5 迷探偵マチルダ
「……ふたご」
ずっと黙っていた紅葉が、はじめて口を開いて、呟いた。
なんでも菓子屋『グッドテイル』の文鳥時計は、午後3時の針を指している。
その場にいる人物たちは、一斉に彼女の方を向いた。
「どういう事ですの、ロイが双子だとでも?」
アンナの質問と同時に、紅葉はゆっくりと椅子から立ち上がったが……瞳は虚空を描き、脳では別の思考を巡らせていた。
「ロイが、双子……それは、かなり確実だと思いますっ」
手をポンとうったマチルダが、紅葉の代わりに推理をはじめた。
「ゴブレッティ家は、元から双子が産まれやすい家系ですっ! それにヴォルフガングによるゴブレッティ邸が作られたのも、ロイが産まれた直後……。ライラック夫人は、『失望の部屋』でロイの兄弟をお世話してたんじゃないですか? それもただの兄弟ではなく、ロイと一緒の日に生まれた兄弟——つまり双子を!」
マチルダはヘルメットを名探偵の帽子のように目深にかぶり、ロイの顔をビシッと指さした。
「そう、22年前に亡くなったのは、
『失望の部屋』で育った、ロイの双子の兄弟です。
顔が同じだからロイと間違われて埋葬された……!
違いますか? オリバー設計士——いや、ロイ・ゴブレッティ氏!!」
——決まった!
探偵小説なら、ここで犯人が観念し、自白する場面だが……
オリバー設計士はただただ肩を落とし、少年のようにしくしく泣いているだけだった。
「そ……そうですよねっ、紅葉さん?」
だが紅葉は、迷探偵マチルダの問いに答えず、ここには居ない人物の顔と会話を、脳裏へ次々に投影していた。
『エミリアちゃんが付きっきりでアルバ様と捜査してるって聞いたわ。今日は彼女いないのかしら』
『やーだ、エミリアちゃんなんてあんなにいっぱい刺青入ってるじゃない! 一度も会ったことないわよ』
『ええ、ワタシここで何回か見たわよ、アンナ様のほうが見ないわよ』
(常連のおばさんが刺青姿のエミリアに会ったことがない。でも温泉施設で見たことがある。 『今日はいない』——こんな言葉が出るのは、同曜日の同時刻に見たことがあるからじゃない? つまり、地曜日の午前中に見たってことだ。イシュマシュクルがいつもVIP室を利用してる日に……)
『図書館長とトレモロ町長しか知らぬ数字盤の鍵があるのですよ!』
『倉庫に人を入れることもありますよ。警察に警備を頼んでね!』
『ケースの鍵は常に小生が持っていますよ! ほら、コチラです!』
(もしかして、イシュマシュクルの鍵を盗みにきていた……? 温泉には入らず、VIP室に侵入しようとしていた? エミリアは町長の娘で、警察の人間でもある。地下倉庫の内部事情にかなり詳しい……)
『…………。ったく、いいのよ、他人んちの事情は』
『——奴らの犯罪組織について詳しく知りたいの。教えてちょうだい』
『すごく美味しい。アタシ、これが大好きなんだ』
(ひょっとして、ひょっとして……『設計図』を盗んだ犯人は……)
双子の姉のアンナが、怪訝そうに紅葉の瞳を見つめている。
「…………エミリア……!」
それから10分後、紅葉たち御一行は、木工所のギャリバーをぶっぱなしていた。ライラック夫人と子供たちはアロナ店主にまかせ、アンナ、マチルダ、オリバーの3名は後ろの荷台に揺られていた。
「な、なんで、ぼくまで……」
「当たり前でしょう、一生逃がしませんわよ!」
「紅葉さぁん! あたしたち、どこに向かってるんですかぁああ!」
温泉施設『ボルケーノ』に向かっていた。が、紅葉は答えずにエンジンを吹かし、裏通りをぶっ飛ばしていた。
オリバー設計士、いやロイは、かしましい女子たちに囲まれてクラクラしながらも……心のどこかで胸の弾みを抑えられなかった。
(だ、だめだ……何をワクワクしている……ぼくは罪を負った人間なんだ。神妙にしていなきゃ)
己の咎をとがめた瞬間、紅葉はギャッギャギャッ! とドリフトを掛け、270度旋回し、左から来た別のスピード狂のギャリバーと、あわや接触を免れた。
「わわわわっ!」
荷台に乗った3名は、吹っ飛ばされそうになるのを、必死に身をかがめて這いつくばった。左方車のサイドカーでは、猫用ヘルメットを被った町長秘書ナッティが、首がもげないように抵抗している。
黒ヘルメットを被った、ドレス姿の町長ヴィーナスと、娘アンナとロイ・ゴブレッティを乗せた、白ゴーグルの紅葉——2台のギャリバーは互いを認識することなく、爆速で去っていった。
「ほほほ。いくらアンナ様といえど、顧客名簿をお見せする訳にはいきませんわ」
温泉施設『ボルケーノ』の責任者、水豚族のタタティは、分厚い腕をぷるぷるさせて、平身低頭で要求を拒否した。
「そんなっ……! これはヴィーナス町長とアルバ様の命令よっ!」
「ほっほっほ。正式な書類があればともかく、ムスメさんのお言葉だけではねえ」
タタティの二の腕がぷるんぷるんと震えている。
紅葉はスッと瞳を黒くさせ、【鋼鉄の大槌】をブォンと宙に振った。
「いいから見せて」
大槌を満月のように振り、漆黒のヘッド部分を、タタティの頭上に突きつけた。
「……っま! そこのお嬢さん、ブキなんかで、おおお脅す気ですの? いいですか、ワタクシの命にかけて、そんな狼藉には屈しませんっ!」
「貴女の命はどうでもいい、客の命が掛かってるの。いつも、地曜日の、午前中に、最上階をつかう上客サン……ね、いるでしょ?」
太鼓隊の衣装に身を包んだ謎の女は、たぷ、たぷ、たぷとタタティのふとましい二の腕を、大槌でリズミカルにタップしながら、静かに脅した。
「んまっ、まさかっ……神官長……イシュマシュクル様……!?」
「そう、神官長サマの命が、今まさに狙われているの。名簿を見たら、誰が犯人か分かるかもしれない。見せてくれるわよね?」
タタティの返事を待たず、紅葉はくいッと顎をあげ、マチルダが受付カウンターを乗り越えていった。彼女は、野リスらしく裏手の棚を駆けまわり、分厚い名簿をかかえてシュタタッと戻ってきた。
「いちおう2年分持ってきましたけどぉー、いつのが要ります?」
『ヴィーナス町長に相談されたとき、きちんと小生が調査しましたよッ!
ちょうど半年前のことです、えー10月頃でしたかな』
「去年の10月より前のデータだよ! ……地曜日の午前中、イシュマシュクルの名前……あった……エミリア、エミリアの名前……ない、ない、ない、!……あった!」
名簿の日付を遡ると、去年の4月から8月にかけて月に1度、イシュマシュクルが来た1時間後に、エミリア・ワンダーベルも来訪していた。
(やっぱり……『設計図』の盗難犯は……!!)
紅葉は皮膚をぞわぞわさせながら、名簿を閉じた。犯人が身近に潜む恐怖を、必死に体から追い出すべく、【鋼鉄の大槌】を抱きしめ身をかがめた。
(——ダメだ、エミリア刑事を怖がってる場合じゃない。ショーンと早く合流しなくちゃ!)
「も、紅葉さん。あの~、妹がイシュマシュクル氏の命を狙ってるって、本当ですの?」
「ううん、それはウソ。ただあいつの鍵を盗んだみたい」
「まあ……! それなら安心ですわ!」
おずおずと耳元で聞いてきたアンナは、ほっと胸をなでおろした。
「紅葉さぁん、この名簿帳どうします?」
「もちろん名前ンとこ持っていくよ、ショーンに渡さなきゃ!」
びりびりビリーッと、紙を破る音が、温泉施設の受付前に響いた。
紅葉とマチルダは、容赦なく書類を破り散らかし、風呂上がりの客たちは、ヤマモモビールを肴にガヤガヤ囃し立てている。タタティは怒りと焦りで二の腕をタプタプさせて、オリバー設計士はおどおどしながらも……なぜか前より楽しそうにしていた。
彼の胸がこんなにも躍るのは久しぶりの出来事だった。




