5 ウソは薬と呪文じゃ治せない
3月20日銀曜日の午前11時。
モヤモヤした心地のまま薄暗いテントの中から出てきたら、エミリア刑事が顔を真っ赤に燃やし、空き地でシャドーパンチを繰り出していた。
「ヒッ……!」
エミリアの横で、紅葉も見よう見まねで身体を鍛えている。テオドールは、ギャリバーの運転席でぼんやり片肘をついており、マチルダは、男性モデル・キヌチェクのヌード写真集を凝視し、ページをめくるたびに「キャッ!」と叫んでいた。
「……今日はどうすんのよ、アルバ様。もう時間的に森へは行けないわよ」
エミリア刑事は、怒りで瞳をギョロリと光らせている。
「待たせてごめん……じ、実は上司のアルバ統括長に、警護官探しと並行して、トレモロを調査するよう言われてるんだ……」
「はあ、トレモロをぉ? 何でよ」
この場に居ないフランシス様を、すべての言い訳に使っていく。ただ上手いこと転がせたオリバーと違い、エミリア刑事には簡単に通用しそうにない。
「え、えーっと……」
「ショーンはね、ゴブレッティ家の調査もしてるの。サウザス事件の首謀者・ユビキタスが、『ゴブレッティの設計図』の窃盗に一枚噛んでいるらしくて」
紅葉が横からサラッととんでもないことを口にした。
だが、これくらいの理由がないとエミリアは納得しそうにない。
一つの嘘から、どんどん傷が広がっていく。
噴火口のように勝手に広がる傷口を、ショーンはただただ眺めるしかなかった。
「うわー、昨日の湖も良かったけど、こっちもすごく良い景色だ……!」
「はい、この辺は従業員のアパートなどが近いんです。みなの憩いの場所ですよ。12時すぎたら混み合いますので、早めにお昼を食べちゃいましょう」
テオドールは軽くギャリバーを走らせ、木工所の南東にある、景色のいい草原へ連れて行ってくれた。
昨日いった北西湖は、楕円形で、周囲には眺望灯台のほか針葉樹が植わっていたが、今日のこの南東湖は正円に近く、落葉樹が多めでルクウィドの森とも隣接している。改めて、レイクウッド社の広さを感じられた。
「ここならいっそう美味しそうっ、いただきま〜す!」
木工所の敷地内には、昔の見習いたちが練習で作ったテーブルやベンチが数多く点在している。ショーン御一行は、大樫の下に置かれた誰かの大テーブルで、楽しくランチ会を始めた。
「それで、本当に『ゴブレッティの設計図』って盗まれちゃったんですかっ?」
マチルダは口いっぱいにカボチャの種をもぐもぐ頬張り、質問した。
「分からない。盗まれたかどうかの真偽も含めて調査しなくちゃならないんだ」
ショーンは近くの弁当屋から購入した、菜の花とサクラの木の芽サラダの蓋を開けた。
「そんな話、警察では回ってないわよ。ホントだとしたらエラいことよ」
エミリアは大麦サンドイッチをつまみながら横目で睨んだが、紅葉はそしらぬ顔で炙りサーモン串をくわえている。
木工所の社長令息テオドールも、固めのアプリコットを齧りながら首をひねった。
「それを盗んで何になるんでしょう……設計図ならウチにも全部あるのに」
「え、レイクウッド社にもあるんですか? トレモロ図書館の地下にあるんじゃ……」
「原本は確かに図書館倉庫にありますね。ですが『ゴブレッティの設計図』はすべて本として出版されているんですよ。普通の本屋には置いてませんが、専門店なら購入できます。弊社にも全集は揃えてますよ」
「——えええっ?」
その時、樫の木枝から小さなリスが降りてきて、マチルダの昼飯をかすめ盗っていった。マチルダは慌ててリスを追いかけ走りまわり、ひょいひょい樫の木に登っていく。
「じゃ、じゃあ、原本にはすごく金銭的価値があるとか……」
「トレモロにとっては大事な町宝ですが……他所の方にはどうでしょうね」
テオドールが肩をすくめた。
いったい何が起きているのか分からない。
こんなことなら嘘なんて付かなきゃ良かったんじゃ、と紅葉の顔を見たが、涼しい顔で炙りベーコン串を齧っている。
マチルダはついにリスから種を取り返し、ガッツポーズを浮かべていた。
久々にピクニックを楽しんだ午後1時。
木工所の2人と、会社の入り口でお別れし、彼らは本来の仕事へと戻っていった。
「アルバ様はこれから警察署に来てちょうだい。今までの事件の報告書をまとめたから、チェックして」
「ありがとう、エミリア刑事。ついでにゴブレッティ家についても調べたいんだけど、当時の資料はあるかな?」
「そんなの調べて何になるのよ……まあいいけど」
町を南北に走るトレモロ通りを、警察署まで歩いて戻った。途中でゴブレッティ邸の跡地が見えてきた。昨日まで荒らされていた土地が、今は立派なテントが徐々に組み上がっている。
「へえ、あの子ったらやるじゃない」
アンナの姿は無かったが、彼女が用意したらしき指示書の通りに、子供たちがきびきび動いていた。以前は悲愴な顔をしていたライラック夫人も、珍しく上機嫌でお昼ごはんを炊き出している。
「ゴフ・ロズ警部からは、あの人たちをサウザスに返すよう言われたけど……ちゃんとトレモロに住むなら良いんだろ」
(これでようやく、警察から電信暗号を教えてもらえるぞ……)
ショーンはそう安堵して尻尾を振ったが……
「ええ、もちろん。でも役所のほうで面倒みてくれるなら、アルバ様にはまた別の要件を考えなきゃね」
「ちょっと待って!」
——まずい。手柄が完全にアンナのものになってしまう。
「違う違うちがう! ちゃんと僕に教えてくれないと困るよ、僕からアンナに頼んだんだ、彼女の父親探しを引き受けるかわりに!」
「は?————父親?」
エミリア刑事は、特大のギロチン刃のような瞳でショーンを睨んだ。
きっと今日一番怒っている。
ショーンはゴクリと唾を飲んだが、もうこれ以上、嘘を言っちゃいけない気がした。ウソは薬と呪文じゃ治せないのだ。
「…………父親って、あの子と私の父親のことかしら? アルバ様」
「は、はい、その通りでございます……」
ショーンは羊よりも白い顔をして両手を揉んだ。紅葉は「あーあ、言っちゃった」と、近所の子坊主がいたずらして叱られるのを、傍観するかの如く眺めている。
「アルバ様ならちゃんと分かるの? 親子関係を正確に判別できる方法、あるのかしら」
「いえ、そういった呪文はありません……ただ調査して推測するだけです」
「ふぅーん……じゃ、アルバ様に頼む意味ないじゃない」
それを言うなら、ライラック夫人の件こそアルバに頼む意味はないが、この場の空気で口には出せなかった。
「で、アンナは誰を調べるように言ったの?」
「……僕の口からは言えません」
「フン、あっそ」
エミリア刑事は風船ガム入れの缶をカチャカチャ鳴らし、(ちゃんと缶も風船の形をしている)、イライラとガムをくわえた。
「調べるのは勝手だけど……もう父親は死んだのよ。母ヴィーナスから聞かされたし、事実そうよ」
「事実って、エミリアさんはご存知なんですか? お父さんについて」
「ええ、おそらく——」
エミリアは金色のツインテールを風に揺らした。
「——ゴブレッティ家、最後のひとり。ロイ・ゴブレッティよ」
かつて栄華を誇ったゴブレッティ邸は、土地の囲い以外に何もなく、今にも別の人間たちが住もうとしている。
唯一、鉄柵の片隅に、彼らの墓石が残っていた。




