6 エミリアの戦慄、トレモロの旋律
「ここだ……」
エミリア刑事の自宅は、創始者一族にはおよそ似つかわしくない、小さく汚い建物だった。看板名は『マリワナナ』。夢を追う独身者向けのアパートメントで、場所は役場からほど近い、湿っぽい裏路地に立っていた。
走ってきた紅葉は息を整え、埃だらけのメインエントランスの扉を開けた。
「わ、この感じ……サウザスの貧民街を思い出すね……っと!」
夜行性民族の青年が玄関でゴロ寝していて、思わず踏みそうになってしまった。廊下の奥では黒輪猿族の女がマンドリンをかき鳴らし、4、5名の住人たちが絨毯に座って水タバコを吸っている。みなエミリア並みかそれ以上の、ピアスとタトゥーを入れていた。
「す、すみません、管理人さんいらっしゃいます?」
「アーシだよ、何? 借金の取り立てかい」
マンドリン奏者の女は、演奏を止めぬまま、黒と白のシマシマ尻尾を上げた。
「エミリア・ワンダーベルの部屋に入りたいんです。入室の許可は、お母さまのヴィーナス町長から頂いてます」
紅葉は、秘書ナッティにもらった住所の地図と、トレモロ町のエンブレムが入ったトランシーバーを見せた。
「町長っつても……いやこれ、許可証じゃねーし」
「口頭で許可を頂いてるんです、後で確認してみてください。お願いします!」
「まーいいじゃん、入れてやんなよ、ジェラジョー」
「……あそ、アーシは責任とんねーぞ」
黒輪猿族の管理人ジェラジョーは、やれやれと腰をあげ、アパートの鍵と自身の尻尾をふり回しながら、階段を昇って行った。
「おらよ、401、この部屋だ。なんか盗むんならコッソリやれよ」
「盗みなんてそんな……借りるだけです!」
「あそ、どーぞ」
無造作に開けられたエミリアの部屋——紅葉は1歩踏み出し、戦慄した。
がらんどう、という雰囲気が一番似合っていた。暗く、静謐で、孤独だった。
「ありゃ? こんなにこの部屋キレーだったか?」
アパートの小さな部屋には、最低限のものと家具だけ。古びた壁には、ポスターが何枚も剝がされた跡があり、床には黄土色の絨毯にスリッパが1足。
エミリアはもちろん、ショーンの姿もどこにも居ない。それどころか、『酒場ラタ・タッタ』の下宿人マドカが、旅立つ直前の部屋とよく似ていた。
(まずい! 何か、なにか残ってない!?)
厭な予感のまま机の引き出しを開いた。中身はたった一本のペンが空虚に転がり、脇汗がぶわっと湧いた。
「どうしよう、どうしよう……管理人さん! エミリアについて何か知らないですか?」
「何ってカワリモンでしょー。町イチバンのお屋敷から、ワザワザこんなとこ棲みつくたーね。とんだ金持ちの道楽だぜ」
「そうじゃなくて、溜まり場とか、趣味とか、交友関係とかッ!」
「さーね。エミリアのこたー『マリワナナ』じゃ誰も知らないよ。誰ともしゃべらんもん」
紅葉は頬を掻きむしりながら、エミリアの部屋のガサ入れを始めた。
「……どうしよう、どうしようっ!!」
不審者女に部屋中ひっかき回される間にも、興味がない管理人ジェラジョーは、その場で再びマンドリンを弾き始めた。
タタラタラタ、タタラタラタ♬
風をかき鳴らすような、細かいトレモロの旋律が響くなか、紅葉はベッドシーツを引っぺがし、マットレスをどかし、クローゼットからデスクまで引き出しすべて開け、挙句の果てには蹴ったり倒したりした。
出窓側の家具からは見つからなかった。
タタタタタタ、タンタンタンタンタ♬
「あっ、こんなとこにチェスト……また鍵だ!」
ベッド裏に隠れていたトランク型のチェストを見つけ、紅葉はためらうことなく【鋼鉄の大槌】を振り上げ、南京鍵をぶっ壊し——一縷の望みを掛けて、中を開けると——服と下着が数枚入っていた。
ダンダダンダダンンダンダ♫
「何か、何かない……!?」
紅葉は調査を諦めきれず、ゴソゴソとチェストの奥をまさぐった。柔らかな綿、しなやかな革が皮膚に触れる。指に当たった硬い床板が、グラグラ揺れて——
「これ……外れる?」
タ、ターン♩
チェストの床をベリッと剥がすと、中から1枚の写真が見つかった。
「エミリア! が、一番右か……」
皺だらけで、すこし小汚ない写真には、3人の女性が写っていた。
右にいるのがエミリア。彼女の肩を抱いてるのは真ん中の、背の高いシュッとした猫系の女性。左にいてピースしてるのは、生意気そうな背の低い鳥族の子だった。
「管理人さん、この子たちが誰かご存知ですか?」
「だから知らねーって。サツのこたー、サツに聞けよ」
血が上った紅葉はすぐに気づけなかったが、3人とも警官のような服を着ていた。
「これ……トレモロ警察のとはちょっと違う? エンブレムがない」
「ん? あーそりゃ訓練せーのだな、警察がっこーの服さ。ガキの頃しょっぴかれた時、世話係が着てんのをよく見たよ」
「警察学校の訓練生……なるほど」
サウザス町長オーガスタスの警護官だった犯人2人も、『警察免許は持っていないが警察学校は行っていた』とラルク・ランナー刑事が教えてくれた。
「やっぱりあの組織は、警察学校に巣くってる……」
「ん?」
「いえ、何でもないです」
後ろを振り返ると、カーテンすらないアパート4階の出窓から、夜の町並みがよく見えた。点々とまたたく街灯とギャリバーの光、神殿と図書館が奥で佇んでいる。
「そろそろ図書館に戻った方がいいかな……」
ここに残っても、これ以上の証拠は出そうにない。
「ううん違う……警察署に行こうかな」
写真に映ってる女性たちの情報を調べなきゃ。もしかしたら、トレモロ警察に所属しているかもしれない。
トララタタ、トラタタ♬
管理人ジェラジョーが、地の神に捧げるプレリュードを演奏し始めた。酒場『ラタ・タッタ』を思い出す、郷愁あふれる金の音色に、疲れきった紅葉はついつい聞き入ってしまった。
ラタタタタ、トラタタタ♬
酒と喧騒、キャメル色のカウンター、焼いたソーセージの匂い、蒸せるような鉱夫の熱気で、魂が洗われ磨かれる……
タラトトリラ、ラタタトトリラ♬
マンドリンの音に合わせ、出窓の窓台を太鼓に見立てて、紅葉も指でタタタタ叩いた。
町全体が心地よい春の夜風に吹かれてる。
4本ある神殿の煙突からは、モウモウと湯気と光が放たれていた。
『これからマルク神のご加護をいただくの。小麦の束で、全身を擦って祓ってもらうのよ』
今頃ヴィーナス町長は、神殿で清めてもらっているんだろうか。出来事がネジのように巻き戻って思い出されていく。秘密部屋を開けたこと。扉を無理やりこじ開けたこと。数字盤と指紋捜査……
『んー、なんか匂いますねぇ。午前中に来た時と様子が違いますっ!』
図書館に再訪し、職員ヤドヴィと会った時、確かに何だか匂いがした。あの匂いを紅葉は知ってる。サウザスではしょっちゅう匂っていたのに、トレモロではほとんど嗅いでなかった、煤と煙の匂い——
パパパラリラ、トトラタラリラ♫
『神殿なのに……ずいぶん住みやすそうだな。匂いもぜんぜん無いし……』
ショーンが指摘して、マチルダたちが教えてくれた。トレモロは土葬文化だから、神殿で火を焚く事はほとんどないって。なのに、夕方来た時には匂っていた。そう、図書館の隣にある神殿から。
今は神殿すべての煙突から、白い煙が噴き出しており、一番右の煙突だけ、煙に交じって色のついたカラフルな光が、時おり噴出している。星のまたたきのような光。
『ワシが子供の頃に見た、魔術師の作り出した光に似ている。星が落ちてきたかのように輝いていた……』
狩人集落で族長ドンボイが呟いていた、呪文によるマナの光だ。
トタッタタタタ♪
「ショーーーーーーン!!!」
紅葉は絶叫し、ろくに挨拶もせず、エミリアの部屋から飛び出した。
図書館に再訪した時、既にテオドールとメリーシープは隠し部屋に監禁され、ショーンはエミリアによって連れ去られていた。行先は神殿——あの右の煙突の下にいる。
「図書館も警察も後回し! 今は何より! ショーンを探さなきゃ!!」
階段をドダダダドダダダと、16ビートで降りていく。
アパート『マリワナナ』の管理人・ジェラジョーは、そんな紅葉の様子を冷たく見つめ……ソロのカデンツァを、月光の差すエミリアの部屋で響かせた。




