5 華麗なるゴブレッティ一族
地下倉庫から追いだされ、すっかり夜も更けた午後7時。
図書館の受付では、司書のメリーシープがこっくりこっくり舟を漕いでいた。
「夕食の時間だし、もう帰る? ショーン」
「まだだよ。ゴブレッティについて本を借りなきゃ」
直前でイシュマシュクルに連行されたせいで、目当てのコーナーにまだ訪れていない。
「借りるのはともかく……このままでいいの? ショーン。なんだか本題とずれちゃってる気がするけど……」
紅葉が心配そうに首を傾げ、ショーンはついカッとなって大声を出した。
「仕方ないだろ! 帝国調査隊として実績を作らなきゃいけないんだよ、今のままじゃ追いかける事もままならない。——そう “出世” しなきゃならないんだ! そのためには権力者に媚びること! そのためには『やった感』を出すのが一番大事なんだよ‼︎」
熱い拳が虚空を振った。
むなしい。
子供の頃に読んだ冒険小説の主人公は、出世など気にせず悪を追っていたのに。
現実はチンケだ。自分自身もそれなりに権力を持たなきゃ悪を追えない。
「……むぅ?」
司書のメリーシープが鼻ちょうちんをパチンと鳴らして、2人の方をジロリと向いた。ショーンと紅葉はそそくさと階段を上がった。
ゴブレッティ・コーナーは図書館3階の一番奥にある。
クリーム色の壁の一面に、建物や家族の写真、肖像画に版画、実績の一覧表、設計図面などが、たくさん飾られていた。
左右の低い本棚には、ゴブレッティの建築物や歴史に関する本がズラリと並び、中央の大きい本棚には『ゴブレッティの設計図』の全集が、缶詰に入った高級菓子のように詰まっていた。
「これが『設計図』の出版本か……確かに大きさも同じだし、紙質とインクの色は違うけど……がんばれば原本っぽく加工できそう」
「すごい、ちゃんと全375冊だ、あ。見てみてこの本、『サウザス役場』だよ!」
紅葉は一番なじみのある建物のタイトルを手にとった。序盤にデザインの経緯、建材の調達法、関係者の証言など、ザッと概要文が書かれており、本編が実際の設計図となっている。
「すごい、彫像の位置とかそのまんまだ。332年前から全然変わらないね〜」
「これ、サウザス役場だから何となく構造も分かるけどさあ……実物を知らないと何が何やらだよ、マチルダなら図面もちゃんと読めるのかな」
素人でもすぐ分かる不動産屋の間取り図と違い、プロの大工が使う設計図は、線と数字と専門用語だらけで呪文のように難しい。
借りようとしたら貸出禁止の本だった。『設計図』をもとに戻し、壁にある写真や肖像画をじっくり見てみた。
「えっと、左が創始者のディートリヒで……一番右の、これがロイか……」
ロイ個人の肖像画はなく、家族写真の中にいた。
おとなしそうな顔をしていた。悲しそうな眉と瞳が、長い前髪の奥に隠れている。20歳の記念に撮られたロイの体格は……少し細身。長身の父親ヴォルフガングと、背が低めな母親マルグリッドの、ちょうど中間くらいの背丈だった。
「確かに僕くらいの背丈かも……ふーむ」
家族写真は、在りし日のゴブレッティ邸の正面門で撮られていた。半地下のある4階建ての立派な邸宅で、斜めの屋根が4つも付いている。
ゴブレッティ邸は、同じ土地に何度か建て替えられているようで、それをまとめた資料コーナーが右端にあった。
最初の邸宅は版画だった。巨大な玄関アーチに雄牛の首の像がくっついている……間違いなく2代目マーチウスとモーリッツの双子の共作だ。邸宅は全部で3回ほど変わっている。最後のはヴォルフガングの設計だ。
ショーンは、屋敷内部の小さな写真と見取り図を、真鍮眼鏡で拡大しつつ凝視した。
『お屋敷の作りもそれはそれは豪華絢爛、入り組んでまして大変だったのですよ……』
ライラック夫人の証言通り、各階ごとに部屋の形がそれぞれ違い、あちこちから階段が生えていた。1階につき12段と、かなり急勾配の階段だったようだ。何往復もするのはさぞかし大変だっただろう。
皇暦4527年着工、皇暦4528年完成。竣工式の写真には、先ほどの家族写真とまったく同じ場所から撮られた、赤ちゃんのロイが写っていた。
「だいたい100年に1回建て替えられてる……いくら一族が亡くなったからって、まだ40数年しか経ってないのに、何で建物を壊しちゃったんだろ?」
結局コーナーの情報だけでは分からず、何冊か本を借りた。
図書館から出て、宿屋カルカジオで夕飯を食べながら、ゴブレッティ家の晩年について、必要な箇所を読んだ。
『ゴブレッティ邸 -あゝ建築の真髄-』より——
『ヴォルフガング作のゴブレッティ邸は、彼の遺書により、本人死亡時に取り壊すよう命じられていた。しかも解体方法は爆破だった。『この家は我輩の魂と同じ。四散することによって共にデズの元に行く』と。爆薬の設置場所も、あらかじめ建設時に外観各部に作られていた。
妻マルグリッドと息子ロイは爆破を拒否しており(彼は代わりの家を用意してなかったのだ、当然だろう)、実際の爆破はロイが亡くなった1年後に、レイクウッド社によって執り行われた。さすがゴブレッティ家・最後の天才による建築だ、外周の鉄柵へ傷ひとつつけず、綺麗に崩落した……』
「へぇー、こんな事が……」
さぞかし高価で貴重な建物だろうに、トレモロ町もレイクウッド社も律儀なことだ。
「ショーン、こっちはゴブレッティ家の晩年について書かれてるよ!」
『才能と個性の宝石箱 華麗なるゴブレッティ一族』より——
『皇暦4547年。それはヴォルフガングにとって最も苦難の年であった。前年に、秘書であり親友のフレデリックが亡くなったのだ。さらにトレモロ町長グレゴリーと、レイクウッド社長オズワルドの対立は、苛烈を極めていた。
ノア地区大工事の総監督を務めるという事は、レイクウッド社とゴブレッティ家に莫大な財産をもたらす代わりに、トレモロの経済危機を意味していた。
当初ヴォルフガングは、社長オズワルドの側につこうとした。しかし総監督就任の条件が『ノア地区への完全移住』だと明かされたとたん難色を示した。当時すでに高齢であったのと、一人息子ロイの懸念である。
互いにさまざまな折衷案を提示したが、三者は対立し、ついに溝が深まる日は来なかった。
彼の心労はたたり、47年の冬に死の床に着いた。それでも尚、ベッドの上でクレイト市のレストラン『オニキス』設計図を書き上げ、48年の1月、雪解けの季節が始まる前に亡くなった。66歳没……』
「——三者の対立ぅ? グレゴリーだけのせいじゃないじゃないか!」
「でもこの本の作者さん、トレモロじゃなくてクレイトの人なんだって。地元の人からしたら見解が違うんじゃない?」
「そりゃどうだか……」
争いなんて、みな自分が正しいと思ってるから起きるのだ。しかも当人は往々にして被害者側として振るまっている。
「しかし、ノア地区の大工事……この時期から話が進んでたのか。結局レイクウッド社は総監督じゃなくなって、協力って形になったのかな」
「お役所の仕事もたいへんだよね~、いろんな人の人生、狂わせちゃうし」
紅葉が分かったような顔して、腕をくんで頷いた。
「まあ、ヴォルフガングの事情は分かったよ、ロイとマルグリッドは?」
「この本には、ちょっとしか載ってないみたいだね」
『妻マルグリッドは、ヴォルフガングの生前からしばし錯乱状態にあり、クレイトの心療院へ入退院を繰り返していた(ヴォルフガングの心労に更なる負荷がかかっていたのは想像に難くない)。そして夫が亡くなった同48年の8月、療院の階段を踏み外して頭を打ち、夏のひまわりに抱かれて亡くなった。61歳没。
広大な屋敷に、ひとり取り残された哀れな一人息子ロイは、冬の足音が聴こえてくる同48年11月に、シチューに喉を詰まらせて亡くなった。21歳没。
こうして才能と個性に満ちた、華麗なる建築家、ゴブレッティ一族が幕を閉じた。しかし彼らの魂は永遠に……』
ショーンはここでパタンと本を閉じた。
本を読みながら、つい頬紅茶を飲みすぎたので、宿屋1階のトイレに向かった。
情報の洪水に溺れてしまいそうだった。
ジョボジョボと頭を空っぽにして用を足していると、「おっと、失礼」と誰だか背の低い客に、背中を叩かれた。
「…?………」
真鍮眼鏡の端っこで、森栗鼠族のふさふさ尻尾が揺れている。
「ここの胡桃ガレットはなかなか上手いな、2枚はイケる」
「————っ⁉︎」
ジョロジョロとショーンの横で用を足し始めた人物——
「だが、チーズソースはイマイチだ」
彼はカコン、と丸いハッカキャンディを鳴らした。
ラヴァ州警察の私服警官、ラルク・ランナー刑事が立っていた。




