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6 ロイが死ぬまでの話 Ⅳ

 皇歴4546年2月。

 ついに恐れていた事が起きた。秘書のフレデリックが死んだ。


 この年は、ラヴァ州で一番寒い冬だったのだ。トレモロ町民はみんな寒波で凍えていた。ゴブレッティ邸も例外ではなかった。建物全体が大きいこの屋敷は、なかなか暖を取ってもカバーできず、家族みんな一ヶ所に固まって寒さを凌いでいた。

 最悪な雰囲気だった。父は騒音に耐えられず床を踏み鳴らしていたし、母マルグリッドは優しく話しかけてくるかと思いきや、「いい加減にしてっ!」と急にヒステリックにわめき散らしていた。××××も、なぜ自分がここに居るのか分からず絶えず叫んでいたし、僕は持ち込んだ勉強机に、大量の本を積んでバリケードを作っていた。課題の設計図は遅々として進まず、手がかじかんでうまく書けなかった。

 秘書フレデリックはなるべく部屋に居たくなかったのだろう。食事や物を取ってくるため、絶えず廊下へ飛び出していった。廊下は外の寒さと変わらない。彼は何度も出入りするたび、血管を冷えさせていた。

 酷い寒波は10日間続いた。トレモロ——いやラヴァ州全体でも、ひときわ多くの人々が亡くなった冬だった。フレデリックもその一人に入ってしまった。彼は風邪をひき、肺炎をこじらせ、トレモロ病院へ入院し……ようやく寒さが緩んできた頃に亡くなった。



 涙でぐちゃぐちゃになりながら、ヴィーナスに手紙を書いた。何を書いたかは全く覚えていない。とにかく辛かったのだと思う。秘書フレデリックは数少ない、唯一の友人的存在だった。それはゴブレッティの家族全員にとってそうだった。

 父ヴォルフガングはますます神官長ボラリスファスを頼り、神の世界にのめりこんでいった。母マルグリッドはついに入院措置が取られ、療養しにクレイトへ行った。××××は、フレデリックに会えないことを怒り、ますます僕に当たるようになった。

『ロイへ このたびはデズとモルグの神にお祈りいたします。大変だったそうね。寒さ対策は喫緊の問題ね。あたくしも、今は高等学校ほど忙しくないから、もう少し頻繁に手紙を出せると思うの。今度、心療院へマルグリッドさんを訪ねに行ってみるわ。貴方も困ったら、あたくしの母を訪ねてみてちょうだい。※ただし父に会わない時間にね。あたたかい春が来ますように ヴィーナス』

 どうしようもなく胸が締め付けられた。けして明るさに満ちた人生とは言えない中で、こんなに苦しかった夜はない。インク壺に羽根ペンをひたし、苦しみから逃れるように心中を書き綴った。



『ヴィーナスへ お手紙ありがとう。母のことも気にしてくれて感謝している。君にどうしても伝えたい事があるんだ。

 君を愛してる。

ごめんね、本当は手紙ではなく、会った時に直接伝えたかったけれど、次にいつ会えるか分からないから。人はいつ死ぬか分からないと思ったんだ。君はもっとも偉大で、美しい女性だ。光り輝くぼくの明星であり、大地を潤す皆の湖なんだ。君に愛される望みが、塵のように儚いのは分かっている。草葉の陰から愛することを許してほしい。 ロイ』


挿絵(By みてみん)


 震える手で手紙を投函した。

 大いなる熱と涙が去って……それからしばし、心のあちこちに穴を抱えたまま過ごした。あまりにも劇的で、大層な内容を送ってしまった。どうしよう、どうしよう。ずっと億劫だった××××の世話が、こんなにも無でできた日々はなかった。

 3週間ほど経ってヴィーナスから返事が届いた。あまりにも中身を見るのが怖くて、深夜、××××がすやすやと眠っている横で封を開いた。



『ロイへ お返事が遅くなってごめんなさいね。どう話そうか書きだしを迷っていたの。この手紙だって何度も書き直したんだから、ほんとよ。

 あのね、『愛してる』って言ってくれて嬉しかったの。すごく嬉しい。でも同時に心苦しくもあるわ。ロイ、貴方はあたくしが知る男性の中で、もっとも心が綺麗で一途なひとよ。あなたと人生を過ごせたら、毎日が愛しさとやさしさを感じられて、幸福な日々を過ごせるでしょうね。

 そう、心苦しいのは家のことなのよ。お互い、家を存続させなければならないでしょう。ゴブレッティ家とワンダーベル家、結婚した例は今までも数組あったわ。でもすべて傍系……直系じゃないのよ。あたくしはワンダーベル家を存続させたい。婿を取るのが必要なの。ゴブレッティ家もそうでしょう?

 ごめんなさい、こうして書いていると憂鬱な気分になるわ。まったくロマンチックじゃないの。何も考えずに愛してると言えたら良かったのに。まだ言えない秘密もあるのよ。秋にトレモロ町の勃興祭があるでしょう。あれに合わせて帰るわ。直接話し合いましょう。 ヴィーナス』



 手紙を読み終わって……思いきり脱力した。どうやら関係は続けてもらえるようだ。彼女と愛し合えるだなんて、元から期待はしていない。××××の横顔を見ながらホッとし、何度もなんども読み返した。

『ヴィーナスへ お返事ありがとう、とても嬉しかった。秋に会えるのを楽しみに日々を生きていく。 ロイ』

 手短な文を絵葉書で出した。木工所にある湖だ。2代目マーチウスが作った、変なおじさんの灯台も描かれている。

 家の存続——ヴィーナスはここが気がかりみたいだ。けどもう、建築家としてのゴブレッティ家の存続は……絶望的に感じていた。

 昔は一族ごとに知識を隠していたから、家の実子として生まれるか、養子入りして学ぶしかなかった。

 でも、もうそんな時代じゃない。高等学校の建築科でいろいろと学べるようだし、木工所でも職人たちがワイワイ集まり、毎晩のように勉強会が開かれている。ひっそりとした親子口伝の継承だなんて、ほんの少し無能が産まれたらあっという間に途絶えてしまう。

 きっとこの家は僕らで終わる。××××の顔を眺めながら、そういう予感がした。

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