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6 22年後、アルバ様が来るまでは

 3月24日水曜日、時刻は深夜2時14分。

「グゥーー……」

「すぅー」

「……んにゃあ゙ああ」

 病院のベンチで、マチルダ、ナッティ、テオドールらは、無造作にまるめたセーターのようにぐちゃっと寝ていた。

「…………っ」

 コツコツと時おりスタッフが通る以外、静かになった病院で、オリバー設計士はそっとヴィーナスの病室へ入った。鍵がかかってる訳でも、面会謝絶でもないのに緊張する。こんなに息を潜めたのは、22年前、ゴブレッティ邸から逃走したとき以来だろうか。

 うすい萌黄色の病室で、両脚を怪我し、治療を受けたヴィーナスが——陶器の人形のような顔で眠っていた。

「…………うつくしい……」

 喋るつもりのない言葉を声に出してしまい、慌てて口を塞ぎ、勢いあまって点滴台にガシャンとぶつけてしまった。

「……ん?」

 ヴィーナスは眉をひそめて、長い睫毛と大きな目蓋を動かした。歪んだ顔も美しかった。


「……あ、ーあなた、ねえ……ほら、アレでしょ」

「…………は、はい……」

 もしヴィーナスが元気な時に聞かれてたら、また逃げ出していたかもしれない。しかし、痛みで苦しみ、夢うつつな様子の彼女に、背中を向けることはできなかった。

「あなた、ロイなの?……ロイ・ゴブレッティよ、知ってるでしょ……本人なの?」

「は、はい……」

「オリバー・ガッセル、分家の人じゃなかったの?……親戚の名前を借りてたというの?」

「そ、そうです」

 真相はまだ言えなかったが、今できる精一杯の返答をした。

「嘘でしょう……帽子をとってちゃんと顔を見せなさい。ヒゲも剃って!」

 だんだん起きてきたヴィーナスは、どんどん機嫌の悪い声を出していく。怒った顔も可愛かった。

 ぼくは泣きそうな顔で彼女に近づくと、(さすがにヒゲはすぐには剃れなかった。)両頬をガツッと掴まれた。

「親戚だから似てる訳じゃなかったのね? 本人なのね?」

「はい……」

「何てことなの! じゃあ、あのシチュー皿と一緒に死んでたのは誰? アルバート君は知ってるの?」

「あれは……双子の弟です。名前はツァリー……。アルバート社長は知らないはずです……ぼくをガッセル家の人間だと思っています……」

「ふたご?——貴方も双子だったというの? あたくしはずっと知らなかったわ、なんでそれを隠してたの、知ってることを全部吐きなさい! 全部よ、全部!!」

 ぼくはついに観念して、今までの自分史を語り始めた。(彼女よりこちらのほうが病人のような顔をしていた。)ヴィーナスは怒った表情のままだったけど、ずっと手を握ってくれてて、その体温が嬉しかった。

「——……そうして、ガッセル家に逃げて暮らしていた。君が町長として奮闘している間も、ひっそりと隠れて過ごしてたんだ。そう……22年後、アルバ様が来るまでは——」


 

 1週間ほど前の風曜日、サウザスのアルバ、ショーン・ターナーが挨拶しに来た。手土産の飴玉を断ってしまい、エミリアに舌打ちされた。

 数日後の銀曜日、彼が自分の私生活をあれこれ質問してきた。翌火曜日の晩、アンナに自室を突撃され、「あなたが父親なのか」と聞かれてしまった。

 次の日の地曜日、ショーンに土産の詫びを入れるべく、菓子屋『グッドテイル』に行ったら、再びアンナと出会い詰問された。

 さらに、昔のメイドであるライラックに、自分がロイ・ゴブレッティだと気づかれてしまい、また木工所の新人マチルダに、『失望の部屋』の存在が暴かれてしまった。

 その後、ショーンの部下である紅葉に、トレモロ図書館まで連れて来られ、みんなで地下倉庫をこじ開けて入室した。

 そこで先祖の『設計図』に邂逅し、図書館内の隠し部屋を見つけ出した。

 最後に、神殿の火事が起き、ヴィーナスを救出した——



「……そう、そうなのね………だいたい流れは分かったわ。アンナは……よく見抜いたこと。あの子にもちゃんと町長の素質があったのね。……あたくしは……ぜんぜん気づかなかった…………」

 ヴィーナスは俯いて、自分の骨折した脚を見つめた。長い睫毛と乳に影が落ちる。まとめていた髪を下ろし、化粧がとれた顔は、一瞬疲れた43歳の女に見えたが——

「それでどうするの? あなた、これからロイ・ゴブレッティとして生きていくの?」

 彼女はすぐにトレモロ町長の顔に戻し、キビキビと質問した。

「あ、ああ、うん……木工所の子たちに知られてしまったし、正体を隠すのは難しいと思う……」

「あらそう。もうゴブレッティの屋敷もないし、別の家族が入ろうとしてるわよ。あそこの土地には戻れないわ」

「い、家は別にいいんだ……小さなアパートでも、どこででも……」

「ゴブレッティ家が生存してると知ったら町中が大騒ぎになる。行事にも参加してもらうわよ、壇上でスピーチするの。あなた、白状する覚悟はできてる?」

「え……そ、それは」

 これから起こるであろう現実の処理に、顔面を白くして口をパクパクしてると、

「待って——ごめんなさい、いま聞く場面じゃ無かったわね」

 なぜか、先にヴィーナスに謝られた。

「いつもこうなのよ。人の気持ちを考えられないの。あたくしのダメなところね」

 深海くらい深くため息をつき、真珠のような大粒の涙を流している。

「いっ、良いんだ……!……君のそういうところが好きだ。凛とした雨のごとき気性も、涼やかな鐘のように明朗な声も……たとえ人の心を解するのが難しくとも、君が宿している魂の響きは迷うことなく民を導く、素晴らしい力だ! ヴィーナス、愛してる……!」

 彼女はぼくの両手を握りながら、ひとときの嬉しさと、長きに渡る寂しさがないまぜになったような顔をし、肩で笑った。

「ふ……久々に聞いたわ。それ」



「うーん、むにゃ……ああ、いけませんわ、お父さま……それはお母さまの木像ですのよ……」

 事後処理に追われたアンナは、妙な夢を見ながら、役場の机につっぷし眠っている。

「…………っ……」

 手術を終えたエミリアは、麻酔が切れた痛みを感じながらも、それ以上に胸に湧き出る感情によって苦しみながら、静かに病室の天井を見つめていた。

「——マズイことになったぜ、あの子がしくじったよ」

 エミリアの自宅アパート『マリワナナ』の管理人ジェラジョーが、ひっそりとした管理室から、誰かに電信をかけていた。

『知ってるぅ〜。神殿に穴をあけただけだね☆』

『さっさとトレモロから出なよ、オメーも。警備が厳しくなるのは必至だ』

『ふふふ、おっけー。コリリン★とも接触できたし、もうこんな辺境の町に用はないね』

『チッ……その身も毛もよだつ仇名やめろや。あのジジイのこと可愛くいうの、オメーだけだよ——ラン・ブッシュ』

 雷豹族のラン・ブッシュは、顔全体を引き裂くような長い唇でニィーッと笑って、長くしなやかな尻尾を振った。ジェラジョーとの電信を切り、夜の闇に消えて行った。



「おっと、いけない。忘れてた!」

 スズメ柄の茶器をひっくり返しそうになりながら、フランシスは子犬よりも小さな鞄をゴソゴソと漁り始めた。

「……いったい何ですか?」

 ショーンはちびちびと椿広茶のご相伴にあずかっている。

「良いものだ」

 フランシスはクククッと笑って、とある小箱を差し出した。

「さ、受け取りたまえ。ショーン・ターナー。名刺が欲しいと言ってただろう。これが君の名刺がわりさ、裏に刻印が入ってる」

 ショーンはきらきら輝く緋色の小箱をのぞき込み……息をこぼして感嘆し、真鍮眼鏡を光らせた。


 それは、夜空に光り輝く一等星を表している。

 茫漠たる大地のなか、煌めく星を見上げて己の位置を確かめ、

 いかなる困難が訪れようとも、暗闇に瞬く明星となり民を助ける。


 ショーン・ターナー専用の、【帝国調査隊】のバッジが煌めいていた。


挿絵(By みてみん)



 38章 トレモロ編終了

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