1 レモン色のギャリバー
【Galliver】ギャリバー
[意味]
・ガレー船とガリヴァー旅行記にヒントを得て開発された、三輪式軽自動車。
[補足]
「ガレー船 (galley)」とは、古代から中世にかけて使われた帆船である。人力でオールを漕ぐため、複雑な地形や風のない場所でも、自由に走行できるのが特徴である。このガレー船と「ガリヴァー旅行記 (Gulliver)」にヒントを受けて作られたのが、三輪式軽自動車「Galliver」である。32年前にシュタット州のキンバリー社から販売され、以降ルドモンド大陸で爆発的に流行している。
「一体どうしてこうなったんだ!」
「う〜ん……どうしてだろうねえ」
茫漠たる薄茶色の大地。時刻はお昼を過ぎた頃。
大量の荷物を積んだレモン色のギャリバーが、ラヴァ州街道のど真ん中で立ち往生していた。
「やっぱあんな変な爺さんから、中古で買うんじゃなかった!」
「うるさいなあ、ショーン。ドップラー爺さんを悪く言わないでよ。相場の10分の1で買えたんだから」
「どう考えてもそれが原因だろ!」
ギャアギャアわめくショーンを無視し、運転席から降りた紅葉が、首をひねりながらギャリバーの基幹部をチェックした。
「ンー、後輪のタイヤがパンクしちゃったみたい」
「予備のタイヤは?」
「ないよ。ショーンがティーセットを積んだせいじゃん」
このティーセット捨ててく? と紅葉に問われ、
サイドカーに座るショーンは、ダメダメダメ! と叫んだ。
今日は3月17日の風曜日、遠くで渡り鳥が飛んでいる。
「とにかく、そこから降りてよショーン。トレモロまで押して行かなきゃ」
「ギャリバーを?! 町まで後どれくらいだ?」
「ギャリバーなら20分。押していくなら……2時間かな」
「——もお、やだ!!」
晴れやかな青空は、東西南北どちらを向いても永遠と続いている。
羊猿族のアルバ、ショーン・ターナーは【星の魔術大綱】を片手に叫んだ。
時を遡ること2日前、3月15日地曜日の午後。
『ほらよっ、特別出血大サービスだぜぃ』
ドップラー爺さんが3番倉庫の大扉をガラッと開けた。
埃にむせるショーンの隣で、紅葉が目をキラキラさせて飛び跳ねた。
『すっごい……こんなにたくさん!』
『ギャリバー専用倉庫だ。本来なら月末にガレージセールだが……どれでも売ってやるぜぃ、値札がついてるモンだけな』
倉庫の左右にそれぞれ30体は並んでいた。様々な車種やカラーリングにオプションはもちろん、派手な電飾やステッカーが施されている物も数多い。
『……サウザスの人たちって、こんなにギャリバーを持ってたんですか?』
『本当はもっとあったんだぜぃ。みんな列車の爆破ンとき、持ちかえっちまったのよ。ここにあるのは金が回らなくなった賭博場の奴らンだ』
ここは巨大な貸し倉庫のほか質屋も兼ねている。元所有者のことを考えると、ショーンはあまり気が進まなかったが、ギャリバー好きの紅葉はキャッキャッと選んでいた。
『すごい、見てみてショーン! A-42型【アリス】がある!』
『ア……アリス?』
かわいらしい名前と反する、黒光りする立派な車体のギャリバーが鎮座していた。大きなクラクションにテールランプ、もちろんサイドカーも付いている。
『アリスぁ、現行機種でイッチバン高えのだ』
『そうだよ、デッカーのデリカちゃんの愛車なんだから!』
『はぁ……』
デッカーとは、デリカとマリーによる2人組の女性アイドルユニットだ。ギャリバーのキャンペーンガールから一躍有名になり、ルドモンド大陸中に彼女たちのCMソングが流れている。
この倉庫の壁にも、デッカーの宣伝ポスターは至るところに貼ってあった。もちろんA-42型【アリス】のそばにも、愛車にまたがるデリカちゃんが満面の笑みで描かれている。その下に書かれた105000ドミーの数字を見て、ショーンの笑顔が消え失せた。
『90500ドミーでいいぜぃ、特価だ』
『素敵でしょ、買ってよショーン!』
『……たとえゼロが一桁減っても買わないぞ』
欲に目が眩んでいる紅葉の手を引っぱり、町中でよく見る安価なギャリバーの棚へ向かった。酒場ラタ・タッタにあった車種が並んでいる。
『これじゃ駄目か? 1200ドミーだって』
『そりゃB-07型【カルゴ】。買い物用のだ。冒険にゃ向かねえぞ』
『そうだよ、もっとエンジンが丈夫なのにしなきゃ!』
紅葉がショーンの腕を引っぱり、さらに倉庫の奥へ向かった。
「クソっ、丈夫なのを買ったハズなのに!」
「エンジンは丈夫なんだよ、エンジンは」
風曜日は旅立ちの日、風神リンド・ロッドの加護がある日だ。
ラヴァ州の母なる大地の元で、ショーンと紅葉は、三輪式軽自動車ギャリバーをえっちらおっちら押していた。
荷台の重みにイライラして尻尾を振るショーンの横で、紅葉は平気な顔でぐいぐい押している。
「あーもう、ギャリバーなのに重すぎる! 何でコレを買っちゃったんだろ」
「だからアリスにしとけば良かったんじゃん」
「ふざけんな! 自分のカネじゃないからって!」
アルバはけして高級取りではない。研究費ならそれなりに出るが、日々の生活を贅沢できるほど支払われない。さすがに下宿をでて家を借りるくらいは出るのだが、ショーンは毎日の高級菓子代と高級お茶代に消えていた。
「──でもさ、帝国調査隊って実際どれくらいお金が入るの? ギャリバーくらい経費で落ちない?」
「さあね……クラウディオ氏に聞いとけば良かった」
ショーンは布テントに、顔をむにゅッと押しつけ歪ませた。
ギャリバーの後ろに積んでいるのは、布テントをはじめとする旅用のキャンプ用具。紅葉の荷物にショーンの荷物。そして嵩張るティーセット。ショーンの乗るサイドカーには、お菓子と水筒とサッチェル鞄が収められ、紅葉がいる運転席の斜め後ろに、【鋼鉄の大槌】が旗のように刺さっていた。
「……! そうだ呪文で軽くしよう!」
名案を思いついたショーンは両手を伸ばし、灰色の光を放った。
【この荷物をしばし軽やかに運ばせ賜え! 《ファルマグド》】
呪文は無事1発で成功した。重い積荷を乗せたギャリバーは、オレンジ箱を載せた荷車くらいに軽くなった。
「よし紅葉っ、到着まであと何分だ?」
「これなら、あと1時間くらいで着くんじゃない」
元気になったショーンは率先して車体を押し、州街道を東へずんずん歩いた……。




