3 牛と草原とアルファベット
「そうだ……君のお父さんは、その子の言うとおり、ロイ・ゴブレッティだ……!」
夜の月がちょうど窓に差しこみ、アパートの部屋の中を照らしている。
薄ぼんやりした白い光のなか、オリバーは膝をつき、壁の一番大きなヴィーナスに、許しを請うように背中を丸めた。
「ぼくはヴィーナスに恋しているだけ……父親ではない」
「違うわ! 父は生きてる、あなたなんでしょ⁉︎」
「ロイは死んだ……死んだんだ、もう帰ってくれ!」
2人ともオリバーに追い出され、部屋に鍵を掛けられた。
アンナはなおも縋ろうとしたが……アパートの大家らしき重犬族の老婦人が、長く太い靴べらを手にもち、不機嫌そうに廊下に立っているのに気づいて……去った。
夜の帰り道。レイクウッド社の街道には、樹木に見せかけた木工オブジェがあちこちに生えている。
ナッティはカラコロ鳴る木工オブジェの音を楽しみ、アンナはオリバー並みに背中を丸め、終始納得できない様子で独り言を呟いていた。
「……絶対そんなはずないわ、そんなハズない。私の第六感がそういってるの。だって特徴が似てるもの、父親よ……」
「そりゃあガッセル家は分家デスから、オリバーとロイは親戚でショウ? それで似てるんデスよー」
秘書ナッティが慰めようと、アンナの方を振り向いたが——彼女が地面に向かって眼球を見開き、ブツブツブツブツ呟き続けるのを見て、『……ンニャ〜ォ……』とビビって尻尾を体に這わせた。
「それでは、さっそく暗号を教えることにしましょう」
「はいっ!」
「時間がありませんので」
「……はい」
ショーンの机には、鉛筆とノートの代わりに、電信の練習装置がある。
ゴフ・ロズ警部が、白チョークを手に取り、黒板にアルファベットを書き始めた。
A B C D E F G H I J K L M N O P Q R S T U V W X Y Z
「基本は挟んで文字を伝えます」
「例えば A E と打ったら、1つずつ挟まれた真ん中の C を意味し、
例えば L R と打ったら、2つずつ挟まれた真ん中の O を表します」
ゴフ・ロズ警部は、
A B C D E と書いた内の、B と D を丸く囲み、C に太い下線を引いた。
L M N O P Q R と書いた、M N と P Q を丸く囲み、O に線を引いた。
「ここから、W と伝えてみましょう。アルファベットをまた A から繋げ、一周させて挟みます」
警部は X Y Z の次に A B C ……と書き足してゆく。
S T U V W X Y Z A B C D E……
「ここで S A と打ちます。3つずつ挟まれた真ん中の W が答えです」
T U V と X Y Z を丸く囲い、Wに下線を引いた。
「全部打つと A E L R S A これで COW という言葉になります」
それを聞いたショーンは、ぎゅっと目を閉じた。
夜の草原の中に、黒いアルファベット表が浮かんでいる。
トン・ツー トン トン・ツー・トン・トン……と模擬電信を打ってみた。
一文字打つたびに、脳内の文字を赤ランプで光らせ、位置を確認していく。
夜の草原では牛がのどかに草を喰み、ショーンを応援している……
赤ランプで挟まれた中心の字は白く光り、草原に『COW』が浮かび上がった。
「ご理解頂けてますでしょうか?」
「ええ大丈夫……幸い、呪文の計算より難しくありません」
「さすがアルバ様です。それでは Q U E K A I C G M S これはどういう意味か分かります?」
ゴフ・ロズ警部は、ツー・ツー・トン・ツー……と早めに力強く叩いた。
「ええと……」
脳内草原のアルファベット表に、赤ランプと白ランプが瞬く間に点灯していく。
「S H E E P……『SHEEP』だ、答えは羊」
「素晴らしい」
警部は手を叩いてくれたが、ショーンはひとつ引っかかった。
Q U で1つ挟んだ真ん中が S
E K で2つ挟んだ真ん中が H
A I は3つ挟んだ真ん中が E
だが次の E では C G と1つだけ挟んだものになっている。
最後の文字 M S の P では2つ挟みだ。
「これ、挟む文字数は、1、2、3、1、2、3……という順番ですか?」
「最初の練習は、その順番どおりで行います。ですが慣れてくれば——つまり実戦では、ランダムに変化させます」
警部は新人ショーンに容赦なく、実戦問題をダダダダッと浴びせた。
H R M Q K Q G O C G T D
「えええっと、M……O! N K! い、E……Yっ! 『MONKEY』!」
「正解です。挟む字数は 4 1 2 3 1 4 と変化しておりますが、真ん中で挟むという行為には変わりませんので」
「は、はぁ……」
「慣れれば大して難しくはありません」
そうだろうか。
ショーンは後頭部を、乳牛の舌でハムハムされているような感覚に陥った。
「また、数字を打つ場合も、アルファベットと同じです。0から数字を始めます」
0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 ……
「例えば 17 という数字を伝えたいなら…… 9 3 4 0 とか 7 5 5 9 とか打てば良いんでしょうか」
「左様です。どちらも挟んだ中心の文字に変わりありません」
脳内草原の夜空、アルファベット表の下に、数字表が追加で浮かんだ。
乳牛が2倍に増えて、草を喰みながらコッチを見ている。
「け、警部、僕もうキャパオーバーなんですが……」
通常の電信を打つだけでも、外国語のようで難しいのに、さすがにコレは……
「——次はいよいよ実戦に参ります、互いに電信を打ち、暗号で会話できるようになりましょう」
ゴフ・ロズ警部は、限界顔のショーンを無視し、おもむろに腕時計の針を見た。
「あと1時間です」
間に合うだろうか。
はーっ、はーぁっと、ショーンは過呼吸になりながら、目の前にある電信鍵盤をグッと押した。




