4 助けなきゃ
「火事よー! 火事が起きたわよ! まだ誰か残っているかしら!?」
「ヴィーナス町長、貴女も早く出てくださいまし!」
「大丈夫、あたくしは一番後に出るわ! 脚には自信があるの…ッ」
ヴィーナスは、自分のドレスを果物ナイフで破り、フリル部分を投げ捨てた。神殿の各部屋を開け、人が居ないか確認していく。
「火事よー!! みんな近くの窓から逃げて!」
さすがに火元と思われる上階には行かなかったが、1階と地下を駆けまわり、祈祷で籠もっていた神官や、寝ていた守衛を叩き起こして、脱出させることができた。
時刻は夜7時10分が過ぎる頃。
ヴィーナスはこの時点で、体にも足にもかなり疲労が蓄積していたが、心と脳みそは興奮し、不調に気づいていなかった。
「この部屋で最後——よし、誰も居ないわね!」
レンガ製の神殿は、火の回りがだいぶ遅い。なので少し油断していた。
「あたくしも出なきゃ……」
——その時、謎の激音が地面を襲った。
アルバ統括長・フランシスが、小型爆弾呪文 《アリウム・セーパ》を放ったのだ。
「やだ、崩れた……っ……!?」
地面の震動によりヒールが折れ、右足首を異常にひねってしまった。
「…………嘘っ」
ヴィーナスの体は地面に倒れ、左膝が割れ、二度と起き上がることがなかった。
天井に穴が開いた神殿は、あちこちで軋み、ヒビが入り、ついに1階にまで火が到達した。
「ヴィーーーナスッ!」
ヴィーナスの不在を知ったロイ・ゴブレッティは、すぐに駆け出し、神殿内に突撃していった。
「お父さまっ、行かな——いえ、ご無事でぇーーっ!!」
片手を伸ばして止めようとしたアンナが、すぐに両手を頬にあてて叫んだ。
フランシスは人差し指を額にあて、ロイの背中にむかって鋭く呪文を唱えた。
【雨が地上を潤すか、川が地上を潤すか。 《サド・エル・カファラ》】
放水呪文 《サド・エル・カファラ》による鉄砲水が掛けられ、全身がぐっしょり濡れたロイは、自身が濡れた自覚もほとんどなく、ただ愛する人を叫び続けた。
「ヴィーーーナス! どこだ、ヴィーナスッ!!」
瞳には、22年前にみた光景——双子の弟が倒れ、死んでいる様子が目に浮かぶ。
(助けなければ、今度こそ、助けなければ……!)
煙と火で目がつぶれ、肺がつぶれそうになった。
(今までぼくが生きて来た意味がない……!!)
「ヴィーナス!」
神殿の広間に到着した。
そこには【森の神 ミフォ・エスタ】と【地の神 マルク・コエン】の巨大なご神体が祭壇の東西に立ち、町を見守りくださっている。
「……ここ……っゲッホ、ゴホ!」
今やご神体はどちらも斜めに傾き、天井近くで交差していた。ちょうどその下の地面に、ヴィーナスが倒れていた。
「ヴィーナス! ケガしてるのかい!?」
ロイはすばやく自分の濡れたパーカーを脱ぎ、彼女に着せて、考える余裕もなく全身を抱き上げた。
「あな……フ、ゴホ、カッ……!」
「——もう喋っちゃダメだ! 口を濡らして!」
煙はこれ以上なく充満していた。すでに大量に吸っていたヴィーナスは、もはや咳すら出ないほど肺が枯れていた。
(……この方は……設計士の……オリバー・ガッセル……?)
猛火が、2人に飛び移らんばかりに襲い掛かってきたが、ロイは歯を食いしばって駆けぬけた。
ヴィーナスは濡れた袖で口をふさいだ。水分とともに、彼の袖の香りを吸い込む。
(…………ちが……ん……この人…は……)
朦朧とした意識がかすれ、ヴィーナスは清福な心地のまま気を失っていった。
「大丈夫、外まであと少しだ……っ!」
消火隊が到着して活動を始めている。彼らに誘導されて飛び出した。
ロイは、愛しいヴィーナスと、過去の自分たちまで救った気がした。
3月22日地曜日、時刻は夜11時50分。
レイクウッド社の敷地内にある、トレモロで一番大きい病院は、夜のしじまの中、刻々と動いていた。
マチルダは、疲れきって廊下のベンチで口をあけて眠っている。
テオドールは、父親であるアルバート社長や幹部らと、トランシーバーで連絡をとっていた。
病院の外では、警察のギャリバーが何台も敷地へ乗り込み、サウザスの元駅長・コリン探しに明け暮れている。
アンナは、まだ役場にいて、神殿火災の後処理に追われていた。
ロイは、処置の終わったヴィーナスの病室に入ろうとしていたが——秘書ナッティに拒否され、押し問答し——わあわあ騒いだせいで、両者とも看護師から叱られていた。
紅葉は、ショーンの病室でジッと待っていた。
外の喧騒も近くの喧嘩も、何も耳に入らず、ただショーンの無事を待っていた。
もうすぐ日付が変わる。壁にある時計をふと見た。
「…………あ」
ベッドから声がして、パッとまたショーンの方を向いた。
彼の目がかすかに開き、口もわずかに震えている。
神殿の火事でできた全身の皮膚の赤みは、既にかなり引いていたが、まだ少しだけ残っていた。
「ショーン、体は大丈夫?」
「……ここは………デズの……胸元?」
「ううん、違うよ。まだトレモロだよ」
紅葉はふふ、と笑った。つられて笑みを浮かべたショーンは、引きつる痛みで悶えそうになったが、……なんとか我慢し、
「生きててよかった」と笑い返した。
日付が変わる。町の空気も変わった気がした。
3月23日水曜日、夜0時になった。
紅葉は安堵して、病室内のベンチで眠ってしまった。
「ってて……痛ってぇ~」
ショーンももう一度眠りたかったが、痛みがザクザク体を刺して寝られなかった。
「はぁ……痛ッ!」
自分自身で治癒呪文を掛けようとしたが、マナの集中がもたず、脳内ですべき計算式もまとまらず……5回ほど失敗して、唱えるのを諦めた。
「……もぉやだ……」
エミリアはどうしているだろう。まだ治療中だろうか。彼女が『設計図』の盗難犯だということは、まだ誰にも伝えてない。ショーンを焼き殺そうとした事実も……
(はやく、エミリアの件を警察に伝えなきゃ)
(ヴィーナス町長が知ると思うと心苦しいな……)
(待てよ、【Fsの組織】について馬鹿正直に言うわけもいかないぞ)
(ぼくが黙っていれば、彼女は罪を逃れるだろうか?)
(そうだ! 逆に組織のスパイとして利用していく手もある!)
(クソッ——これからどうすべきか……)
「——やあ、生還おめでとう、同じ【東屋になりし者】よ」
アルバ統括長にしてショーンの上司、フランシス・エクセルシアが、古代エジプト風のすらりとしたフラッパードレスを纏い、病室に足を踏み入れた。




