3 ロイが死ぬまでの話 Ⅲ
皇歴4545年12月。
クレイト市の高等学校に行ったきり、一度も帰郷しなかったヴィーナスが、ついに卒業してトレモロに戻ってきてくれた。
彼女はお土産を持参して、ゴブレッティ邸まで挨拶しに来てくれたのに——グレゴリー町長の圧力がすっかりトラウマとなっていた母マルグリッドは、彼女を追い返そうとしてしまった。玄関先で揉めているところを、秘書フレデリックが押しとどめ、ぼくを呼んできてくれた。
『なんだか大変なようね、来てよかったかしら?』
『は、母がすまない……会えて嬉しいよ、ヴィーナス……う、美しくなったね……』
ぼくの部屋に通した彼女は、長く伸びた金色の三つ編みを揺らし、大きな瞳で微笑んでいた。雪の白さにも負けぬほど白く輝き、胸元ははちきれんばかりの生命力を見せている。
『ふふふ、あなたも大きくなったわね、ロイ。素敵よ、すっかり青年の顔をしてるわ』
喋りは変わらず、かわいさの中に強さと知性があり……爆発しそうだった。
『ごめんなさいね、何度かお手紙をくれたのに、お返事を出せなくて。町が大変なんですって? 父もろくに改善できず、文句ばかり寄越してきたわ。どうしようもない所まで来てるのね』
『あ、ああ……ご、ごめん……』
あれから何度か、ヴィーナスに手紙を出してしまった。返信をしなくていいと前書きし、心がすさんでどうしようもなかった時に書いて送った。今思い返せば愚痴ばかり送ってしまって、後悔しかない。
『あたくしも何か手を打ちたいけれど、今はまだ難しいわ、まだまだ勉強し足りないの。クレイトの親戚の元でしばらく修行することにしたのよ。州議員をやっているの、実践を学ぶつもりよ』
『す、すごいね、ヴィーナスは……どんどん成長してる……』
『あらやだ、まだまだ未熟者よ、これからなの。あなたも建築の勉強は進んでいて? ロイ・ゴブレッティの初設計を楽しみにしてるわ』
——ドン! と天井が鳴った。
『まあ、何か大きな物が落ちたのかしら?』
『………………っ』
××××だ。子供の頃は、暴れてもそんなに音がしなかったけど、最近は大きくなったせいか、ベッドを持ち上げて床に落とす遊びを覚えてしまった。
『そ、外に出よう、ヴィーナス。家まで送っていくよ』
『あらいいわね! デートみたい』
ドレスを翻し、片腕を掴んでくれた。1分ほど心臓が止まった。いや、5分くらい止まってたかもしれない。
ゴブレッティ邸とワンダーベル邸は、歩いて7分程度の距離だったけれど、ゆっくり遠回りしておしゃべりしてくれた。夕方になり、雪がちらちら降ってきた頃に分かれた。
久々の再開に、もっと楽しい話題を提供したかったのに。自分が暗い人間だから、何も思いつかない。ほとんどヴィーナスが喋ってくれて、クレイトでの土産話を聞いていた。(話の内容はぜんぜん覚えていなかった。ただヴィーナスの声が胸をくすぐり、ヴィーナスの顔が美しかった事だけが、記憶に鮮明に残っている。)
家に帰ったら、××××の世話が待っていた。昼に食べた煮込み料理を、別の菜っぱや豆をいれて温め直す。母さんはこの頃ほとんど食事を作れない。メイドを雇えばいいのに。家にお金が無くなってきてるのと、××××の秘密が漏れないメイドを雇うのは大変なんだって。
××××はあまり食べないくせに、お腹がすいたら暴れるから、食事にはいつも苦労している。やっと食べ終わったら、便所にいれて、お風呂にいれて……毎回毎回、ぼくの顔にお湯をかけまくって笑っている。暴れるよりだいぶマシだけど、冬場でも容赦なく浴びせてくるから厄介だった。
お屋敷を売って、小さな家に引っ越して、そのお金で××××を施設に入れたらどうかって、提案した事があるんだけど、父さんに殴られた。いいアイディアだと思ったんだけどな。父は××××の世話を一切しないのに、こういう意見には反対しかしない。
施設に入れば、××××にも仲間ができるし、お友達になってもらえるかもしれない。天気のいい日はみんなで散歩したり、畑仕事とかするらしい。こんな窓のない隠し部屋に、ずっと閉じ込めておくより健康的なのに。
ぼくが自分で稼げるようになったら、絶対××××をそうするんだ。でも日々××××の世話に追われて、勉強は遅々として進まない。もうすでに生活は破綻しかけてる。秘書フレデリックがここを辞めたら、いよいよ追いつかなくなってしまう。
皇歴4546年1月。
年が明けて、ヴィーナスは再びクレイト市に旅立ってしまった。隣には同じ顔の××××がいるけど、ぼくはまた1人ぼっちだ。
「——どうされます? ヴィーナス町長」
「そうねぇ……」
薄暗い灰色の警察署の廊下で、ヴィーナス町長は白い日傘の先でコツコツと廊下をこづき、しばし考え事をしていた。
「コリン元駅長がレイクウッド社内に隠れている……それを流しの菓子卸売オパチ・コバチが知っていた……それぞれの繋がりがあまり見えないのよね。どういうことかしら……」
カツンカツン、と日傘の音が廊下に響く。第1秘書ナッティはくいっと眼鏡をあげて、自分の胴体くらい大きな手帳をめくった。
「でも確かに、木工所は隠れるにはもってこいの場所デス。警察は中に入れませんし、貨物駅を頻繁に利用しますカラ」
トレモロの貨物駅は、旅客駅から西に離れたところにある。木工所へとつながる小さな線路があり、電動トロッコをつかって家具や建材を搬出入している。
「ふーむ。コリンはトレモロ駅まで線路伝いにやって来た。そして貨物駅から木工所へ……辻褄はあうわね。問題はオパチがどうして知ったのか、アルバート社長は関わっているのか、だけど……」
警官たちは慌ただしく署内を駆けまわり、淡いレモン色のフリルをどっさり付けた、ド派手な町長にかまう者はいなかった。
「……エミリアお嬢様に連絡をとりマスか?」
「いいえ、彼女はもう警察の牛よ。娘とはいえ迷惑かけられないわ」
実はこの時、もう一人の娘である第2秘書・アンナも行方知れずだったが——ヴィーナスもナッティも、全く気にかけていなかった。
「んまぁ、木工所のことは警察にまかせましょうか。ゴフ・ロズ警部に怒られちゃうしね」
「では役場に戻りマスか。3時に議長のモーティマー氏と、今後の町経済について月例会議ですのデ」
「いいえ、ナッティ。その会議はキャンセルして頂戴」
——バッ。と白い日傘を差し、ヴィーナス町長はドレスのフリルをたくし上げ、警察署の2階の窓から飛び立った。
「もうひとり気になる人物がいるの。行くわよ」




