6 アルバの専門
3月20日銀曜日の午後9時過ぎ。
ショーンがトレモロ4日目の夜を終えようとした、まさにその瞬間。
「ラルク刑事……っ!? どうして」
「この後、キミたちの部屋に行ってもいいかな? 一緒に酒を飲もう」
こうして10分後。ふさふさの灰色の尻尾が、ショーンと紅葉の部屋に鎮座していた。
「刑事さん、お久しぶりですね! クレイトではお世話に……」
「ああ久しぶり、紅葉クン。さっそくだが、これで酒を頼む」
急に10ドミーを渡されて女中扱いされた紅葉は、怒髪天を衝きながらドスドスと食堂へ降りていった。
「……それで、ラルク刑事、トレモロにはどんなご用で? 何かあったんですか?」
「うむ。昨晩、ロナルド医師がエミリオ脱走の手引きしたのはご存知だろうか。彼の元妻がトレモロ出身でね、身辺を調査しにきた。それと一応コリンの状況も探りに。あの日ここの駅へ来るはずだったからな」
「ロナルド医師の……元? 離婚してたんですか」
「3年前にね、元妻と娘は木工所で暮らしている。もし見かけても接触しないで欲しい」
「了解です。……コリン駅長の方は?」
「空のドングリだな。まあ仕方ない。そちらは順調そうで何よりだ」
ここで紅葉が戻ってきて、アーモンドウイスキー、レモンビール、ニガヨモギ酒の瓶を、ダンダンダン! とぞんざいに置いた。
「ありがとう、紅葉クン」
紅葉はラルク刑事のお礼を無視し、ショーンの前に、コトン、と透董茶のティーポットを静かに置いた。
「——トレモロ警察の報告によると、逃走車の車輪の跡を見つけたそうじゃないか。ダコタ州に逃げたようだね」
「ええ。でもダコタ州に行ったとしても、移動すればまた州を越えられますし、犬の尻尾ごっこですよ……」
「だが、関所印がないかぎり、宿には泊まれないし、列車にも乗れない。大きな買い物も、もちろん自動車もギャリバーも買えない。必ず行動範囲が狭まってくる」
ラルク刑事はグイッとウイスキーの瓶を煽ったが、ショーンはお茶に手をつける気になれず、手慰みに両手を揉んだ。
「それもどうでしょう。彼らには偽造手段があります。本物の警察官になりすました前例がありますし」
「ふむ、その件だが……レイノルド・シウバに関しては、クレイトの警察学校で私と同期だったんだ。てっきり普通に入職したものだと思っていたが……どうなっているのやら」
「ええッ⁉︎」
ショーンは尻尾をピンと伸ばした。今まで何となく、警護官と仮面の男らは、組織に育てられたものだと思っていた。幼少期に連れ去られ、人知れず英才教育を受けていた……なんて、スパイ小説じゃよくある話だが……
ラルク刑事は、手持ちの揚げピーナッツの袋を破り、さらに詳細を教えてくれた。
8年前の皇暦4562年、レイノルド・シウバと、バンディック・ロッソは、サウザス警察に入職した。当時の町長ユビキタスの斡旋で、クレイト市警の諜報部にいたとの触れ込みだった。
サウザス警官は誰も彼らの存在を知らなかったが、市警上層部の推薦書があり、発砲試験や捕縛訓練でいきなり首位を独占したため、経歴を疑わなかったらしい。
2人はサウザス移住後、そろってユビキタス町長、オーガスタス町長の要人警護——警護官【ウォール・ロック】を務めていた。
「だが、レイノルドは州の名簿上、警察学校卒業後の記録がないことが判明した。ずっと無職だったんだ」
「じゃあ出身とか、ご両親とかは?」
「出身はクレイト市の新月通り、両親はいるが絶縁状態。15歳で家を出てから連絡を取ってないらしい」
「そうですか……」
彼らにもちゃんと子供時代があり、学生の頃があり、普通に青春生活していた……のだろうか。想いをはせるショーンの横から、紅葉が体を斜めにして質問した。
「もう1人、バンディック・ロッソについてはどうなんですか?」
「彼に関しては、ラヴァ州の人名簿にこそ載っている……が、出身、家族、学校、就職先など一切の記録がなく、レイノルド以上の不審人物だ。偽名ではないかと言われてる。現在調査中」
「うわ、偽名……って」
「まるで本当のスパイだな……」
ショーンと紅葉は顔を見合わせ、そろって床へ俯いた。
ラルク刑事はアーモンドウイスキーの瓶を飲み干し、今度はレモンビールの蓋を開けた。長すぎる前髪に隠れた顔が、ほんの少し赤らんでいる。
「ふぅ。——しかしクレイトへ送った日から、たった2週間ですっかり見違えてしまったね。【帝国調査隊】として頑張っているようで何よりですよ、アルバ様」
ずっと険しい顔をしていたラルク刑事が、ふと力を抜いて微笑んだ。目を覆い隠すほどの前髪が、首の傾きに合わせてサラッと揺れる。
「そ……そうですか? 僕はもう一杯いっぱいですよ……とにかくあれこれ色んな人から相談されて……」
ショーンは思わず、トレモロでの『アルバ様へのお願い』をぶちまけた。町長やら社長やら族長やら町長の娘やら、次から次へ依頼が湧いて出てくる。彼らの依頼と同じくらい、愚痴と文句が湧いて止まらなかった。
ラルク刑事はレモンビールを直飲みしながら、静かに聞きいり……そしてビール最後の一雫を口にあけて、返答した。
「色々な人から相談ね……そうだな……例えば、私は交通整理や町内巡回も、警官の資格として行えるが、それを頼むものはいない。ベルナルド監察医は、外科手術や緊急治療も可能な資格をもつが、それを頼まれることはない。なぜか分かるか?」
「なぜって、それは——ええと、出世したからですか?」
「違う。それもあるが、そうじゃない、専門分野をはっきりさせているからだ。私はこうして私服警官として潜入捜査を。ベルナルド医師は監察医として法医学を。キミはアルバとして何を専門とするか、はっきりさせた方がいいんじゃないか?」
「……えっ……」
ショーンの瞳が固まった。アルバの専門?
【アルバ】とは帝国に仕える者。ひいては民のために尽くす職業で、
【帝国調査隊】とはアルバの中で、事件を調査して解決する職業だ。
事件を機に、治癒師をやめて、【帝国調査隊】という専門に就いたつもりだったが……
「キミははっきり選択すべきだ。警察の仕事を専門とするなら、その他の依頼を受けないと。クレイト市警のアルバ、ベンジャミン・ダウエル氏のようにね。キミが私立探偵のように誰からもホイホイ受けるのなら、こちらも進言する、この件から手を引きたまえ。警察の情報が勝手に流れては困る」
「——————!」
ショーンはここへ来て大きなショックを受けた。サウザス事件で散々な目にあって、これ以上ショッキングな事など何もないと思っていたのに。
紅葉はなぜか焦って【鋼鉄の大槌】をガチャリと手にした。
ラヴァ州警察のラルク・ランナー刑事は、酒で両頬を真っ赤にさせながらも、今までで一番険しい目つきをしていた。




