2 みんなでパーティーしましょう
【その玉は王の眼球になった! 《アリウム・セーパ》】
「——くそっ、ダメか!」
ショーンは試しに小型爆弾呪文 《アリウム・セーパ》によって、破壊と脱出を試みた——が、サウナ室の向こう側は、ほとんどピラミッドの深壁らしく、3発場所を変えて打っても、いずれも丸い窪みを作っただけで終わった。
「……どうしよう、どうしよう……!」
ショーンは、もはや名案浮かばず、立ち往生していた。呪文で生み出した冷泉はとっくに熱湯と化し、さらに余計な蒸気を生み出している。
「…どうしよう、どうしよう、ど…………っ」
ざっくり切ってしまった左手のひらから、赤き羊猿族の血がどくどくと流れていたが、止血に気を回す余裕もなく、ぷつりと精神の糸が切れ、立ちながら意識を昏倒させた。
「——っぱ………がぱっ!…ゲポゴポッ」
熱湯に顔ごと落とされた拍子に、今度はエミリアが目を覚ました。
「何よ、このお湯……ちょっとアルバ様、しっかりして!」
自分が彼を殺そうとしていた事実は、悪夢から醒めて忘却したように、エミリアの頭から吹き飛んでいた。
「やだ血が出てる……チッ、左手のひらか、マズイわ……」
縄を使って患部を圧迫し、彼の左手を自分の肩に乗せて、出血部位を心臓の上に持ちあげ、すばやく止血処理をした。エミリアに付いていたショーンの血は、蒸気と汗で流れて薄まっていた。
「さ、早くここから出——っ噓でしょ……出入り口が水で埋まってる……?」
サウナ室に隠された入り口は、腰よりも低い位置にあり、大人が座って出入りできる程度の大きさしかない。四角いタイルに扮した扉は、今や完全に水で埋まっていた。
「やだ、やだやだやだヤダ!」
意識のないショーンを抱えて、何とか抜け出そうと試みるも……あいにく手前に引くタイプの扉は、水の圧力により頑として動かなかった。タイルの端がツルツルすべって、どうにもならない。
「イヤだ、誰か、だれかだれか……っ、助けてえええーーーーっっ!」
エミリアひとりの力じゃ到底及ばず、脳味噌がゆだりそうになりながら、ショーンを抱え、サウナ室の壁を引っ掻き、右肩でドンドン叩いて、魂の叫びをあげ続けた。
「——もしもし、アンナさん⁉︎」
『あら、ナッティの予備ダイアル……いえ、紅葉さんなの?』
「うん、聞いて。神殿のね、一番南の煙突の下にショーンが居るみたいなの。ひょっとしたら隠し部屋かもしれない。オリバーさんと協力して入り方を調べて!」
『わ、分かったわ、神殿の南の煙突ね!』
秘書ナッティからトランシーバーを貸してもらって助かった。これが無かったら、紅葉ひとりで神殿に突入し、中で迷いに迷っていたかもしれない。
「ハァ、後でこれも買っとかなきゃ……2人で5000ドミーって高すぎ、家が買えちゃうよ」
街灯があるとはいえ慣れない夜道を、木工所のギャリバーで突っ走る。紅葉は運転しながらイライラと口でダイアルを回し、もう1人の人物に掛けた。
「——もしもし、ナッティさん!?」
『おや、紅葉サンですか。んもお~コッチに掛けてこないでくだサイッ。ヴィーナス様は神聖なお清め中でらっしゃい……』
「ナッティさん、今すぐ皆を連れて神殿から離れて! 町長だけじゃない、全員ですっ! 神殿内が火事になってるかもしれないんです!」
『ひぇえええええ!? それホン……』
——ギキキキキーッイ!
ちょうど、道でライラック夫人の子供たちに横切られ、急ブレーキをかけた拍子に通信が切れた。子供たちはワイワイガヤガヤ、地曜日の夜街を闊歩している。
彼らが前を通り過ぎるまで、目指す先にある図書館と神殿の全景をにらみつけた。
「くっ……まずいな。煙がどんどん増えてる」
先ほど数発目撃した、カラフルな呪文の光は、あれから全く見なくなっていた。今はそのぶん3倍ほど煙が増し、一番南の狭い煙突から、ズモモモモと無理やり押し出されるように噴出している。
ナッティには避難の言い訳として伝えた火事だったが、本当に火事が起きてるような煙の勢いだ……
「まずい、ショーン……どうしよ、こっちもまずいよ」
夫人の子供たちは69人全員集合してるのか、背中に青い汗をかく紅葉の前を、わらわらと楽しそうに横切っている。行列は、【海の神 ラム・ラジュラ】が飼っている海蛇スィーパくらい長く長く続いていた。
「まずいまずい、マズイまずいぃっっ……!」
紅葉のギャリバーは、これ以上待ってられず、エンジンを急発進してドリフトをかけ、大集団の後ろをギャギャギャギャ! と鋭くターンして抜き去っていった。
そのとき、夫人の子供たちの最後尾に、たまたま居合わせていた、
背の高い雷豹族がくねらせる、長い尻尾をかすめていったが——
それが胸ポケットに入れたエミリアの写真の、
真ん中に写っていた人物だとは、
もちろん、紅葉は気づかなかった。
3月22日地曜日、午後7時。
ちょうど紅葉から、トランシーバーで連絡を受けたその時間。
アンナたち御一行は、失神中のテオドールとメリーシープを地下倉庫から運び出し、図書館の入り口で救急隊を待っている最中だった。
「ええっ! 次は神殿の隠し部屋ですかあっ。オリバーさん、ご存知で?」
「い、いえ……すみません、神殿も覚えていません」
「しょーがない、また『設計図』の原本、取ってきますよっ!」
マチルダは再び地下倉庫へ戻ろうと駆けだしたが、
「イヤだわ、ケースの鍵がありませんのよ!」
図書館職員ヤドヴィに叫ばれ「そーだった!」と急ブレーキをかけた。
「そっかぁ、まだ鍵ないのか……困ったなあ。あたしの工具でブッ壊していいですかっ?」
「イヤだわ、これ以上壊さないで下さいましっ、怒られるのはわたくしですのに!」
「——ああた達ッ、神聖なる小生の居城で一体なんの騒ぎですかな!? んんっ」
玄関先で騒いでた彼女たちに、仁王立ちで注意したのは——
復活した図書館長・イシュマシュクル氏、その人だった。
一瞬、一同は息を呑んだ。
いずれ図書館に戻ってくるのが当然の人物なのに、この世から消えたと思い込んでいた。
「ま、まあ、イシュマシュクル館長。失踪されたとお聞きしましたが、お元気そうで何よりですわ……」
「アンナお嬢様! こんな小汚い連中を引きつれて、なんの騒……ムムッ、神殿まで何やらウルサイですねぇ。静謐たる神域で不信心なッ」
すぐ隣の神殿から、キャーキャー叫び声が聞こえていた。建物から異臭と煙が漏れまくり、祈祷を超えた濃度で空気中に拡散していたのだが……敬虔なる神官長・イシュマシュクル氏はたいして気にも留めてなかった。
「館長、お願いですわ! 地下倉庫の鍵を一式貸してくださいましっ、時は一刻を争いますの。『ゴブレッティの設計図』のうち、トレモロ神殿の原本が必要なのです!」
「ハッ、ハァーン、あっなったまで地下倉庫とは! いくらアンナ様の頼みといえど、それはなりませんな! 大事な原本の収蔵場ですぞ、まったく。原本はあの怪しいアルバが盗難事件だなどと嗅ぎまわってましたが……ハッ、もしやアンナ様も……あやつらの仲間……?」
イシュマシュクルは、合点がいったように片手を震わせ、呟いた。
その場に倒れているテオドールとメリーシープ、ヤドヴィの陰に必死で隠れるマチルダ、怪訝そうなアンナの顔を、順ぐりに見つめて……
「ヒィイイイイイイッ、ヤドヴィ、今すぐ逃げて警察を呼びなさい! 盗っ人ですぞおおおお! きやつらは奸策を弄し、小生を陥穽たらしめた悪者なのです!」
「まーっ! イヤだわイヤだわ、そうだったのですね汚らわしい! あやうく騙される所でしたわ!」
「えーっ! 待ってまって、違いますううううっ!」
「あっ、あの、神殿は……どうす……」
「あそこに居るのは——ナッティ!?」
すでに周囲にはドス黒い色をした煙が漂っていた。
神殿からは、信心深い町民、神官、スタッフたちが続々出てくる。
「みんな逃げてぇーーー逃げてくだサイッ!」
町長秘書のナッティが誘導し、神殿の中の人々を避難させていた。
危機感がある少数の住人たちは、少しでも神殿から離れようと走って逃げ、
危機感のない大勢の野次馬たちは、神殿の周囲で火事の様子を呆けて見ていた。
高級そうな役人の車が、西から東へと逃げていく中、唯一西からやって来たギャリバーが一台、神殿の入り口へ横付けした。
「サッ、着きましたぞ。こちらですな」
「騒がしい夜だな、今夜はパーティーかね」
それは、書籍と木籠を大量に乗せたギャリバーだった。運転手は白く太った猫おじさん。
サイドカーから降りて来たのは、夜会にでも繰り出してきたかのような、巻鹿族のすらりとした女性の訪問者……
「あの方は——まあ! ラヴァ州の政府高官ですわ。名前はええと……」
次期町長を目指すアンナ・ワンダーベルの頭には、州のお偉いさんの顔と名前が大量に入ってる。
「確か、そう——ラヴァ州アルバ統括長、フランシス・エクセルシア様だわ!」




