている熊の剥製 (アブクマくんというらしい)の片手を振った。
ショーンはようやく事の次第が見えてきて、眠気覚ましに首を振った。
彼女、キキーラのほうは大きな半紙の束を抱えており、ここへ来た理由も何となくピンときていたが……狩人レシーが来た理由が、よく分からない。
「レシーは何の用でここに?——まさか、不審な人物でも見つかったのか?」
「よっくぞ聞いてくれましたァ! おいテメー、モノホンの魔術師だそうだな! 魔術を見せてくれるってハナシはどーなったんだよ、父ちゃんとの約束だったろうがい」
「え? あ、ああ……確かに約束したけど」
「ッたく、そんなチンケな約束どうでもいいのよ。こっちの要件の方が重要よ、鼻たれボーヤ」
「ハァ!? んだとババア! オレたちのが、先にコイツと約束したっつってん……」
また喧嘩が勃発しそうだったので、「うわーっ‼︎」と叫んでショーンは呪文を唱えた。
【整うオヒゲは紳士のたしなみ! 《シェイビン・ベイキン》】
ぼわわん! とバイオレット色の煙がショーンの顔周囲に立ちこめ、若干伸びてきた無精ヒゲを、綺麗サッパリ消失させた。
マダム・ミッキーの家事呪文のひとつ、髭剃り呪文 《シェイビン・ベイキン》。
ショーンのように全剃りすることも可能だし、マナの数値を調整すれば、どんな形のヒゲにも整えられる。もちろん腕毛や脛毛だって剃れてしまう。
「ふざけんな! ただのヒゲソリじゃあねーか。もっとデケーやつくれ、デケーやつ!」
「うるさーい! 文句言うな! これが【星の魔術大綱】に収録されてる呪文のなかで、最も使用頻度の高い呪文なんだよ、アルバがいっちばん愛用している呪文なんだぞ!」
呪術家マダム・ミッキー。
約300年前に活躍した桃白豚族の女性だ。独学で呪文と魔術をまなび、40代でアルバになった異色の呪術家である。
庶民の出で、屋敷の料理人であった彼女は、雇い主が好奇心から購入し、飽きて処分寸前だった【星の魔術大綱】を拾ったことで、人生が激変した。料理のレシピを習得するかのように、呪文を己の体の染み込ませ、魔術学校に入学せずとも、アルバの試験に合格したのである。
妻であり母親でもあったマダム・ミッキーは、得意の家事を生かした呪文を次々と考案してみせた——が、当時の学会では猛反発を喰らっていた。『呪文とは、崇高で高尚で学術的であらねばならない』という風潮と信念が、宮廷内に蔓延していたせいである。
しかし、時の編纂者メイラード・エクセルシアは反発を押し切り、彼女の家事呪文を【星の魔術大綱】に多数収録させた。第124版、その数37。同一作者でこれほど多くの呪文が収録されたのは、最初の編纂者であり呪術家アディーレ・エクセルシア以来の快挙であった。
この決定には多数のアルバが噴飯し、魔術大全書【星の魔術大綱】刊行始まって以来の愚行だと、焚書騒ぎまで起きてしまった。当人たるマダム・ミッキーはたいそう心を痛め、アルバを辞めようとまでしていたが、編纂者メイラードは信念をもって彼女を支えた。
『あなたの呪文は、民族を人間たらしめる生活の根幹を支える呪文よ。必ずや、アルバが一番使う呪文になるわ』
かくして数百年の時が経ち、マダム・ミッキーの家事呪文は、多くのアルバが毎日かかさず使用する呪文になったのである。
「——っていう、歴史ぶかーい経緯があってだね、」
「んなん知るかーーーっ、もっとデケェの見せろ! デケェのをよーーーーう!」
狩人レシーは納得できずに、カミソリのようにキレて騒いだ。見かねた看護師たち (巨漢の水豚族3名)に腕を掴まれ、どこかに連れてかれてしまった。
「ふっ、コバエが去ったわね」
木炭職人の女性族長キキーラが、190㎝はある巨躯を揺らして、その場に残った。
「キキーラさんはなぜここに? もう他の集落から情報が集まったんでしょうか」
彼らには、ルクウィドの森に棲んでいる他の木炭職人の集落から、『木の葉の仮面の男』について情報を収集してもらえるよう、約束を取り付けている。頼んだのは3日前の火曜日だから、さすがに早すぎる気がするが……
「まさか! うちのバニークが、『あんたが死んじゃう前に早めに渡せ』ってうるさくてね、アイツは春の嘗奉祭の準備で忙しいから、わたしが来たってワケ」
キキーラは巨大な長方形の藁半紙を、ショーンのベッドの上に、シーツのように広げて置いた。男性族長バニークの、大らかで流麗な墨の筆致で書かれたそれは——ルクウィドの広大な森と集落の地図だった。
「わ、もしかして全ての木炭集落の地図ですか、ありがたい!」
「あくまで今年かぎりの地図よ。どの集落も移動している。10年単位だからそう簡単には動かないけどね。……ただ1つ、見つかってない場所があるのよ」
集落数は全部で16とのことだった。地図上には15の丸点しかない。
「かなり前から、グレキス近郊にいるはずの集落と連絡が取れないの。ラヴァ州でもっとも西に棲んでいる……ルオーヌ州との狭間にいるといってもいいわ。族長の名前はサルーカ」
「——グレキス?」
ラヴァ州最西端、グレキス地区。
州都クレイトの西隣であり、サウザスの太鼓の生産地であり、ショーンの両親の出身地でもある。サウザスのすぐ隣であるトレモロ地区よりも、グレキスのほうがショーンにとっては馴染み深い。
「あっちの森は結構、ルオーヌ州の環境に近いですよね。高低差があって密林もある……」
「さあね、あんなトコまで行ったことないから知らないわよ。とにかく、近くへ寄る機会があったら調査して欲しいの。冒険してるんでしょう、魔術師サン?」
「分かりました」
なぜだろう……
今までのトレモロ騒動と違って、不思議と頼まれごとが嫌じゃなかった。
むしろ次々とピースが手に入り、組織の謎を解いていってるような、そんな感覚だ。
「こっちは情報が入りしだい、『レイクウッド社』のテオドール坊ちゃんに渡しておくわ。そんじゃ、お大事に」
キキーラは、頭上に被っている熊の剥製・アブクマくんの片手をフリフリさせて、去っていった。




