3 円環にいる子羊よ、助かりたくば聖杯となれ
「なんでよ……どうしてこんな事に……!」
エミリアは、気絶中のショーンを抱えて絶望し、サウナ室で立ち往生していた。
どうしてこんな事になったのか解説しよう。
ショーンがサウナ室に放った小型爆弾呪文 《アリウム・セーパ》は、玉ねぎの花を模した、トゲトゲの小球体の衝撃波を放つ爆弾呪文だ。
彼が壁に3発ドカドカ撃った結果、本来の目的である『サウナ室からの脱出』は果たせなかったが、別の問題を引き起こしていた。
持ち主ボラリスファスを失い、ただでさえ老朽化していたサウナ室の、機関部のパイプにヒビを入れ、熱と蒸気を外部に噴出させ——神殿内に、火を点けてしまっていたのだ。
神殿内部はしだいに燃え広がり、カーテンに絨毯、イシュマシュクルの秘蔵の本を焼き始め、中心地たるサウナ室も、ヒーターが壊れ、本来の室温を超えて暴走しており、タイル壁が火かき棒ぐらいに熱されていた。
エミリアは入り口のタイルをガリガリ引っかき、右肩でドンドン壁を押したりした。彼女の白い皮膚は、すっかり黒く焼け爛れて、赤い血が滲んでいたが、恐怖と焦燥で気づいてなかった。
「……ハァ、ハァ、ハッ……」
死 という文字が頭の中で点滅している。
最期のあがきで壁に激突し、白い壁を赤く染めた。
意識を失い、ショーンとともにデズ神の元へと旅立つ瞬間——辺りに白い閃光が走った。
【真実は可視光線の外側にもある。 《セラ・カルダリア》】
フランシス・エクセルシアは、周囲の騒音に耳を貸すことなく、静かに呪文を打った。
「ふむ……南の煙突直下……超高温……あそこが熱源か。まずい…2つの人影が見えるぞ…」
熱探知呪文 《セラ・カルダリア》。
古代ローマにおける温浴風呂から名づけられた、熱検知を可能にする呪文だ。フランシスの真鍮眼鏡に、虹色のサーモグラフィーが浮かびあがる。
「神殿内部のほかの人間は全員1階か……みな入り口に向かってる……逃げきれそうだな」
救出先を確認したフランシスは、両手を横に伸ばしてフォン……と振り、両人差し指で円を描いた。
【円環にいる子羊よ、助かりたくば聖杯となれ。 《アムニオン》】
フランシスは神殿の分厚い壁越しに、羊膜呪文 《アムニオン》をかけた。2人を包みこむ薄い透明な球体の羊膜は、すべての痛みと苦しみから彼らを解放させた。
「諸君、しばし耳を閉じたまえ——!」
フランシスはアンナ達に鋭く叫び、ショーンが30分前に放ったものより、遥かに強力な——
【その玉は王の眼球になった! 《アリウム・セーパ》】
小型爆弾呪文 《アリウム・セーパ》を解き放った。
ズゴオオオオオオオオッ
地から這い出し、天をうがつ、蛇のような鋭い激音が神殿に響いた。
「ヒィイイイイイイッ、小生の神殿があああッ、寝室があああ、お宝があああああああッ」
「……っ、地震か!?」
「メェ、メェー!」
地面の震動とイシュマシュクルの悲鳴により、失神中のテオドールとメリーシープはようやく目覚め、地面で手足をバタつかせた。
サウナ室とちょうど同じくらいの大きさで放たれた球体、《アリウム・セーパ》は、サウナ室を木端微塵に吹き飛ばした。
「ヒャアアアアア! 小生の神殿がァーーー‼︎」
玉ねぎの芽がグンと首部から伸びるように、衝撃波はまっすぐ上方へ向かい、その勢いは天井のレンガをぶち壊し、煙突を引き裂き、光り輝く透明な球体——羊膜呪文 《アムニオン》によって守られた球体を、夜天に飛び出させた。
【迷える羊は杖に引きつけられ道を正す。 《マグネス》】
羊膜はすかさず磁力牽引呪文 《マグネス》で引っぱられ、フランシスの元へ吸い寄せられた!
巨大な魚卵が跳ねるがごとく、羊膜球体は地面でバウンドし、2人はようやく脱出が叶った。
「きゃあっ、中にショーンさんがっ」
「嘘でしょ——エミリア!」
「む、両者状態が良くないな……治癒呪文は得手ではないが、これで何とかなるだろうか」
赤黒い焼けた肌……特にエミリアの右半分は火傷で焼けつぶれていた。
フランシスは2人を羊膜内に入れたまま、治癒呪文を何種か唱え、淡いアップルグリーン色の光で包みこんだ。
3月22日地曜日、午後7時15分。
「——ショオオオン!」
紅葉が汗だくでようやく到着した。
神殿の火事により人の波がいっきに押し寄せ、予想外に遅れてしまった。木工所の荷台付きギャリバーでは余計にかさばって進まず、何とか人ごみを掻き分けてやってきたのだ。
「おや、君は紅葉くんか、前回の事件では直接会えなかったが——良いものに乗ってるな」
「あ、あなたは……ショーンの上司の……フランシス・エクセルシア様?」
「そのとおり、私だ」
お互いに目線を交わし、一瞬だけ辺りの喧騒が消え、時が止まった。
3週間ほど前、わざわざ州議会堂の四角塔まで登ったのに、ショーンしか謁見できなかった。紅葉はフランシスの顔を知らないままだったが、対面してすぐにピンときた。
「さ、挨拶はもういい。至急この子らを病院へ運びたまえ、治療が必要だ」
フランシスは華奢な指をふって呪文を唱えた。ショーンとエミリアを内包した球体を宙に浮かび上がらせ——プルンとした羊膜の中に入れたまま、ギャリバーの荷台に2人を寝かせた。
「くっ……紅葉さん、木工所に向かってください。この町一番の病院は木工所内にあります!」
まだふらついていたテオドールは、青白い顔で歯を食いしばりつつ、使命感から大声で指示した。
「分かりました、木工所ですね!」
「病院の場所はあたしが案内しますっ」
マチルダは三つ編みを鳴らして飛び乗り、運転席にすわる紅葉の背中にしがみついた。
荷台でぷよぷよ発光している傷病人・ショーンとエミリアをつれて、総勢4名が、救急隊の速度で病院へ向かった。
「はぁ、……にしても消火隊の到着が遅いな。ディナータイムの最中かね」
「まだ目立つのは煙だけですからねえ、盛大な祈祷中だと思われているニョでは?」
一仕事終えたフランシスは腰に手をあて、白猫のロンゾがにゃごにゃごと髭を震わせた。
「ンメエエ、神殿で火事が起きてるのね。恐ろしい事だわ、ヤドヴィ!」
「イヤだわ、無事で良かったわ、メリーシープ! 図書館に飛び火する前に対策しましょう」
図書館職員の2人は、バタバタと自分たちの職場に戻っていった。
「エミリア……ショーン様も無事かしら、私もすぐ病院に行かなきゃ……ああでも、先に町民の皆さんを誘導しないと! ええと、ええと……」
アンナは焦り、その場でオロオロして回転している。
「ぬぐぅ、こんな大惨事になるなら神官長なんか引き受けるんじゃなかった! 小生は責任なんか取りませんよ!」
イシュマシュクルは自らの保身だけ考え、頭を抱えた。
「……神殿の『隠し部屋』は、たしかに一番南の煙突の下にあったようですね。一体どんな部屋があったんだろう……」
オリバー・ガッセル設計士は、もはや完全に、43歳になるロイ・ゴブレッティの顔をしていた。
ひとまず重大な危機を乗り越え、小休憩モードになった一同だったが……町長秘書ナッティが、火事の野次馬群のなか叫んでいるのが聞こえてきた。
「町ちょー! ヴィーナスちょーちょーはどこデスかあ???」
「——ヴィーナスッ?」
ロイが即座に反応して、振り返った。
「ウソ……お母さま……居ないの?」
神官たちと一緒に、とっくに神殿から出てきたと思っていた。
一同にふたたび緊張と戦慄が走った。
「ヴィーナス町長がまだ中に……!」




