1 リュカの見解
【Sauna】サウナ
[意味]
・蒸し風呂。熱した石に水をかけて蒸気を作り、体を温めて汗を流すタイプの風呂。
[補足]
フィンランド語「sauna (浴場)」に由来する。少ない水で温浴効果を得られる蒸し風呂は、古来より様々な名称で世界各地に存在したが、20世紀初頭、オリンピックや世界大戦を通して、フィンランド式の蒸し風呂が「sauna」として広まり定着した。北国のお偉いさん方は、ともにサウナに入り、友情を深める事が大好きなので、狭いサウナ小屋では今日も多くの密約が交わされている。
「ただいまー……っと」
「遅いっ! 遅いわ、お兄ちゃん」
煮蒸したキャベツのようにクタクタで帰宅したリュカに向かって、ネグリジェ姿のフレヤが文句をいった。
「フレヤ……もう寝ろよ。良い子はとっくに寝る時間……」
「マチルダお姉ちゃんから手紙が来てるの。わ・た・しが、渡したかったの!」
ん! と4番目の妹は、トレモロの切手が貼られた手紙を差しだし、1番上の長兄は、ハイハイと手荷物をベッドに放った。
午後11時のサウザス町は、遠くで太鼓の音が聞こえる。
このたび『鍛冶屋トール』のせがれ、リュカは、レストラン『ボティッチェリ』に働きに出ていた。コスタンティーノ兄弟たちが逮捕された後、オーナーを失ったレストランは、残りのスタッフが何とか運営を続けており、リュカも修行がてら手伝いに行っていたのだ。
彼が入学を希望している帝都の一流料理学校は、筆記より実技が重視されている。8月にはじまる試験に向けて、必死に腕を磨いている最中だった。早朝、仕込みの時間からレストランに入り、休憩中も厨房で自主練を続け、夜は営業が終わるまで働く……
そんな慣れない労働環境にゲッソリしながら鍛冶屋に帰り、自室のドアを開けたところ、小さな妹が腕組みしながら鎮座していた。
「今すぐ読んで、今すぐよ!」
「はいはい……」
リュカは、服のあちこちから野菜ピューレの匂いをさせながら、マチルダの手紙の封を開けた。
『はーい、マルクルンド家のみんな(笑)。そっちはどう? あのね、3日前にショーンさんがトレモロにやってきたの! ルクウィドの森で逃走中の警護官を追うんですって~(キャーッ)。あたしは何と、テオドールさんと一緒に捜査を手伝っています。凄いでしょ、偉いでしょ~う(えへへ) がんばって犯人を見つけますね! あ、木工所の仕事のほうは順調ですっ、じゃ!!』
「相変わらず、(カッコ)が多いな……」
「シッ、ママにはこの手紙見せてないのよ。犯人を追っかけてるなんて心配するでしょ!」
フレヤはシーっと指を顔にあて、既に消灯している両親の部屋のほうを見た。
「もぉーっ、どうせお兄ちゃんが『ショーンさんを手伝え』とか言ったんでしょ。お姉ちゃんに何かあったら、お兄ちゃんのせいだからね!」
「うっ……さすがにオレも、捜査に同行するだなんて思ってなかったけど……」
リュカは気まずく頭をガリガリ搔きながら、5人兄弟のうち2番目の妹の顔を思い浮かべた。
マチルダ。リュカと一番年が近く、仲良しだった妹。昔から木登りがだいすきで、学校の校庭にあるカシやカエデに登って遊んでいた。肥満体のリュカはいつも地上から見守っていたが、彼女は木から落ちることなく、ロープとナイフを駆使し、青空に近い巨木のてっぺんに、いつだって見事に登って見せた。
「まあ大丈夫だよ……マチルダは。いつも懐に道具や工具を忍ばせてるし、逃げ足も速い。ああ見えてちゃんと慎重で冷静だから」
「そお? むー」
フレヤは納得できずに頬を膨らませていたが、リュカは長年の信頼から、腕を組んで伸びをした。
「それよりショーンの方が心配だな。あいつの方がそそっかしいんだ。すぐカッとなって周りが見えなくなるし、物もよく忘れる。【星の魔術大綱】以外のな。警戒心が強いわりに、危険の察知能力は低いし……」
「そうなのぉ? でも魔術師サマなんでしょう。ショーンさんの方がエライんでしょ~?」
フレヤはなおも訝しんでいたが、リュカはう~んと眉を上げながらベッドに寝転んだ。
「んあーっ、オレがあげた短刀、あいつちゃんと持ってるかなー」
(クソッ、リュカの短刀が手元にあれば、何とかなったかもしれないのに!)
ショーンは、縄で縛られた体をモゾモゾさせ、口轡をモゴモゴ動かしながら、自分の準備不足を呪った。
短刀は【星の魔術大綱】と一緒に、サッチェル鞄の中にしまい込んだままだった。鞄はもちろん奪われており、ミノムシのようにうごめく事しかできない。絶体絶命のピンチだった。
「ん、んーっ、んんーっ」
どこだろう、ここは。地下倉庫ではなさそうだ。壁全体が白い大石のタイルで敷き詰められ、とぼしい明かりでも淡く輝いている。窓がなく空気は薄い。図書館内ですら無さそうな……
「……知ってる? アルバ様」
タツンと靴音が響いた。まだ3月なのに熱い。汗が止まらない。
「先代の神官長ボラリスファスは、豪奢を好む性格で、神殿の内部にサウナを作らせたの。自分専用の隠しサウナをね。ゴブレッティに頼んで作ってもらった。……寄生して……という表現のほうが正しいかしら」
タツンタツンと、ブーツの音が聞こえる。聞き覚えのある声に、ショーンの汗は余計だらだら噴出していた。前髪がべったり額に張りつき、視界をより困難にしている。
「ボラリスファスはゴブレッティ亡き後も、贅沢な生活を続けていた……5年後、ワインを飲んでる最中、心臓が止まって死亡したわ。今は誰もここの存在を知らない。イシュマシュクルもね。あの男は毎週、温泉施設に通って散財しているくせに、自宅の神殿内部にある此処の存在を知らないのよ」
んーんーっと、ショーンは必死にもがき、声の主の方へ体を動かした。温度が高いと、音は速く聞こえるらしい。彼女の唇の動きよりも、喋り声のほうが速く聞こえた。
「あぁ……ああいうゲスな権力者って、どうしてこうサウナが大好きなのかしら……理解できないわ、熱いだけじゃない。あぁ、あづい!」
声の主はグッと襟をはだけさせた。群青色の警官服を。
左肩には、ワンダーベル家を表す、銅製のベルの刺青。
「んーーーー!!」
初めて露わになった右肩には、忘れもしない、
黒い球体、花綱文様——
【Faustus】の組織の紋章が描かれていた。




