1 風の音を聴かせて
【Meat-and-potatoes】本題
[意味]
・肉とポテト
・基本的なもの、基礎、本題、主旨
[補足]
人間これさえあれば生きていける。「Let’s get down to the meat and potatoes.」で「本題に入ろう」の慣用句。
サウザスの路上に、カラカラと酒瓶が転がっている。紅葉は空の瓶を拾いあげ、市場のトラッシュボックスに投げ入れた。近くのドリンク売りからレモンビールを一本買い、市場奥にある生花店から花束を買った。
酒と花束と、持ってきた太鼓を手首に下げ、東区の貧民街へと入っていった。薄暗くゴミゴミした路地裏には、酒に酔いつぶれ寝ている人々、洗濯物を吊るす人々、太鼓を叩く子供などがいる。そして、今日もあの人形使いの少女が、窓辺で人形劇を練習していた。
《ハーイ、ジュディ。今日も平和だ。ラ、ラ、ラ、ラ〜♪》
紅葉は1ドミー硬貨を弾き、少女の自室内へ投げ入れたが、操り人形はその場から一歩も動かず、平和のうたを歌い続けた。
今日は3月16日、水曜日のお昼前。ショーンがちょうどアルバ統括長フランシスから、トレモロ行きの指示を受けている時間。紅葉はというと東区貧民街へ——新聞記者アーサー・フェルジナンドの墓参りに訪れていた。
貧民街を東へ抜けたところにある共同墓地は、駅の爆破事件の影響から、いつもより多くの人が集まっていた。広場には献花台が設けられ、犠牲者名簿の一番最初にアーサーの名前が書かれていて……なぜか途中で、オーガスタス町長の名もあった。
紅葉は、花束をデズ神像の前に添え、アパート『ジュード』とサウザス駅舎へ寄付金を送り、名簿にあった墓地番号へ向かうと……女性がひとり、アーサーのお墓の前に座っていた。
彼女は風に吹かれてタバコを吸っていた。背中から生えた翼は、羽先がボロボロに焼け落ち、灰色の羽軸が見えている。時おりレモンビールを煽り、長い——いや最近、短く切ったらしい髪を揺らしていた。前髪には耳のような2本の羽角が飛び出している。ミミヅクの羽角だ。
「…………マドカ?」
役場の夜警で、酒場の下宿人、灰耳梟族のマドカ・サイモンだった。
「はぁい、紅葉」
「退院したの?」
「ついさっきね」
彼女はゴトンと空の酒瓶を墓前におき、タバコの煙を宙にくゆらせた。
「具合はどう、羽は大丈夫? 痛くない?」
「平気よぉ、……ップ、そのうち生えてくるでしょう」
入院中、ずっと禁酒状態だったマドカは、紅葉が持ってきたレモンビールをプシュッと開け、生き返ったように「うぃ〜」と唸った。
アーサーのお墓は、大切な祖母・ジーンの隣に立てられていた。お供え物として花や酒、彼が手がけた新聞記事、果物のオレンジなどが置かれている。墓石には右斜めにハンチング帽子がかかっていた。
「これアーサーさんの帽子? 残ってたんだ……」
「まさか! 遺品は全部燃えたか、警察に押収されちゃったわよぉ。この帽子はさっき服屋で買ってきたの、アーサーの馴染みんトコでね。うエっふふ」
マドカは、生前のアーサーがやっていたように、帽子をクルクル回し、自分の頭へポスンと被せた。赤ら顔で笑っている。
「ねえ、紅葉ィ……太鼓を鳴らしてよ、風の音を聴かせて」
「…………うん」
紅葉は首から提げた太鼓を、アーサーの墓に捧げた。
《ト、ト、ト、トーントントン……♪》
バチを鳴らし、アーサーの第一信仰神、風の神様に捧げるビートを流す。
太鼓の響きは風となり、マドカの髪とタバコを揺らした。
共同墓地に来ていた人々も、足を止めて演奏に聴きいっている。
紅葉は太鼓の面を叩くたびに、アーサーの顔と言葉を一つひとつ思い出した。
『──正式な民族学者に見せたのかい?』
アーサーが初めて声をかけた言葉だ。
結局まだ見せてない……トーマス・ペイルマンの見解は聞いたが。
ショーンに頼んで、いつか詳しい人を紹介してもらえるだろうか。
『……僕はアルバの力を見るために、この事件が起こされたと考えている』
果たしてこの指摘は正しかったのだろうか。
結果的に起きた事からすると納得しづらいが……
でもショーンは確実に強くなった。魔術師として、アルバとして。
『組織の目的は——民族浄化』
組織はひとつの民族を消そうとしていた。まさかそれが紅葉の民族か……?
花飾りに覆われている、紅葉の角が淡く光った。
『オレは事件の解決を目指してる!』
事件はまだまだ解決していない。
ユビキタスを逮捕しても、解決したとはいえない。
組織の本体を見つけだして壊滅させる……
こんどは私が、ショーンと私が——!
《ドン ドン! ドン! ドンッ!!》
太鼓を叩く、バチの握力が強くなった。
音に、顔に、熱が帯びて、リズムと呼吸が荒くなる。
路傍の客たちが怪訝な顔で引きはじめ、そそくさとその場から去っていった。
「ちょーっと邪念、はいりすぎじゃなァい?」
「ごめん……こんな弔い方しかできないよ……今の私は!」
曲を終えた紅葉は、頬に幾筋もの涙を流していた。悔しくて墓前の赤土をつかむ。
「別に謝るこたないわよお。アーサーなら今ごろ手ぇ叩いて喜んでるだろーし」
プカーっと吹いた青タバコは、円を描いて空へ飛んでいった。紅葉はしゃくり上げながらマドカに聞いた。
「……ねえ、アーサーさんが信頼して『役場に潜入させた人』って、マドカなんでしょ」
「フフン、さあて……あんたにお酒、返すわ。じゃあね」
片頬をあげたマドカは、空のビール瓶をギュッと紅葉の頬に押しあて、立ち上がった。紅葉はこんなもの寄越して……と瓶をにらんだが、中にメモが入っていることに気づき、固まった。
「酒場のみんなによろしく伝えて〜。ショーンにもね」
マドカはマイペースに別れを告げる。ハンチング帽を目深にかぶり、厚手のブラウスとジーンズを着て、腰に革カバンを提げている……まるで旅に出るような……
「待ってマドカ、どこ行くの……?」
紅葉が震えた。もう二度と彼女に会えない気がした。
「南よぉ、ファンロン州に行くの」
マドカの丸い瞳はギラギラと熱く輝き、紅葉の悪い予感を燃やす。
「ふぁ、ファンロン……?」
「あるんでしょう、聞いたわよぅ」
ユビキタス、コリンと繋がりのある謎の整形外科医・戴泉明。
彼が生まれた故郷、そして犯人の手がかりがあるかもしれない土地——
一陣の風が吹き、紅葉とマドカの頬を揺らして叩く。
「——みんなで弔い合戦と行きましょう」
独り身の灰耳梟族の女は、燃やされた羽根をバサリと広げ、風とともに去っていった。




