4 子育て中なの
火と煤の匂いがいよいよ濃くなってくる。薮の向こうに、小屋や炭窯の屋根がたくさん見えていた。
「この道の左側が彼らの仕事場です。今日は火曜日で休みなので、誰もいないと思いますが」
鳥のさえずり以外は静かだった。
道ばたの柵は動物よけの鉄条網が施され、綺麗に草が刈られている。等間隔に置かれた灯石には、火の神様のモチーフである火鉢のマークが掘られていた。
森というより、農園のような場所だった。
「意外ね、今までで一番文明的な暮らしをしてるわ。普通にトレモロ住民になれば良いのに」
「そんなこと絶対、彼らの前で言わないで下さいよ……火炙りの刑にされますよ」
「分かってるわよ」
いよいよだ。森の住民たちと最後の交渉が始まる。木炭職人はいったいどんな人々だろうか。
ショーンは固唾を飲んで、菓子折りを入れた紙袋を持ち直した。
「居住地はもう少し歩いた所になります、行きましょう」
土を踏みしめ、山道を歩いた。
「そうだ、ショーンさん! 散々ゴブレッティの話してたら、思い出したんですけどぉ〜」
「え」
ショーンが気を張り直したにも関わらず、マチルダはマイペースに声を掛けてきた。
「ゴブレッティ邸の跡地、ライラック夫人のおうちになるの知ってます? サウザスから引っ越すんですって。もービックリっ!」
「あ、ああ……うん、あれね」
「父はもうカンカンですよ。弊社じゃ絶対に施工しないし、ネジ一つ貸すなと言っています」
「他所から職人さん呼ぶのかなぁー。でもラヴァ州のお屋敷って、ほとんどウチで工程請け負ってるし、建材とかも売らないんですよね? うーん、難しそう」
「……ったく、どうすんのよ、あのバカ姉貴」
エミリアが列の最後尾で舌打ちした。
確かに、アンナはどうやってレイクウッド社ぬきで建設を進めるのだろう……まあショーンにはもう関係ないが。
「でも、本格的に工事が始まったら、反対運動が起こりそうよね」
「ええ。父本人は旗揚げしないでしょうが、手と金は貸すと思います」
「トレモロの人たち、こうなると熱いですからねえ〜。みんな槍もって斧もって、怒って襲撃してくるかもっ!」
「——反対運動って何のこと? 物騒ね」
野太い女性の声が、頭上から響いた。
「! ……キキーラさん」
テオドールがその女性の名前を呼んだ。
ショーンは何も考えられず、その場を振り向いた。
女性は熊の毛皮を被っていた。熊の黒い目玉がこちらを凝視していた。
「こんにちは……」
一瞬で、自分がこの隊のリーダーだと見抜かれた。そして弱いと。こいつは弱い羊だと見抜かれていた。
野太い声に浅黒い肌、ひとまわり背の高い女性……青羆熊族のようだ。右手に手斧を持っている。
斧を持って……
「怒って襲撃してくるって?」
彼女の左手が、ショーンの腕を掴んだ。
そして右手の斧が、ショーンの顔面に向かって振り下ろされた。
「ショオオオーーーーーンンッッ!」
紅葉が怒り狂って【鋼鉄の大槌】を振り、女性に飛びかかろうとした。
エミリア刑事が、懐から警察拳銃【コルク・ショット】を引き抜いた。
「……あ……」
ショーンは刃の切先が目前に迫るのを、ただただ丸い猿の瞳で茫然と見ていた。
「やめろ、キキーラ!」
遠くから知らない男の声がした。
「——フン」
キキーラはショーンの目玉寸前のところで右手を止め、隙のない動きで後ずさった。
それを見たエミリア刑事は発砲前に指を止めた。
だが紅葉は止まらない。
「————死ねえええっ!」
紅葉は【鋼鉄の大槌】を振りまわし、後ずさったキキーラに殺意を向けた。
「ダメだ、紅葉っ……!」
彼女が真横にブン回した大槌を、相手はもう二歩後ろに下がってかわした。
一同がホッとした瞬間——
紅葉は横に逸れた大槌を上に振りあげ、縦振りで相手を追い詰めようとした。
「あらやだ、勇ましい」
キキーラは冷静に呟いた。怒りで我を忘れた紅葉が、まっすぐ大槌を縦に振り下ろす。
「でも……」
彼女はニヤッと笑って左に半歩ずれた。振り下ろされた紅葉の大槌は、空を裂き、土壌に深く刺さってめり込んだ。
「……闘い方を知らないようね、お嬢ちゃん」
キキーラは手斧を宙で半回転させ、逆に持ち、斧の柄部分をスナップきかせ、えぐるように紅葉の腹部にめり込ませた。
「——ぐふっ」
紅葉は地面に昏倒した。キキーラは紅葉の体を足で踏んづけ、動けないように抑えつけた。
「……なんで」
なんでこんな事になったんだろう。
とんでも無いことになってしまった。
いつの間にか、あたりに木炭職人たちが集まっていた。老若男女、子どもに妊婦までいる。みな動物の剥製や毛皮を身につけ、群青色の服に、赤いペンダントをつけていた。
「キキーラ! いいかげんにしろ!」
族長らしき雲銀狼族の男が、もう一度声をあげた。歳は40代半ばだろうか、先ほど牽制してくれた声の人だ。
「いいじゃない、バニーク。こいつらが最初に “文明的な生活をしてる” って、我々を侮辱したのよ」
エミリア刑事はバツが悪そうにそっぽを向いた。
菓子折りはとっくに地面に落ち、踏まれてグチャグチャになっている。
もうひとりの族長らしき女性——キキーラが不敵に、頭上の熊の剥製を揺らして笑った。
「それにストレス発散になるしね。子育て中なの」




